はっせん花と赤い髪の女
【鳥神様の世界】『紫陽の女神と生命の円環』
「十五 星と花と妹(Aigialeus)」の後から
「1 侍女とイケメンと花」の前までのお話です。
番外編ですが、この話だけでも読めます。
ああ、私のかわいい坊やはどうしているかしら。
最近窓から顔を出さないあの子。私が散っている間に、また場所替えをしたのかしら。
「ねえ、そこの鳥さんたち。あの窓をのぞいてくれない?私を愛でてくれた坊やが住んでいるはずなの。」
大きい鳥さんが答えてくれます。
「ああ。あの青年は、去年散って枯れて、次の世界に行ったよ。」
「そんな……。ねえ、鳥さん。私をくちばしにはさんで、坊やの世界に連れていってくれない?」
今度は小さい鳥さんが提案してくれます。
「それならば、あちらの世界に花の精霊として連れていってあげましょうか?」
「まあ素敵!」
「だけど向こうにいられるのは、この世界で花が咲いている間だけだ。それを過ぎればこっちの花が散って君も枯れるぞ。」
喜ぶ私に、大きい鳥さんが注意をします。
「それでもいいわ。連れてって。」
異世界での坊やは、姿形は変わっていたけれど、私を植えてくれた年頃に育っていました。私は人の姿で、坊やをこっそり見守ります。
夜になって坊やが家に帰ると、私は夜の寒さをしのげる場所を探しました。
人間は歩けて便利だけれど、夜には温かい寝床に入らなければ死んでしまうらしいのです。夜に星を見ようと外に出た坊やが、白い服の女性に言われていたことがありました。
うろうろと森をさまよっていると、高い窓から手招きする女性がいました。
「そこのドアから入ってらっしゃい。」
私が指ししめされたドアから中に入ると、高い窓にいたはずの女性がドアの前に立っていました。
「ようこそ! そちらに座ってお水をどうぞ。」
どうして女性は私がとても水を飲みたかったのがわかったのかしら。ありがたくいただく間、女性が話しかけてきます。
「変わったオーラをしているわね。花の精……かな?」
「そうです。鳥さんたちに、くちばしにくわえて坊やのところへ連れていってと頼んだのです。」
「ああ。それは鳥神様よ。あなたツイてたわね。で、坊やっていうのはどの子なの?」
「明るい時に、そこの泉にいた金の髪の子です。」
「ああ。それは私の弟子よ。なるほど、あの子の生まれる前の世界の花なのね。」
「そうです。」
「……見たところあんまり時間がなさそうだけど、どうするつもりなの?」
「枯れるまで坊やを見守り続けます。」
坊やが場所替えをして会えなかった間の寂しさを思うと、私は会えないくらいなら枯れてしまった方がいいと思いました。私の言葉を聞いた女性は、ほほに手をあてて考え込みます。
「花には花の生き方があるでしょう? 花を咲かせて種を残せばいいんじゃないかな?」
「そうですね。いい考えです。でも、この体で種が残せるでしょうか?」
「任せておいて!」
数日間、女性の家に寝起きをしながら坊やを見守りました。女性のくれる「魔法の水」を飲んでいると、次第に髪の色が紫から赤に変わっていきました。
女性の手助けで、種を作ることもできました。人の体では、種ではなくて子をお腹に宿すのだそうです。
そうしてついに元の世界に戻る日がやってきましたが、人の子はすぐには生まれません。
私はひとがたの精霊の体のまま元の世界に戻り、誰にも見られないうちに自分の花の中に入りました。
数日後、私の花は散りました。また来年まで眠りにつきます。
次の年、花の季節。また今年も咲くことができました。けれど坊やはいません。私が悲しくなった時、私の葉の茂みの中から、一羽の小鳥がはい出てきました。青い小鳥です。
「この子は、日があるうちは私たちと一緒に飛び回って色々学び、日が落ちたらあなたの茂みで眠るようにしましょう。」
近くの枝から舞い降りた小さい鳥さんが、鳥神様がそう言いました。
「坊やはいなくても、君にも幸せが訪れたな。」
大きい鳥神様が言いました。私がその言葉を本当に理解するのには、いくらも時間はかかりませんでした。
青い小鳥は毎晩私の茂みに戻っては、色々なことをさえずって教えてくれます。
海に行って海賊船を見たこと、病院の窓でお医者さんの卵が勉強するのを一日聞いていたこと、近くの学校で子供の遊びを覚えたこと、入院患者がマンガを見せてくれたこと。
沢山の話を聞くうちに、また私が散る時が訪れます。来年の花の時まで、鳥神様とあの森の女性が青い小鳥の世話をしてくれるそうです。
これほど散るのを惜しく思うのは初めてのことでした。私がいない間、あの子が散ってしまうことはないかしら。危ない目にはあわないかしら。……私が来年咲けなかったらどうしましょう。
「お母さん、安心して眠ってね。そしてまた来年元気に咲いてね。」
あれから何度、あの子と花の時期を過ごしたでしょう。私はもう、次に咲くことはできないでしょう。根っこから枯れる時がきたのです。
坊やがいなくなってから寂しかったのがウソみたいに、この子との時間は幸せでした。まだ小さいこの子を、育ててくれる人に頼まなくてはなりません。
鳥神様の力で再びひとがたの精霊の姿になって、あの女性の森の家を訪ねました。
「いらっしゃい。よく来たね。娘さんも大きくなったね。」
女性が顔を向けた方を見ると、小さい女の子が立っていました。あの青い小鳥だったあの子が、ひとがたの子供になっていました。
「まあ、あなた。ひとがたになれたのね。いらっしゃい。お母さんに抱きしめさせてちょうだい。」
初めて抱きしめた我が子は、柔らかくて、温かくて、幸せの香りがしました。
「おかあさん……」
「あなたの髪は、お母さんの花と同じで、一色じゃない色々な紫なのですね。」
「うん。」
ひとがたの我が子は、鳥の時のようには上手に話せないようです。人と鳥とでは、成長のスピードが違うのでしょう。
「明日には父親の館へ案内しよう。」
「はい。ありがとうございます。」
次の日から、この子の父親の館に住むことになりました。あの森の女性もよく顔を出してくれます。何から何まで彼女のおかげです。あの日、あの年、そのまま枯れてしまわなくてよかった……。
この館に移ってから、時々坊やの姿も窓から見ることができます。立派に成長しています。あの時とは逆に、私の方が寝たまま窓から坊やを見ています。もう起き上がれません。枯れる日も近いようです。
あの森の女性が、この子の姉を連れてきてくれました。年が離れていて、まるで親子のようです。忙しい森の女性に変わって、優しそうな姉がこの子の世話をしてくれるそうです。
「私がいなくなった後は、よろしくお願いします。」
「そんなことおっしゃらずに、お大事になさってください。」
この館の人たちには、私は病気だということになっています。私が花の精霊だというのは、あの森の女性と娘の父親しか知りません。
娘の父親も一度、お見舞いに来てくれました。お別れの時です。
「花の一生は短いのだな。」
「幸せな一生でした。娘のことをお願いしますね。」
「……ああ。分かった。」
「私の可愛い小鳥ちゃん。こっちに来てちょうだい。」
「おかあさん!」
「お母さんはまた散る時になりました。安心して眠れるように、元気な顔を見せてちょうだい。」
「おかあさん!」
私の娘。私の幸せ。最後に我が子の頭をなでた時、私の体は花びらの集まりに変わりました。
すこしずつ花びらが透明になって消えていく中、青い髪の彼がぎこちなく娘を抱きしめるのを見て、私の心残りは全て消えました。
最後の一枚の花びらが消える前に、小さい鳥神様がその花びらをくちばしに優しくくわえました。
『次はどの世界に生まれ変わりたい? 人間になりたいかい?』
大きい鳥神様がさえずる声で私に聞きました。
「いいえ。私はあの世界で、またアジサイになりたいです。八仙花の名にふさわしく、色々な幸せを探してみたいのです。」
「そうか。では!」
二羽の鳥は、まぶしい太陽の中へと、私を連れて飛び立ちました。
おわり