怪ノ弐「鬼丸京介〜心霊相談請負事務所鬼取屋〜5」
彼女は何分、何時間泣いていただろう。その彼女の耳に三回、扉を叩く音が聞こえた。
音のすぐ後に、一人の人間がが入って来る。恐らくは、扉を叩いた人間と同一人物だろう、彼女はそう考えた。
「…残しちゃったんですね。お粥」
声の主は柔らかい口調でそう言ったが、少女は答えなかった。答える気になれなかった。だから少女はその声を無視した。そんな少女の意に反して、声の主は語り続ける。
「今日のことで、兄をあまり責めないであげてください。兄も、ずっと後悔していました。今回の一件で、誰一人救えなかったって、ずっと、鬱ぎ込んでいました。」
彼女は、淡々とそう言っていた。然し少女には、その声は届かない。後悔すれば、反省すれば、泣いて謝罪すれば何でも許されるのか? 否、そんな筈がない。
「だから、なんなんですか? 結局何もできなかった結果がこれじゃないですか! あの人が、いったい何をしたんですか!?」
少女の言葉を聴いて、声の主、鬼丸舞は少し躊躇いながらも話を続けた。
「兄の話が嘘じゃないという事は、貴方も解っていますよね? 実は兄も、貴方と同じ境遇にあるんです」
――境遇? 彼女のその言葉に、初めて少女は舞の顔を見た。彼女の顔は笑っていた。然し同時に、とても淋しそうな表情もしていた。それでも彼女は、話を続けた。
「兄がまだ小学生だった頃、クラスにいた友達を鬼に殺されました。それがどういった経緯かは分かりません。でも、その時の犯人は分かっていました。
――碧鬼、そう呼ばれた妖怪です。その時から、兄の事を覚えているのは、あの時少しだけ霊力の高かった私だけになりました。
だから兄はこの話をするの、ずっと躊躇っていたんですよ。この話が、本人にとってどれだけ残酷か、痛いほどよく分かっているから」
少女、榊美雨は驚きを隠せなかった。彼もまた、自分と同じ事を経験していた。しかもまだ小学生の時に……
「もちろん、だからって貴方が兄を許せるかどうかは別です。ただ、知っていて欲しかったんです。
兄も、兄なりに苦しんでいる事を、長い話になってしまってすみません。それでは、私はこれで」
そう言うと舞は、一度会釈をして部屋を後にしようとする。
「あの、舞さん!」
美雨はそこで彼女を呼び止める。舞さんが振り向くのを見て、彼女は話し出す。
「私は、これからどうすれば良いんですか?」
彼女はそう言った。その言葉は、無意識の内に誓った、彼女なりの覚悟の表れ、どんな結末になろうとも、受け入れようという覚悟の表れだった。
少なくとも、舞はそう理解した。そして、その言葉に笑顔で答える。
「それは、貴方が決めてください。此方に残るのも、何処かへ行ってしまうのも、自由に決めてください。もし、此方に残るというのなら歓迎します。何処かへ行くとしても、心から送らせていただきます」
その柔らかい笑顔に、さっきまで怒りと哀しみに囚われていた心に、少しだけ余裕が出た気がした。
思いがけず、美雨も微笑む。
舞がその場を去ろうとする時、思い出したようにまた、話し出す。
「それと、私の事『さん』付けで呼ぶの、止めていただいて良いですか? 私一応、まだ17歳なので」
少しだけ仰天している美雨を他所に、舞はやっと、部屋を後にした。美雨はまた一人になって、考え始めた。
これから自分はどうしたら良いのか? あの不思議な兄妹の下で暮らそうか? それとも……
色々と自分の中で答えを模索するその表情は、実に年相応の女の子の顔だった。