王子の思い
アルターナの王宮と聖堂では教皇と国王の協議がここ最近、頻繁に行われている。
教皇側は神殿にて聖女に神力があるかを確認したいと申し出て来た。聖女は行方不明ではあるが、申し出を受け入れてしまえばそのまま神に仕える者として婚姻が難しくなる。婚姻も神託が必要となってしまう。ただでさえアッシュレはリチャード伯爵令嬢との婚約破棄が出来ずにいる。アルテシアが行方不明である以上、リチャード伯爵令嬢が王太子妃候補に相応しい事となる。アルテシアが見つかるまではリチャード伯爵も引かないつもりであろう。
執務を終えて部屋に戻ったアッシュレは気が重かった。バガラルの訪問の準備も着々と整ってきているが、肝心のアルテシアがそこにいるか定かでない。
(まだ、アルテシアが魔力を使った知らせが来ない。他国に行ったのであろうか‥。今、出国は難しい筈だが‥。このままだとバガラルはクラウドの始末だけになりそうだな。)
アッシュレは幼い頃からクラウドが気に入らなかった。自分は、第一王子だと言うのに父親からはなんの関心もなく、国王は側室のエレンの宮殿に入り浸っている。だからといってクラウドを可愛がっているわけではない。アッシュレが気に入らなかったのはクラウドは母の愛情を一身に受けていた事だ。国王は母がアッシュレを産んだら用済みの様に母の所に通わなくなり、母は贅沢を求める日々に明け暮れた。父親に似ているアッシュレなど可愛くもないのか、必要以上に接する事もなかった。
幼少時期に、クラウドとエレンが一緒にいる所を偶然目にした。エレンは第一王女を身篭っており腹が大きく、クラウドがエレンの腹に耳を当てて幸せそうに母親を見つめていた。アッシュレは無性に腹が立った。何故、自分が愛されないのにクラウドは容易に愛を味わえるのか?あの笑顔が憎らしく思った。
クラウドはアッシュレに劣らないぐらいの魔力があると言う。何故、クラウドにだけ神は二物を与えるのか?と、思うと無性にクラウドが気に入らなかった。
しかし、事件は起こった。エレンが第一王女を出産し、子供達に対しての愛情が深い事を国王がよく思わなかった。無理矢理、妾として宮殿に入れられたエレンの気持ちは子供達に一心に向けるしかなかったのだが、国王はそれを許さなかった。
エレンから子供を取り上げて、塔にエレンを閉じ込めてしまった。
それから数年後、エレンは子供達と引き離された悲しみと絶望の余りに心を病んで、自ら命を絶ってしまった。
アッシュレはそれを悲しむ事はなかった。寧ろ心から喜んだ。クラウドから愛を取り上げた気分だった。あのクラウドの悲しみと絶望の顔を見たら優越感で満たされた。それからはアッシュレは、クラウドを苦しめる事で自分が満たされる事を知った。
アッシュレは成人を迎え、王太子妃を探す為夜会に参加する様になった。どの令嬢も妃になりたいのか美しく着飾り、アピールもしてくるが同じ様にしか見えない。
アルターナでは魔力のある令嬢が妃に迎えられる事が多いが、アルテシアの妹もそうだが年頃の令嬢で魔力を持っていても蝋燭の火をつける事や小さな旋風を起こしたり出来る程度だ。
女性の魔力使いはほんの僅かしかいない。魔力を持っていれば誰でもいいわけでは無いので他の令嬢にも妃になれる可能性は多いにあった。
令嬢達も我先に駆け寄って来る。アッシュレが目を止めたのは何の興味も無いのか壁の花になっているアルテシアだ。彼女は美しかったが少し控えめな感じだった。何よりもかつてのエレンとよく似た暖かさを感じる。アッシュレの目からアルテシアの姿とエレンの姿が重なった時、異様な独占欲が生まれた。
(欲しい‥‥)
アッシュレは思った。かつて自分が得る事が出来なかった愛を手に入れる事が出来ると……。
それからは事は簡単に進んだ。アルテシアの父親が侯爵だと言う事と宰相補佐という身分で婚約者候補に挙がっていた事が幸いした。アルテシアが花嫁修行で王宮に入り、直ぐにでも自分の元に置きたかったが婚姻が済むまではと王宮に閉じ込め監視した。滅多に外には出さないようにした。アルテシアには閉じ込めている事を気付かれないように、アッシュレも極力アルテシアには近づかなかった。エレンの様にしたくはなかった。
しかし順調に成婚式まで、もう少しだったが邪魔が入った。リチャード伯爵の令嬢がある程度の風属性の魔力が目覚めた。国王から打診が出た。アルテシアの婚約を辞めてリチャード伯爵の令嬢を王太子妃にと言われた。
(嫌だ!アルテシアは私だけのものだ!)
アッシュレは断ろうと思ったが、国王もアッシュレの反応は予想していた。
『アッシュレ、王太子妃と言っても子を宿せば側妃や妾を取るのも自由だ。アルテシアが欲しいのならまた側妃にでもすれば良い』
『しかし、その間にアルテシアが他のものと婚姻するのでは?』
『そんな話は潰すのは容易に出来る。いき遅ればいき遅れる程、側妃に迎えやすい』
アッシュレは父の話に納得した。アッシュレはアルテシアの子供が欲しいわけではなかった。アルテシア自身が欲しかった。
そして、アルテシアの婚約撤回に踏み切った。
(アルテシア、少しの辛抱だ。直ぐに私は君を迎えに行く)
アッシュレは謁見室から出て行くアルテシアの後ろ姿を見つめながら固く誓った。
コンコン
ドアの叩く音で、アッシュレは我に返った。
「こんな夜更に何事だ」
ドア越しから側近の声がした。
「殿下、夜更に申し訳ございません。クラウド殿下からの報告の使者が到着しまして」
「分かった直ぐに会おう」
アッシュレは疲れなど忘れた。待ちに待った、報告だ。内容は聞かなくても分かっていた。クラウドの報告はアルテシアの事しかないからだ。
直ぐに謁見室に向かった。謁見室には既に使者が待機していた。
「勿論、良い報告だろうな?」
「クラウド殿下から大きな魔力を捉えたとの事です」
「で、場所は?」
「魔力の発生源の場所と離れていた為、町で発生した事までしか分からなかったとの事です」
「では、近くに少年がいたかどうかは分からないな」
「はい」
「アルテシアに逃げられたら困る。クラウドはその町で留まらせろ。そうだな……クラウドの見張り役に例のものを使う様に伝えてくれ」
「例のもの?」
「お前は知らなくても良い。二週間後には私もバガラルに行く。それまでに使えとな……」
「畏まりまた。直ぐにバガラルに参ります」
謁見室を出たアッシュレは浮き立つのを抑えるのに必死だった。自分の読みは間違ってなかった。シスターや神父は自分が神に歓迎されていない様な事を言ったが、間違いなく神はアルテシアの元に自分を導いている。今度こそ必ず、アルテシアを手に入れる事が出来る。かつて、手に入れる事が出来なかった愛を手に入る。アッシュレは笑いが込み上げてきた。
アルターナの使者をバガラルの港で男が一人、待っていた。アルターナからの指示を受ける為だ。
アルターナの船から使者が降りてきた。使者は男に耳元で告げる。
「殿下からの伝言だ。例のものを使え」
男は耳を疑った。
「殿下が?何故?」
「私は殿下からの伝言を伝えに来ただけ、詳細は知らぬ。10日もすれば、殿下もバガラルに来る。それまでにとの事だ。クラウド殿下は町に留まる様にとの事だ」
使者はアルターナの船に乗り去っていた。男は動けなかった。懐に入れた薬の瓶を握りしめ見つめた。
「何故だ……。何故、俺なんだ……」
暫くして、男は諦めたのか港を後にして町へ向かった。