2話 モドリそしてデアイ
目覚めた俺は、いつものように窓を開放する。
むせそうになるような朝の冷たい風を吸い込んで、吐いて。もう一度吸い込んで、吐く。
ふぅぅうぅ。
……なんだ、これ。
深呼吸を終えて現実を目にした俺は、目前の異変に目をこする。これは、いったいどういうことだろうか。
部屋は昨日と同じ、変わることのない木造建築7畳の自室だ。だがまず違うのが、布団。綿が抜けてるだの薄いだのと散々に言ったそれらが、ふかふかもふもふになっている。寝ている間にお取替えサービス付きの布団でも届いたかというレベルで別物だ。
そして窓際。昨日までは押入れの肥やしだったはずのつっかえ棒が取り付けられ、ハンガーがいくつかぶら下がっていて。そのハンガーには、もはやどこへ片付けたのかも分からなくなっていた服がかけてあった。
これは……まさか……
カオスを極めた脳内で懸命に答えを探すも、なかなかにいい答えが出てこない。そして、なにかないかと視線を巡らせた先……そこには服と同じく、どこか懐かしい気すらする姿見が立てかけてあった。
俺は恐る恐るその鏡に近付いていく。距離にしてたかが数メートルに、一歩踏み外したら即ゲームオーバーのクソゲーをやるときのような慎重さをもって。
そうしてなんとか姿見の前にたどり着き、正面からその中にある自分を見返した。
その姿は、ここ数年の蓄積を無視したようなキレイな皮と、染められた形跡のまるでない自然な黒の髪の毛をこしらえたものだった。
体は心なしかシュッとしているように見えるし、身長も…なんだか目線がいつもよりも少しだけ下な気がする。
こりゃ、あれだな。うん。
こんなの、空想の世界の話だと思ってたけど。あるんだな……まじかよ…
原理や理屈は一切不明。俺自身未だ飲み込みきれないが……どうやら俺は、高校生だった頃に戻ったらしい。
「2218年… まじで戻ってるじゃん……」
何度確認しても、時計の針は規則正しくコチコチと動くだけ。カレンダーをいくらめくっても、4-5年前の月日を刻んだページしか出てこない。
そうやってせかせかと手を動かしたり足を動かしたりしているうちに、起きて風をあびてからはもうずいぶん経ってしまった。これでもう寝ぼけていると言ってとぼけることもできなくなってしまった。
ピピピピ。ピピピピ。
…………
ピピピピ。ピピピピ。
とりあえず、行くか。
俺は考えることを一旦放棄して、学校へと向かうことにした。学校でも暇な時間はいくらでもあるだろうし、そこでも考え事くらいなら余裕だろう。
かけてある長袖のYシャツを両手で丁寧に外し、スルスルとゆっくり腕を通していく。このスベスベとした触感も久しぶりだなぁなんて思いながら。
そうしてYシャツを着終わったら、その上から学ランを羽織るようにして着る。
その後にズボンを……あれ?違うな。
俺は少しの違和感に手を止める。現役だった頃は、学ランを着てしまうとズボンが履きづらいから、ズボンは学ランより先に履いてなかったか?
本当に些細なことなのだが、そこが違うと考えていた状況とまた違う可能性が出てくるから慎重にならざるを得ない。
俺は自転車のペダルに足をかけながら、先のことについて考える。俺が考えていた状況は、「昔の体に精神だけが戻った」というものだった。そうじゃないと、姿見に写った自分の姿を説明できない。でもさっきの感じからして、この体にはこの動作に対しての慣れがない。
……どういうことだ?
というかそもそもの話、こういうものにはデメリットが付きがちだ。例えば過去を変えてしまったらいけないだとか、戻る条件が厳しかったりとか。もしかすると、俺にも……
モヤモヤとした気分をグリップと一緒に握りながら、俺は坂を下っていく。すれ違っていく風たちの冷っこい体が、なんだか少し煩わしく感じた。
な……なんだと……!?
学校の正門前にたどり着いた俺は、自転車のスタンドを立てることも忘れて、跨ったままの片足立ちで道のど真ん中に立ち尽くしていた。
こんなことがあるだろうか。俺はこれを願っただろうか。
……たしかに時期は間違ってないけど……よりによってこの日とは。
だがこれで、不慣れの正体はある程度掴めた。なるほどそういうことだったのかと納得して、記憶の欠けやその他のアクシデントではないと分かった俺は、自分が道のど真ん中に居座っているということをすっかり忘れていた。
「あの、通っていいですか?」
突然に背後からかけられた声は、ささやき声のように小さく、だが鈴の音のようによく通る声だった。聞いていて心地よくなるような、なんとも不思議な声だ。
その声に俺はバランスを崩しそうになりながらも振り返り、一言謝意を伝えてから端に移動しようとしたが……
「えっと……どうかしましたか?」
どうにも声が出なかった。
振り返った先、思ったよりも近くに立っていた声の主は、妖精だったのだ。
ティンカーベルほど小さくはないし、実際は人間なんだろうけど。俺の目に映る彼女は、紛うことなき妖精だった。北海の雪野原のような白銀をした髪がふわりと広がりながら背中まで伸びていて、顔の小ささを強調している。目線は俺よりも頭一つともう半分くらい下だが、顔も幼すぎる訳でもなく、可愛さを武器に周りに媚びるような姿勢でもなく。制服もしっかりと着こなしていて、それでいてこの他とは明らかに違うオーラ。これが本物の「かわいい」なのだろうと、その場の誰もが思った。
「…あ、すみません。」
ずいぶんと間を開けてしまったのに、こう言ってその場を退くのが精一杯だった。陰キャの鏡、コミュ障代表のようなその態度に、だが彼女はまるで気にする様子もなく
「ありがとうございます。」
と言いつつ微笑んで、自然な流れで俺に一礼をして門を跨いでいった。
なんだあの可憐な斜めおじぎ。お嬢様か?…お嬢様だよな。目の色は黒だった気がするが、ハーフだろうか。だったらどことどこの?この学校に来た理由は?好きな食べ物は?
永遠に出てくる彼女への好奇心を理性で押しやって、俺は肩身の非常に狭い正門を抜けて校舎へと足を向けるのだった。肩身の狭さを微塵も感じないくらいの幸福感に溢れながら。
ご一読いただきありがとうございました。