32話
今度こそ負けたくないという強い気持ちを持つセリアは、襲いかかるGを受け止めた。
でもあのときとはもう違う、予想できなかったGに身体が追いつかないという失態は冒さない。それだけの練習を積んできた。
早く、一秒でも早く、追いついて抜きたい――!!
セリアの前へ前へという願いにストームブルーは応え、忠実なトレースによってじわりじわりと差を詰めていく。
行けるか、と心に希望が生まれた瞬間に、違和感を覚えてセリアは瞬きをする。
今、なにかが変だった。
マークのストームブルーが、ぶれたような……。
『セリア! トレースはするな! ただの揺さぶりだ、ソフィアのルートを忠実になぞれ!』
ツァーリの声にセリアは慌てて『了解!』と応える。
今のは、本当に助かった。マークに誘われて、その真意に気づかないまま、差を広げられるところだった。
マークはセリアより熟練した操縦技術を持っている。その技術の全力を持って緻密で繊細なルートで飛ばれたら、セリアはトレースしているつもりでもしきれず、結果、タイムロスが生まれる。
差を詰めるためには、『セリアの最善のルート』を惑わされずに泳がなければならない。
「ソフィア! ルートからずれたら叱ってくださいね!」
『了解! 私の数値だけ見てて!』
つられて動かないように、ただ自分の泳ぐ道だけを見る。
ちらり、ちらりとセリアを誘うようなマークの動きを無視し続けると、マークも小細工は通用しないと諦めたようだ。
再び二機は同じコースを飛び続けることになった。
『隕石急接近! 回避ルートは二つ! 星群3番機は十四秒後、隕石回避のために二時方向のルートを選択するはず! こちらも同じルートになるけれど、セリアに合わせてルートは少しずれるわ!」
ソフィアからマークとは少し違うルートが送られる。トレースをしたら、離される。セリアの最善とマークの最善は違う。
『……いや! セリアの機体なら十一時方向への回避がいい!』
通信に突然割り込んできたのは、セリアの専属整備士のロレンツォだった。
ソフィアは計算上の最善のルートを選択したが、ロレンツォはセリアに合わせた機体ならと別のルートを推す。
「ソフィア! 十一時方向ルートで行きます!」
『……了解、修正データをすぐに送るから! 私もチームメイトを信じる!』
マークの機体とは逆方向にセリアは向かう。
自分だけなら、ソフィアと同じルートを選んだだろう。
でもロレンツォは、今はもうセリアよりセリアの機体のことをよく知っている。
急加速と急減速に特化した癖のある機体を、誰よりも理解している彼の言葉は、理論上を越えた答えになっているはず。
『ロレンツォ! 最高のアドバイスをありがとう! セリア、ハッピーなニュースよ、十秒後、〇.二秒差をつけて星群3番機の前に出る!』
「本当ですか!?」
再修正データを忠実になぞりながら、セリアは胸を高鳴らせた。
回避中のこの隕石は、回りながら飛んでいる。この回転と上手くタイミングが合えば、ルートが短くなるし、タイミングが悪ければ長くなる。
複雑な計算式からはじき出された希望に、セリアは全力で挑む。
「ここで抜く!」
幸運のチャンスがあるとしたら、今回限りだろう。あとは自力で作るチャンスしかない。
『難しいコースよ、計算上はこれでいけるけれど、あとはセリアの感覚で調節して!』
ソフィアからの頼みに、セリアはわかりましたと大きく頷く。
隕石に擦らない限界ぎりぎりのラインをセリアはとっていく。いやもう擦ったと言えるぐらいだ。
際どすぎるところでセリアがストームブルーを切り返せたのは、ロレンツォとひたすら『反応速度』を重視した設定を追求してきたから。
右に動きたいとセリアが望めば即座にその通りに動く。
加速したいと思えば即座に最高速度が出る。
AAAをとったバランス型の船外活動士である自分なら、ストームブルーのオートバランスが機能しなくても、手動でバランスを整えることができる。
スピードを最重要視したディックとは違う、セリアのためのセリアの設定に応えてくれた整備士を信じ、セリアはゴールを目指して泳ぐ。
「これでも駄目!?」
だが相手は流石は現役の船外活動士だった。簡単には抜かせてくれない。
計算では〇.二秒差をつけてセリアが前に出るはずだったのに、現実はマークがセリアの〇.五秒差で前に出た。
――今ので抜けなかった。ディック相手でも抜けたはずだったのに。
「……流石は本物の船外活動士ですね!」
マークは手強い。本当に難敵だ。
それでも抜かなければならない。見送ってくれた仲間達の想いを、セリアはこの泳ぎにぶつけなければならない。
『ゴールまで残り一〇〇〇、カウントはいる!?』
「はい! 残り二〇〇で抜きます! 三〇〇になったらカウントをお願いします!」
『“ARG”をやるつもり?』
「今ので駄目なら、切り札に賭けるしかありません! ツァーリに伝えてください!」
〇.五秒遅れのセリアは、マークのうしろ、自動減速装置が作動しない位置にストームブルーを張り付かせた。
残り二〇〇でしかけるまで、セリアは振り切られないよう粘り続けるしかない。
そしてマークは、このままの差を保ってゴールへ行きたいと思っているはず。
『残り五〇〇。――月面1番機が二十秒後にゴール予定! 次いで星群1番機が〇.八秒後!』
「了解! ディックが予定通りなら、あとはわたしだけですね!」
ツァーリの予想通り、一位と二位は月面と星群がそれぞれ一つずつ勝ち取ることになるだろう。ディックなら、ツァーリと皆の期待に見事応えるはずだ、それも最高の形で。
『残り四〇〇!』
セリアは祈るような気持ちで操縦桿を握る手に力をこめる。
これが本当のラストチャンスだ、失敗は絶対に許されない。
セリアはARGができるから第一グループに入った。味方を逃がすために、もしくは自分が三位以内にゴールをするために。
『残り三〇〇! カウントを開始します! ツァーリと替わるわ!』
「了解! ツァーリ! 準備はできてますか!?」
『ああ、できている。あとは……――信じろ!』
信じろと言われ、信じることができる幸せ。
セリアはツァーリに勇気をもらい、ソフィアのカウントに合わせ、自分も脳内でのカウントを開始する。
――3 2 1 ……ゼロ!
「ストームブルーを自動操縦から手動操縦へ! 距離計測機能のオフを確認! 星群3番機、今から抜きます!」
残り二〇〇、カウントゼロの瞬間、セリアはストームブルーを自動操縦モードから手動操縦モードへと切り替えた。
切り替えにかかったのは、二.八秒。
ツァーリが理論上は三秒かかると言ったが、セリアは更に短縮した。
外から見ているだけでは、モードが切り替わったことが全くわからないほどの、滑らかな切り替えができたはずだ。
(ここからが本番! ……信じて、自分を、なによりみんなを……!!)
この手動操縦モードは、計器が故障した場合に行う緊急操縦方法だ。グリーンランプがついているときには、絶対に行われない。
自動から手動に切り替われば、自動姿勢制御や自動照準補正機能等、ストームブルーに任せる細かい修正が効かなくなる。つまりセリアの操縦の手間が増え、逆にスピードが落ちる意味のない行動なのだが、セリアとツァーリは『切り札』としてずっと練習を重ねてきた。
『ARGの作動まで残り三秒!』
セリアとマークの航海士がARGの作動を警告する。
マークには、セリアがなにをしているか理解できなかった。このまま接近すると、双方のストームブルーのARGが作動し、同じタイミングで急減速する。
セリアの急接近の意味することはなんだと、マークは必死に考えた。
――うしろに他の月面機が控えてるのか……? いや、距離がかなりある。それにこれは1to1じゃない。あのときのように際どく接近して、どんな意味が? ただの揺さぶりか?
マークが望んだ答えは、味方からもたらされた。
いつの間にか指揮権を奪っていた『クイーン』が、通信で違うと叫んできたのだ。
『セリアはストームブルーの操縦モードを手動に切り替えて、距離計測機能をオフにしたのよ! こっちのストームブルーはARGが作動するのに、セリアのストームブルーは作動しない! ……抜かれるわ!』
「手動!?」
その言葉通り、マークのストームブルーは警告音を発し、緊急減速を始めた。
セリア機が接近したため、ストームブルーのARGが作動したのだ。
だがセリアはスピードを緩めず、全速力でマークの真横を駆け抜けていく。
……嘘だろう、とマークが呆然としたとき、クイーンからの叱咤の声が響いた。
『ぼさっとしていないで、再加速しなさい! 一度操縦モードを手動に切り替えたら、面倒な手順を踏まないと自動モードへの切り替えはできない! 今のあの子に、そんな余裕なんてないわ!』
セリアがマークを抜いても、まだゴールまで距離が少しある。その間にも隕石は飛んでくる。セリアは避けながら飛ばなければならない。
自動モードへ切り替えるための手順を、飛びながら行うのは不可能だ。セリアにはこのままゴールまで手動のまま飛び続ける道しか残されてない。だから残り二〇〇でしかけてきたのだ。
『手動なら、まだこちらにも希望がある! 隕石相手に距離計測機能なしで回避しようなんて、自殺願望者のやることよ!』
ユーファの指摘を聞き、マークは再びペダルを踏んでストームブルーを加速させる。
すぐにトップスピードに乗せ、セリアを追った。
一方、前に出た側のセリアは、焦りで額に汗を滲ませていた。
マークを抜いた喜びに浸ることは無理だった。現在、ストームブルーと隕石との間の距離を測る機能がオフになっている。このストームブルーでは、目視での操縦しかできないという大変危険な状況だった。
けれど、ツァーリなら、とセリアは信じている。
ツァーリは自分の操縦の癖を知っている。それを踏まえて数値を指示することができる。AAAという資格を持つ彼なら、セリアがしなければならない細やかな修正を全て数値にして指示できる。
『次! 二時方向、距離五〇! 九時方向、距離三〇――……七時方向、距離二〇……減速なしで突っ切れ!』
「了解!」
ツァーリの精密なナビゲート。そしてそれに応える正確な技術を持つセリア。
ここからがAAAの二人にしかできない『ARG』だ。
「頑張って、ストームブルー! あと少しですから!」
誰もが祈るような気持ちでセリアの残り距離を表す数値を眺めていた。
セリアは歯を食いしばりながら、必死にツァーリの言う通りに微調整をし、エンジンの最大出力を保ち続ける。
『残り、距離一〇〇を切りました! カウント開始!』
早く、早く距離を縮めたい。マークがじわじわと詰めてきている。
――このまま、逃げ切らなければ……!
『今、ディックが一位でゴールした! 行け、セリア!』
明るい声が、月面カレッジ勝利の可能性をセリアのストームブルーへ届けた。
それだけでは終わらず、沢山の応援の声がセリアを励ましていく。
『残り少ないぞ! 速度を落とすなよ!』
『援護射撃の恩を忘れるな、絶対に三位でゴールして返せ!』
『うしろは気にするな、大丈夫だから!』
『そのまま行けば抜かれない、仲間と己を信じろ!』
仲間の声だ。みんな飛んでいる最中なのに、音声通信を使ってわざわざ届けてくれた。
それはマークに抜かれまいとうしろを気にしすぎていたセリアに、再び前だけを見る勇気を与える。
『一番機ディックだ! 一位でゴールしたからな! オレは言われたことをやった! なら次はお前だ、コギト・エルゴ・スム!』
「――ディック!」
自分もそこへ行きたい。速さの限界に挑んで勝ち、栄光を掴みとりたい。
セリアの意識から、ついにマークが消えた。
ただ、ただ、一秒でも速く、限界を越えたい――!!
『今は前だけを見てろ! セリア、行け!』
ツァーリの応援に、はいと応えはしなかった。
最速でゴールすることが、返事だ。それが今、周りや後ろにいる人へセリアに唯一できることだった。
『ゴールまで残り一〇! カウント開始!』
ソフィアの最後のカウントが始まる。
セリアからも、目視でゴール地点が見えた。
ディックのストームブルーが、栄光と共に待っている。
『9 8 7 6 5 …』
「絶対に、わたしは負けない!」
『…4 3 2 ――1』
「お願い、このままの速さを――!!」
超速で進むストームブルーから見える光景は、まるでスローモーションのようにゆっくり流れていた。
極限状態の中、体感速度が狂ったのだろう。
セリアの頭が、冷静に現状を把握する。
ストームブルーが、ついにゴールポイントを通過していく。
ディックのストームブルーが歓迎するようにライトを点滅させている。
そして少しうしろに……マークのストームブルーがいた。
『――ゴール! ……ゴールゴール!』
ソフィアの興奮した声に、セリアの体感速度は一気に元に戻る。
なにが起きたのか、まだ頭は理解できていなくて、ぽかんと間抜けな顔をモニターに向けてしまった。
『セリア! ゴールしたぞ! 三位だよ、三位!』
通信が入り、ロレンツォの声がストームブルー内に響く。
え? と戸惑っていると、ケイの声も聞こえた。
『勝ったんだよ、勝った、月面が勝った!』
ソフィアのマイクからだろう。通信室にあふれている歓声が、セリアの耳にまで届く。
それに直接通信で届く仲間の喜びの声。それでやっと勝利したことを、セリアは理解できたのだ。
「やっ……たあああああ! 月面の勝利ですよね!? 一位と三位で、月面カレッジの勝ちですよね!?」
同意するはずのソフィアの声が聞こえず、あれ? とセリアは首を傾げる。
おめでとうと皆が言ってくれるのに、ずっと一緒に泳いでくれたソフィアの声は、ゴールを宣言したあとは一切聞こえてこなかった。
「ソフィア……?」
どうかしたのかと呼びかけてみても、無反応だ。
通信室の騒ぎは届いているから、ソフィアのマイクがオフになったというわけではなさそうなのに。
『セリア、ソフィアは号泣中だから、おめでとうはまた改めてな』
「ロレンツォ!」
『おめでとう! 絶対にやると信じてたけど、やっぱり嬉しい!』
いつだってセリアのわがままに応えてくれたチームメイトのロレンツォから、祝福の言葉をもらう。
「ロレンツォも、おめでとうございます! これはわたしたちチームの勝利でもありますから。ソフィアも、おめでとう! 一緒に泳いでくれて、本当にありがとうございます! 最高のチームが組めて、本当によかった……!」
『こっちこそありがとう! チームプレイの勝利って、すごいな……!』
「はい、本当に……個人の勝利では味わえないものです!」
チームプレイの勝利に浸ったのは、セリアたちだけではない。
通信室の航海士は全員が立ちあがった。
ドックで待機している整備士達は、手に持っていた工具をわっと一斉に放り投げた。
大講堂の生徒達は、拍手と歓声を響かせ、見知らぬ学生と抱き合い、大喜びする。
チームでの勝利は、初めての経験だ。
皆で戦った、皆で応援した、そして皆で勝利した。
個人の勝利とは違う喜びがたしかににある。
喜びが一人では処理できず、誰かと勝ったと騒ぎたい気持ち――これがチームプレイでの勝利で得る喜びだと知った。
『さあ凱旋だ! 行くぞ!』
ディックの言葉に、セリアは大きくはいと頷く。
今、誰もが誇らしい気持ちでいっぱいだった。誰もが月面カレッジの生徒でいることを選んだ自分を、肯定できた。




