走ってないと死んじゃうし
思い返せば昔から走り続ける人生だったと思う。他の子よりも歩き出すのが早く二本足で歩けるようになったらすぐに走り出していたとか。幼児の頃の写真はすべてブレブレで親族内でスカイフィッシュとあだ名がついていたらしい。
三輪車を買い与えればすぐに爆走を始め、三輪車で走り回る子供の幽霊がいるとちょっと都市伝説になりかけた。側溝にはまってあちこち血だらけで帰ってきたのは一度や二度じゃない。
自転車に乗れるようになるとあっという間に暴走族というあだ名がついた。派手に転んで血まみれになって帰ってきたのは十回や二十回じゃない。父親が自転車メーカーに「スマートアシスト搭載いつですか」と問い合わせしたくらいだ。
中学生になると十六歳では原付バイクの免許が取れると知り、乗りたいと言っていたのだが親から却下された。曰く、お前は絶対に事故る。
違うんだ、俺が昔から血だらけになって怪我をしたのは走っているからじゃない、止まったからなんだ。
三輪車で爆走していた時は目の前に飛び出してきた猫にびっくりして足でブレーキをしたらバランスを崩して側溝にはまったし、自転車に乗っていた時は夕日を立ち止まって見てみようかなと思ってブレーキをしたら脇ギリギリを走ってきていた車のミラーに肩をひっぱたかれてそのままゴロゴロ転がっただけ。他にも怪我するときはだいたい止まった時。止まってる方が危ないんだなって思った。だから俺は走り続けることにした。
自分で制御できないスピードの物に乗るんじゃないと家族から散々反対されたから結局バイクは諦めた。そんなに走りたいんだったら自分の足で走ればと妹から言われて俺はマラソンを始めた。
なるほど確かに疲れれば走れないし、止まりたいときに止まれる。信号待ってる時に立ち止まって青になった瞬間に走りだすのはなんだかレースやってるみたいでちょっとワクワクする。競技ものは燃える。
単純だけどそんなことを繰り返していたら陸上部から声がかかったりハーフマラソンに出てみないかと先輩から誘われたり。いつかトライアスロンとか出てみたいなと思って走り込みを始めた。
夜に反射板と点滅するライトとクリスマスツリーにつける電飾をつけて完璧な光人間として走っていた時だ。歩行者信号が赤になり俺は立ち止まった。たとえ周囲に誰もいなくても車なんて一台も通ってなくても俺はちゃんと信号を止まることにしている。注意一秒怪我一生。
腕につけた活動量計で今の心拍数と消費カロリーをチェックしている時。ものすごい爆音とともにめちゃくちゃな蛇行運転をしてすっ飛んで来た車に思いっきり跳ね飛ばされて俺はポーンと宙を舞った。
目が覚めたら病院で、泣き続ける母親と真っ青な顔をした父親と泣いてんのか怒ってんのかよくわからない微妙な顔をした妹がいた。記憶をたどってみるとそういえば俺車にはねられたんだと思い出す。日付を聞いたら二週間近く経っていた。
「母ちゃん、足動かないんだけど」
その言葉に母親は勿論父親も泣き崩れた。妹がこれまた超微妙な顔でボソボソと小さく言った。
「……さっきお医者さんから話があって。……脊髄、損傷してるんだって。兄ちゃん、もう歩けないんだって」
歩けない。その言葉が頭の中でぐるぐると回った。
「そっか」
「……」
「マリー・アントワネットは言いました。パンがなければケーキを食べればいいじゃない」
「それマリー・アントワネットは言ってないからね。濡れ衣だから」
「マジで。まぁとりあえずだ。原始人の時代じゃねえんだから足の代わりになるものなんてこの世にいくらでもある。そんな俺がプリン全部食っちまった時みたいな顔すんな」
「……ッ……うん……」
正直そこら辺の壁をぶん殴って泣き叫びたい気持ちはあった。でも当の本人の俺より先に、イグアスの滝のように泣いてる両親と静かに涙をこぼす妹を見たらそんな気はマッハで走り去っていった。さすが俺の感情だ、走り去るとは俺の事をよくわかってるじゃないか。走るってやっぱ大事だよな。
「父ちゃん」
「……なんだ」
「やっぱり俺って走ってるほうがいいと思うんだよ。立ち止まったら事故ったし」
「……そう、だな。お前はそれが一番似合うな」
「とりあえず車椅子買わないとな」
「先走り過ぎだ。怪我治すのが先」
「あ、そっか」
怪我も治り退院して筋トレできるようになった頃でも、俺の事故は揉めまくっていた。というのも泥酔状態で運転をして俺を跳ね飛ばした男は金持ちのボンボンだったらしく金の力で解決しようとしてきたので突っぱねた。そしたら俺があんな所に突っ立ってるのが悪いとか言い始めて我が家は戦闘モードとなった。
元ヤンの父ちゃんと、元ヤンでもないのに父ちゃんをボコボコにしたことがきっかけで付き合うようなったという母ちゃんと、別に何か習ってるわけでもないのになんかいろいろ強い妹がブチ切れたんだから怖いわ。父ちゃんたちは今も法廷で相手家族とガチンコ勝負してる。
「一応聞くけど、何だそれ」
自分の体を支えるため上半身の筋トレをしていると妹が手に持っていたのはチェーンソーだった。
「あのクソ野郎のトドメ刺そうと思ってポチった」
「やめろや」
「砂金程度に残ってた良心もそう訴えたからやめとく。とりあえず進路は進学校やめて林業科目指そうかと思ってる」
林業科なんてあるんか、初めて知った。つーかガチで調べてるあたり行く気満々なんだなこいつ。
「そんなもん買っちまったしな」
「思う存分切り刻めるからね」
「やめろや」
妹の人生がちょっと変わってしまったことに一抹の不安を覚えながらも、俺は妹の進路が予想外なところに決まった事になんかいろいろ考えた。
塾も学校も成績上位の妹。塾講師から進学校合格間違いなしだと言われていた妹が林業。たぶん明日塾の先生たち悲鳴上げるなこりゃ。
俺は、何だろう。見事に受験勉強追い込み時期に事故ったもんで、入院とリハビリで高校は諦めた。まあ事故ってなくても成績最悪だったから受かってたかどうか微妙だけど。何ができるかな、車椅子の俺に。
その後車椅子の訓練を始めた。あとボンボンには鳩尾に一撃喰らわせた。……妹が。
俺のリハビリ担当になってくれた人はとにかくノリが良くて、あれダメとか真面目にやれとかそういう制限を設けない人だった。とりあえず無理ない範囲でやってみようぜ精神。こういう人と一緒だとやる気が出て楽しい。
「柏木さん、なんで車椅子ってエンジンついてねえの」
「エンジンつけたら免許必要でしょ」
「そりゃ困るわ。俺赤点しかとったことないから」
そんな会話をしながら自分でトイレの便座に乗り上げる方法や、前輪浮かせて後輪だけで体勢維持するなど色々と訓練をしていた時。
「柏木さん」
「何」
「俺このままじゃプーなんだけど、何ができるかな」
「何ができるかどうかより何がしたいのさ」
その言葉に俺は目を白黒させた。
「目的と手段を逆の順で取り組んじゃイカンよ。ゴールがあるからそれに向かうし、ゴールテープを切るために匍匐前進か転がるのか逆立ち全力疾走するのかって手段を選ぶんだろ」
「そうだけど、俺頭悪いし車椅子でも出来そうな在宅ワークとか無理だよ」
「車椅子で出来ることは確かに普通の人より限られるけど。普通の人より時間がかかるだけで最終的にはできるよ。マリー・アントワネットは言いましたよ、パンがなければ私が農夫となりパン職人にもなりましょうってな」
「マリー・アントワネット超人説。あ、マリー・アントワネットはケーキ食べればいいじゃないって言ってないらしいよ」
「え、マジで?」
俺が何をしたいか、かあ。
「空飛んでみたい」
「空飛んで死にかけたの忘れたのか」
「ごめんガチで忘れてた」
何ってそりゃ、走りたいよな。でも何だろう。マラソン大会なんて出られないし、パラリンピック出場目指してスポーツやるってのもなあ。与えられてる選択肢の中から選ぶのも悪くないけど、なんかないかな。俺ってやっぱり競技モノが燃えるんだよな。陸上競技で車椅子レースがあるってのは聞いたことあるけど。
俺にはぶら下げられた人参が必要なわけよ。勝つっていう目標と程よいライバルと、あと目立ちたい目立つの大好き。テレビ出たい。
馬だって競馬だったら決められたペースでテレビ放送までされて走ってんのに。優勝するとニュースになるから競馬見てない人でもめちゃ盛り上がるしな。とそこまで考えて。ふと思った。
「世の中は競馬も競輪も競艇もオートレースもあるじゃん。そういう賞金稼ぎ的な競技でなんで車椅子のレースってねえのかな?」
「……そういえばなんでだろ」
馬鹿にすることもなく柏木さんは首を傾げてから検索し始めた。「マジでねえな」と呟く。
「オリンピックの競技とかだといろいろあるじゃん。なんで車椅子だけこの業界ないんだろうな。あったら俺絶対やるんだけど、稼ぐ自信あるんだけど。好きな事できて稼げるなら最高じゃん」
「何でかなーって考えてるくらいなら、とりあえずやってみたら。君止まると呼吸困難になるし」
「人をマグロかサメみたいに。あってるけどさ」
本当にそんな、何でもない会話から始まった。
家でその話をしたら母ちゃんは呆れてたけど父ちゃんは目をキラキラさせて面白そうだからやってみようと言い始めた。イベント会社営業部課長の血が騒ぎまくってると見た。
庭で丸太を切り刻んでいた妹もチェーンソーでオブジェ作るチェーンソーアートにハマっているらしく。
「車椅子のレースイメージしたオブジェでも作ってみようかな、車椅子削り出すの面白そう」
そんなことを言い始め。なんかみんな協力的だなぁと思ったら大体同じ返事をされた。
「あんた止めると今度こそ死にそうだから」
「息止まっちゃいそうじゃん」
「お前は生き急いだほうが長生きする」
俺はそんなに走り回ってるイメージだろうかと思ったけど、思い返してみればその通りだった。最終的に一周回って結局タイヤのついてるものに落ち着いたなというのが俺の感想だ。
「では最後に、日本に新たな公営競技を生み出した飛田走馬さんのご挨拶です」
わああああ、と観客も関係者も声を張る。やべ、昔を振り返ってたら暗記した挨拶文全部マッハでどっか行った。走り去るとはわかってるじゃないか。
こういう場って慣れてないし緊張するから全然だめだわ。みんなが俺のこと見てるし。
マイクを受け取って思いっきり息を吸い込んだ。これしか思いつかねえ。
「行くぜヤロウ共おおお!」
うおおおおお!!!
よし、盛り上がった。
隣で父ちゃんと、あのまま俺と二人三脚でトレーナーにまでなってくれた柏木さんが吹き出し、母ちゃんがため息をついて、妹はチェーンソーを担いだまま……お前それは置いてこいよ、とにかく妹がやれやれと遠くを見ているのが分かった。ちなみに俺の愛機「ランホース」にはちゃんと「安全第一」ってステッカーが貼ってある。
思いついてから四年、なんとかここまでこれた。スポンサー探したり筋トレしたりルール制定したり筋トレしたり会場探したり筋トレしたり認知度上げるためにPR活動したり筋トレしたりすげえ大変だった。
たまに「障害者を見世物にするのか」とか「娯楽の道具にするな可哀想だ」とか、そんなクレームもきたけど。妹がチェーンソーを携えて真摯に対応したらみんな黙った。皆さん安心してください、妹はただの木こりです。
いよいよ始まる。これで言い出しっぺの俺がビリだったら笑えない。
とりあえず英語の成績1だった俺が考えた名前なんてこんなもんなんだけど。
車椅子レース「カーチェアー」は、今走り出したばかりだ。
END