4話 ノウリョクとキョウリョク
式が終わり、各自指定された教室でのホームルームが始まる頃には、誰もあの喧騒のことを感じさせることはなくなった。あの熱量は一体どこへいったのか。結局、熱狂的な声援を送られていた側のはずだった高峰りんの一言で鎮まったわけだし。
いささか謎が多すぎる。
ここでそもそもの違和感を思い出して、それらを精査しようと躍起になっていた俺は、ガラガラと入ってきた人物に気付くことができなかった。
もちろん同じクラスだということもあって、朝のことの謝罪からさっきのことまで、色々なことを話そうと思ってはいた。だが同時に、彼女は普通には教室に来ないとも思っていたのだ。特待生というものがなんなのかはまだよく分かっていないが、AからD組まで一人ずつ配置されているみたいだし、普通の生徒とは一線を画したなにかがあるような気がしていたから。
だが彼女は、普通に教室へと入ってきていた。
先の熱狂を連れるわけでもなく、本当に普通に、普通の生徒のような装いで。
「染木まさとくん……だよね。」
声をかけられてやっと彼女のことを認識した頃には、彼女は俺の机のすぐ前にちょこんと立っていた。
っっ!?!?
いったいどうして、こんなシチュエーションで驚きを上手に噛み殺せるだろうか。俺は失敗して、危うく舌を噛み切るところだった。
「……えっと、高峰さんだよね。なにか用?」
口内で痛い痛いと真紅の叫びをあげる舌を押さえつけて、平成を保ったように見せて問いを返す。我ながらなかなかに良い返しだったし、良い塩梅の声音だったと思う。まあ、苦悶に歪む顔と沈黙がその前に無ければ、だけど。
「ふふ。染木くんは本当に面白いね。」
その言葉の真意までは分からなかったが、とりあえずかわいいことだけはよくわかった。微笑ですら頭がクラっとくる威力とか、どんな新兵器だよ。そうやって彼女のかわいさに内心のたうちまわっている俺に、彼女は無自覚かそれとも自覚があってか、急接近をもって息の根を刈ろうとしてくる。
「そんな染木くんにお願いがあるんだけどさ」
「っ!……なんでしょうか……?」
辛うじて息を刈りとられることはなかったが、急のことに焦って大げさに避けちゃったし、声は上ずってしまった。しかも敬語って……恥ずかしすぎる。
ただでさえ彼女は注目度が高い。あの熱狂的な空気感がなくなったとしても、その注目度の高さに変わりはなかった。ということは、今俺と話してる彼女にはそれ相応の目線がついているということになる。そして彼女が見えているということは、かなりの確率で俺も目線の中に入り込んでいるだろう。……ここでの醜態は、一撃一撃が致命傷になりかねないな。
「あ、あの、ちょっと向こうででもいい…かな」
それ故の場所変えの提案だったのだが、高峰さんはなにか納得したような、そうだよねといったような響きの相づちを数回打ってからこう言うのだった。
「そうだね。ふたりきりで特別棟にでも行こっか。」
「こっちの棟って、俺来ていいのか?」
高峰さんについてきたは良いものの、こっちの棟は教員の説明にもなかったし、内装は学校というより舞踏会やパーティーに使われるような洋館のそれだ。とても一般生徒が入っていい場所だとは思えないのだが。
「大丈夫だと思うよ。一年生じゃ私とあの三人くらいしか来ないし。」
うん。それがやばいんじゃないかって話をしてたんだけど。どうやら高峰さんにはそういう感覚の話は通用しないらしい。そういう所はなんだか貴族みたいな……良い例えが思いつかないが、とにかく一段違う何かを感じる。
「よし。いいかな。」
なにかを指差しで確認していた高峰さんだが、確認が終わったようで、俺の方を振り向く。
真っ直ぐに見つめ合う二人は、洋館の中央に施された色とりどりのガラス床の真ん中で。なんてロマンチックなんだろう。さぞ幻想的だっただろう。それも全て、後から思えばの話でしかないけど。
その当時の俺と言ったら、とてもそんな感情に割く余裕なんて無かったから。
絶妙な身長差で自然と上目がちになっている彼女は3割増しでかわいいし、その顔も少し歩み寄れば触れられる位置にあるしで。もちろん、何を言われるのか分からないという緊張もあったけど。言葉を紡ごうとして微かに揺れる唇が、ほんの少し見え隠れする前歯が、弛んだり張ったりしている頬が。そのすべてが、なんだか神秘的なものにすら感じられた。もっとも、次の言葉を聞くまでは、だけど。
「私、超能力者なの。」
……うーん、なんだろう。……うん?聞き間違い?
「……えっと、なんて?」
「私、超能力者なの。」
ワタシチョウノウリョクシャナノ?……???
「えっっと……馬鹿にしてる?」
「そんなわけないよ。別に特別ってわけじゃないんだからね。」
てっきり色恋的な……そうじゃなくてもいい雰囲気なヒミツ的なのを教えてくれると思っていたこともあって、俺の瞳は少し不愉快に揺れる。
そもそも、超能力者です!なんて言われて、はいそうですかなんてわけにはいかないだろう。そんなものが実在するなんて聞いたことがないんだから。
「いや、嘘か…もしくは罰ゲームだろこんなの。だいたい、持ってるとしてどんな能力なんだよ。」
「ん?もう見てるでしょ。入学式のあれだよ。」
「アレ…?」
「みんながすごくうるさくなったあれだよ。」
「……そんな、まさか。」
「私の能力は、扇動。発動条件は私が声を出すこと。効果は……」
「ちょっと、ちょっと待て。」
「なに?」
「いや…まじで言ってんのか?じゃああれは…高峰さんがやって……」
「あーうん。まあ私のせいでなったね。」
「あれを……なんのために?」
「そこが悩みの種でね……」
俺の中で徐々に、違和感だらけの穴ぼこパズルにカチッカチッとピースがハマっていく。それと同時に、認めざるを得なくなる。いまだ知らないままだった世界のことを。
「私のこの能力、実は制御が利かなくてさ。」
「制御が……じゃあ、常に?」
「ううん。出ちゃうのは、緊張とか、感情が大きくブレちゃったときだけ。その他のときは思い通りに使えるよ。」
「……じゃあ、さっきのあれはそういうことだったのか」
教室での最後のやり取り。高峰さんの最後の言葉だけは引っかかっていた。まるで誰かに言い聞かせるようにして放っていたあの言葉。あれは、他の生徒に向けて能力を使っていたと考えれば納得がいく。「ふたりきり」で特別棟に行くからつけてくるなと、そう言っていたなら。
「そうだね。さすがにこれを関係ない人に聞かれちゃうとまずいかなと思ったから。」
「…それで。俺にこうやって頼むのは?」
「そりゃ、頼めるのが君くらいしかいないからだよ。私の能力は勝手に上書きされちゃうから、前もって頼んでおいても無駄だし。そもそも細かい指示は無理っぽいんだよね。」
意外と使い勝手悪いんだよねと笑う彼女に、俺はなぜか……さっき以上に……
「じゃあ、俺は、高峰さんの能力を消しでもすればいいのか?」
なんだろう、この苛立ちは。体の内に隠しきれない心の棘が、言葉にくっついたまま口を過ぎる。その言葉は彼女に直接当たって……
「うん。消してくれるなら、それが一番嬉しい。」
彼女は、笑ってそういうのだった。それも、本心だとしか思えない声音で。切実、という感じだった。
その彼女を見て、俺のどこから出てきたのかも分からない苛つきは早々にぶつかる場所を無くしてしおれていった。代わりに心の中に出てくるのは、ただの無力感で。
「まあそんな力、俺にはないけどな。」
自分の無力を呪うように、吐き捨てるように投げた言葉。だが彼女は丁寧に包んで拾う。
「染木くんは、十分凄いと思うよ。私の能力にかかってない時点で。」
その言葉が彼女の優しさなのはわかっているつもりだったし、彼女が手伝ってほしいからどうにかして俺のやる気をたてようとしてるという側面もわかっているつもりだった。でも……
「……ありがとう。」
そのいつぶりかもわからない柔らかい言葉と、それの純粋な響きに、今だけは甘えてしまおうと思った。せっかく手伝うのなら、これくらいはいいだろうと。
「ん?なにか言った?」
「いや。できることはやってみるって言ったんだ。」
「本当に!?」
「できるだけは、な。」
俺は英雄に憧れていた。
夜な夜な英雄譚の続きを綴り、それを実現することを夢に見た。
だが現実ではなにをすることもなく、怠惰に毎日を浪費するだけ。
そんな俺は今、英雄の背中を追うためでもなく、この目の前の美少女を助けるために手を差し伸べた。何をできるわけでもないはずの手が、だがなにかをしてやりたいと願って仕方がなくなったんだ。
こうして歯車は回りだす。まだ誰も見たことがない景色へと、足並みをそろえて。
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