13話 ワタシはーー
「もういいわい。私の負けじゃ。」
「……え?」
投げやるようにそう言って階段に座り込んだ先輩に、俺は言葉を繋げられない。それほどに衝撃だった。どんな勝負でこてんぱんに負けても頑なに負けを認めなかった先輩が、鬼ごっこではまだ負けてすらいないのに負けを認めるなんて。
いや、俺の耳がイカれちゃったのかもしれない。頭をぶつけたときとか……
「私の負けだと言っとるんじゃよ。」
どうやら幻聴や耳の不調ではないらしかった。
「自分の負け」と繰り返す先輩の顔はどこか清々しいような笑顔で。
「どうして……?」
頭で考えることもなく、気づいたら疑問が口から滑り出ていた。
「別に生徒会としてはここに固執する必要はないからの。私の次の代は生徒会長ではなくお主らに託そう。」
そういえば確かに、この図書館には先輩の私用として使われた形跡しかない。生徒会長という役柄としてはこんなところどうでもよかったのだろう。
「ありがとうございます先輩。」
影より歩み出て来、清々しく凛々しい顔で先輩にそう言ってお辞儀をした彼女は、本当にやりやがったという顔でこちらを振り向く。この策を良くないものだと知っていて実行し、そして完封されてしまった俺はバツが悪くて、苦々しい笑顔で返すことしかできなかった。
ザーッ
私が入るのと入れ替わりで出ていくお湯たちが去り際に残していくその音に、耳は彼を思い出す。なんでなんだろう。彼はこんな声で鳴くわけじゃないのに。
結局あのあと、私たちは先輩と少し歓談をしてからその場を後にした。私が受けちゃった勝負だったけど、冷静に考えてみれば勝てるはずがなかった。あんなの、生身で完全武装の兵隊に挑むようなものと同じだもん。とんだ蛮行だった。それでも彼は……
「ど、どうしてあんな、酷い作戦を平気でやるような奴を」
それも、私のためにしてくれたのに
「〜〜〜ッッ!」
気持ちを捻じ曲げようとする私の思考に事実という名の楔が打たれる。
ザッブーン
私はそれに耐えきれずに湯船に頭を突っ込む。こうすれば目はぼんやりとしか見えないし耳もほとんど聞こえない。
それでも彼の存在はもうすでに私の内部に根付いていて。他の情報をカットすることで逆に鮮明になってしまったそれを抱えて浮上した私は、本物のゆでダコみたいだった。その姿が正面の鏡にうつるものだから、私も見ずにはいられない。
「ひどい顔。」
でもなんだか、悪い気がしない。私は少しおかしくなってしまった。
「君のせいなんだから。」
湯船に口を埋めて言ったその言葉はただの泡になって消えたけれど、胸の中にはたしかに。
ところで、さっきから少し冷たい風が吹いているような……
風呂だというのに吹くその風に、私は周囲を見回して……
「「あ」」
目が合う。
それは入り口からひょっこりと覗いていた小さな影。その正体は、最近伸びてきた身長を気にしているお年頃の妹だった。
「えっと、大きい音がしたから…大丈夫かなって。」
「う、うん。大丈夫だよ。」
「そ、そう。よかった。」
妹はごゆっくりという言葉を最後にパタリと戸を閉めてその場を後にしたけど……いつから覗いてたんだろうあの子……まさか最初から!?
後でそれとなく聞いとかなきゃ。
あの子はいい子だから、聞いていたとしても聞いてなかったことにしてくれると思うけど……記憶からなくなるわけじゃないから、私が恥ずかしいことに変わりはない。
お願いだから、忘れてくれないかな……
私は叶うはずもない願いを吐きながら、自分の体温で沸騰まで行く勢いのお湯にアイルビーバックするのだった。
僕らの図書館争奪戦(仮)から数週間が経った。学校を取り囲む桜を始めとする木々は青々とした装束をその体にまとって、来る夏の陽射しに耐えようと意気込んでいる。もっとも感覚的な話で言えば逆の発想になることが多いが、まあそういうこともあるということだ。
そんなおしゃれ重視な彼らに囲まれた俺たちはどうかというと、どうということもなかった。
能力関係の本探しは継続しているものの、未だに手がかりとなりそうな本は見つかっていない。先輩いわく、先輩が名をつけている本の中にそういった記述は無かったはずとのこと。
なのでできる限りの名持ちは二階の上の方に集めてもらい、最大限効率を上げてはいるが……
「ほとんどが名持ちかと思ってたけど、流石にそんなことはないか。」
「私とてそう何年も居座ってるわけじゃないからの。私が手に取り名をつけたのは2万いかないくらい。総蔵書は20万とちょっとじゃろうか。」
「うっわ。俺がばらまいた本たちが名持ちで良かったな。」
約1/10しか名をつけられていないという先輩の声に俺は戦慄する。そんな俺に本当じゃと少し怒りながら同調する先輩の声は、あっちにこっちにと移動しながら。文句を垂れつつもなんだかんだ手伝ってくれる先輩の優しさが垣間見える瞬間だった。まあ、頼んでもいないんだが。
そういえば話はガラリと変わるが、ここ最近、彼女…高峰さんの様子が変なんだがなにか思い当たることはあるだろうか。いや、あるとすれば俺のはずなんだが、三日三晩探しても見つからないそれにギブアップしたばかりなんだ。え、具体的にどう変なのかって?それはまず見てもらったほうが早いだろう。丁度良くお手洗いから戻ってきた彼女に、俺は声をかける。
「高峰さん、ちょっといいか?」
本当に普段通り、何も変わらない声音で話しかけてるはずなんだが……
「ふぇ!?あ、うん。うん。なに?」
この通り、彼女は素っ頓狂な相づちを挟むことが多くなった。そのことについて聞いても、気のせいじゃないと一点張りだし…。
それに、最近こちらをぼーっと見てるときがあるし、それに……
「お主、本当の馬鹿なのか?」
帰り際、高峰さんが妹のお迎えがあるからと先に帰ったことをいいことに先輩に相談した俺だったが、こうもひどく罵られてしまった。
「雰囲気は良いのに進展がまるでないのはそういうことじゃな。この木偶の坊め。」
更に畳み掛けてくる心当たりのない罵詈雑言に流石に少し気分が悪くなる。
「そこまで言うなら教えて下さいよ。どこがいけないのか。どうしてこうなってるのかも。」
「それは……いいや、言えん。こういうのは言ってはならぬのじゃ。」
なんだそれ。
「とにかく!そなたはいつも通り…いや、もっと敏感になるんじゃな。」
「はいはい。善処しますよっと。」
「あー!聞く気無いじゃろ!!私の言葉は聞いておくものだぞ!聞いておるのか!?」
そうやって話を聞けと騒ぎ立てる先輩をおいて俺も図書館を出る。日は春先に比べれば長くなったけど、さすがにこの時間にもなれば薄暗い。
高峰さんは大丈夫かな。ちゃんと妹を迎えに……いやいや、子どもじゃあるまいし。そして子どもだったとしても、俺は親でも家族でもないんだし。
自分の考えに苦笑いを1つこぼしながら、俺は帰路についた。
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