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鬼取屋  作者: 石馬
第弐幕「鬼取屋」
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怪ノ伍「矢木文一〜歪な異性の愛し方〜9」

 ――――矢木文一、某大学の文学部に通う彼は春、一人の女性と交際していた。


 彼女の名前は、桜野栞(さくらのしおり)。文一と同じく文学部に通う学生だ。

 付き合うこととなったきっかけは、文一が大学の食堂で声を掛けたから。


 所謂ナンパというやつだ。文一自身初めて見知らぬ異性に声を掛けたのだが、それが思いの外上手く行き、二人は交際を始めた。


 一見すれば、何処にでもいるごく普通のカップル。

 然しそんな二人には、他とは決定的に違うことがあった。


 一つは、栞には声がなかったこと。別段耳が聞こえない訳ではないし、目が見えない訳でもない。至って健康な身体を持っていた。ただ彼女は、生まれた時から言葉を口にするという行為が出来なく、自己主張することが苦手だった。

 二つ目は、文一には普通の人間には視ることの出来ないモノを視ることが出来たということ。幼い頃はそれが原因で仲間外れにされたり、「悪魔の子」だと忌み嫌われたりもした。





 ――――ある意味では必然だったのかもしれない。


 何かが欠けていた栞に何か余計なモノが付属してしまった文一、互いに互いを補うかのように、二人にはある種の『絆』が生まれていた。

 二人は何時の間にか、互いにとってなくてはならない存在になっていた。



 携帯電話を買ったのはその時だ。

 声のない栞の為に、何時でも会話が出来るようにと文一が出した提案で、同じ種類のものを二人で買った。

 それからというもの、携帯電話が栞の声となった。言葉を持たない栞は、やはり言葉に対して強い憧れを持っていたのだろう、それをきっかけに、文一へ手紙を贈るようにもなった。内容はとても詩的で、男が貰うには恥ずかし過ぎるものばかりだったが、文一は笑顔でそれを受け取った。

 自己主張が苦手だった栞が一生懸命書いた主張を、無下には出来なかったから。

 次から次へと贈られてくる栞の手紙は、気付いた時には詩集になっていた。

 みるみるうちに膨れ上がっていく栞の詞、文一は一枚たりともそれを捨てることはしなかった。

 それ程、栞のことを愛していたのだから。

 二人にとって、至福の時期は正に其処だったのだ。








 ――――なのに………………










 ――――――別れましょう?





 そのメールを送ったのは、桜野栞の方だった。

 唐突すぎるそのメールに文一が疑問を持たない訳がなかった。


 ――――――なぜ? オレが何かしたかよ?


 ――――――貴方はなにも悪くないわ。原因があるのは私の方。

 ――――――私ね、新しく好きな人が出来たの。だから、もう貴方とは付き合えない。別れましょう?


 栞に出来た好きな異性(ヒト)

 文一は問い質したかった。

 然し、それをすることはしなかった。


 ――――――そっか。じゃあ、しょうがないよな。分かったよ、別れよう。


 自分の気持ちを抑えて送ったメールが栞と交わした最後の言葉になった。













 ……その一月後、桜野栞は他界した。


 文一は動転した。何故? どうして? なんで栞が死んだんだ?

 さっぱり分からない。だって、つい一月前まではあんなに元気だったのに、好きな人が出来たって、そう言っていたのに…………


 何が起きたのかを問うても答えてくれる声は、もうない。

 栞の葬儀の最中、文一は栞が新しく付き合うと言っていたはずの男をずっと探していた。

 彼女に何があったのか、それを訊きたかった。


 然しそんな男、この世には存在していなかった。あれは、あれは栞が文一に吐いた、最初で最後の嘘だったのだから。

















 京介は其処で、話すのを止めた。

 途端、部屋の中は静けさを取り戻し、5人の中にまた沈黙が漂い出す。

 その空気を変えたのは、やはり美雨だった。

 美雨は悲しみを圧し殺しながら、ゆっくりとその口を開く。


「じゃあ、何で栞さんは自殺なんてしたんですか?

 それに、どうしてそんな嘘を吐く必要があったんですか?」


 美雨の問いに答えるよう、京介はまた、語り出す。


「何で? 如何して? ぶっちゃけ赤の他人の俺達に、そんな事まで察するのは不可能だよ。

 だから俺は此処に来た。理由を知っている人間は、もうお前しか残っていないからな、矢木」


 京介はそう言って、文一の方へ向き直る。

 口調は砕けているが、その表情は真剣そのものだ。


 だが、その表情を見ていた京介の妹、鬼丸舞は、彼が嘘を言っていると確信していた。

 兄は知っているはずだ。桜野栞が自殺した理由を、彼女が矢木文一に嘘を吐いた理由を。それでも兄は、彼の矢木文一の口から理由を言わせたがっている。

 その真意は図れないが、きっとそうだと、舞は確信していた。


「自殺した理由? そんなの決まってるだろ!

 アイツは、栞は騙されたんだよ。確かにアイツはオレと別れてから付き合い始めた男がいたさ。

 だけどソイツは最低のクソ野郎だったんだ。

 オレは葬式の日、聞いちまったんだ。その男が、他の何人かの男たちと交わしていた会話を……」


 京介の問いに、乱暴な口調で答える文一。

抱えていた頭を上げ、立ち上がり、京介に向かって何故か責め立てるように言い放つ。


「嘘を吐いただ?

 ふざけんな、栞は一度だってオレに嘘なんか吐いちゃいない。言えなかっただけだ。だって、言えるわけないだろう?

 栞はその男に…………、いや、その男『たち』に………………暴行されたんだから!」


 京介の襟首を掴み、吐き捨てるように言う文一の顔には、怒りの表情が貼り付けられていた。

 何かを憎むその目には、一筋の涙が溢れている。


「だから、だからそんなヤツらなんて、消えて当然なんだ。

 存在が消えて、みんなから忘れられて、本当に清々したよ。なのに、それなのに、何でオレはアイツらを忘れられないんだ? なんでオレは、殺したいほど憎んでたアイツらのことを覚えているんだよ?」


 妖怪に殺されてしまった人間は、他者の中から忘れられ、記録の中からも記憶の中からも消え失せる。例え恋人であっても、家族であっても。

 覚えているのはごく一部の霊力の高い人間と、その現場に立ち会った人間だけ。

 その世界が安定を保つために作った規則が今、矢木文一という一人の青年を苦しめていた。


「きっとアイツは、栞はオレのことも怨んでるんだろうな。これからオレも、アイツらとおんなじ仕打ちを受けるんだろうな。だからオレは、アイツらのことを覚えてるんだよな」


 文一は一転して、自分を嘲笑うかのように話し出す。

 京介の襟首を両手で掴んだまま、彼の胸に頭を預けた状態になっている。

 沈黙に入る文一を見て、京介は彼の肩をガッシリと握り、再び口火を切る。


「お前は、阿呆か?

 何で其処まで大好きな彼女の気持ちを想えるのに、そんな結論に達しちまうんだよ?

 違えだろうが! お前の言うその反吐が出る糞強姦野郎も、お前が妖怪に殺されかけている事も、全部お前が考えてる事じゃねえか!

 其処には本当に、桜野栞の『想い』は入ってるのか?いいや、入ってないね。

 それはお前のただの自己満足で、桜野栞の想いなんてこれっぽっちも入っちゃいないんだ」


 今度は、京介が叫ぶ番だった。

 その声を聞く文一は、涙で腫らした目したその顔をゆっくりと上げる。


「まさかお前、さっきまで切丸と闘っていたあの妖怪が、桜野栞だと思っている訳じゃねえよな?

 違うよ。あれは桜野栞であって桜野栞じゃない。


 ……あれはお前が作り出した、桜野栞の『幻想』だ」


 最後は静かに、訥々と話す京介の言葉に、文一は耳を疑った。


「オレの作った、幻想?」


「ちょ、ちょっと待ってくださいよ京介さん!

 いくらなんでも話が飛び過ぎです。もっと私たちが付いていけるペースで話してください」


 余りに急すぎる展開に堪らず、美雨が間から割って入って来る。

 然し残りの二人、舞と切丸は別段驚くでもなく、京介のことを見守っていた。

 京介はその期待に答えるかのように美雨に、何より文一に語り出す。


「今回の事件の犯人、文車妖妃を生み出したのは、其処にいる馬鹿男の強姦野郎に対する憎悪と、桜野栞を助けられなかった自分への罪悪感さ。

 さっきも言った通り、其処に桜野栞本人の意思なんて、思想なんてこれっぽっちも入っちゃいない。あれは矢木文一が、桜野栞はきっとこんな想いで死んでしまったんだと思って作った、ただの妄想の塊だ」


 言い終わった京介のその表情は、何処かで何かを哀しむようだった。

 ほんの一瞬だけ、美雨にはそう視えた。


「じゃあ『本物』の桜野栞さんは、もう成仏出来てるってことですか?」


 美雨が放った静かな問いを京介は、黙って首を横に振り否定する。

 そして、重たくなっている唇を、今一度動かし話し出す。


「それを、これからする為に俺は此処に来たんだ。

 美雨、お前はもう気付いてるはずだぜ、この部屋の中に、桜野栞の本物がいる事を」


 京介は美雨の答えを待たず動き出し、一つの部屋の前で立ち止まる。

 其処は美雨が一人の時に一度だけ入った部屋。


 ――――詩集に彩られた、手紙の間だった。


 京介が扉を開くと、其処には一人の若い女性が立っていた。


 黒く長い髪に白い肌、淡い桃色のカーディガンを白いシャツの上に羽織ったその女性は、ただ一心に此方を見つめていた。







――――――桜野栞が、其処にいた。


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