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月面のジーニアス  作者: 石田リンネ
第四章 Glory to コギト・エルゴ・スム!
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26話

「ああ、やっぱりそのままにして! きちんと冷やさないとあとですごく腫れますよ!」


 ツァーリの部屋にセリアは問答無用で入る。

 今は幼馴染み意識が勝ってしまい、男の部屋への入室に戸惑いや躊躇いはなかった。


「はい上を脱いでください。ばんざーい」

「……お前、俺を幾つだと思ってるんだ?」


 ツァーリはため息をつく。しかしここで大人しく脱がないと、駄目ですと子犬のようにきゃんきゃん連呼して鬱陶しいことこの上ないので、無言で上を脱いだ。


「うううっ痛い……痣できてますよぅ……」


 セリアにとってツァーリの手当というものは、かつては日常だった。そのおかげで応急処置の手際は極めてよい。

 自分が怪我をしたかのように痛い痛い言いながら、湿布を切ったり貼ったりしていく。


「もうケンカはしないって言ってたじゃないですかぁ……」


 痛そうな怪我を見たセリアは、うううと呻く。

 今はAAA(トリプルエー)で模範的な立ち居振る舞いを要求されているのに、そして大人になってできるようになったと思っていたのに。


「……昔は五対一でも余裕だったのにな。四対一でこの様だ、腕が鈍った」

「途中から多数対多数でしたよ」


 四対一で始まったケンカは、途中から多数対多数の乱闘へ変わった。

 果たしてディックはツァーリを殴れたのだろうか、ちょっと気になっている。


「はい、これで終わりです。――痛くないですか?」

「別に」


 最後に口の端へ絆創膏を貼って手当は終わる。

 セリアは応急手当セットをしまいながら、処分がどうなりそうなのかとツァーリに尋ねた。


「反省文で済んだ。月面カレッジにはまだ乱闘主犯の処分規定がないらしい。今回が初めてだったのが幸いだったな」

「あ~ほっとしました。貴方、副実行委員長で当日は司令塔(コマンダー)なんですからね。ここで停学になったらどうするつもりですか? ……あれぐらい、わたしは慣れてますから、あんなに怒らなくていいんです」


 ツァーリは返事をせずに、脱いだ制服に再び袖を通す。

 あのあと、大人達にどうしてこうなったんだと何度もしつこく訊かれたが、『コーヒーを間違って零したのが原因』で押し通した。絶対に『セリアに対しての暴言が原因』なんて言うつもりはない。セリアに責任を負わせることは、ほんの少しでさえもしたくなかった。


「……やっぱり少し痛い、膝を貸せ」

「うぇ!?」


 ツァーリの頭がセリアの膝に乗せられる。

 これは、これはいわゆる膝枕!? とセリアは突然やってきたラッキーサプライズにあわわと顔を赤くした。

 さらさらの金髪がとてもくすぐったい。けれど耐えた。こんなこと、二度とないかもしれない。


 ――女と意識されない幼なじみ万歳です! 今は喜んで、あとでちょっと悲しんでおきましょう!


 よしと決めてセリアは震えそうになる手をぎゅっと握る。

 ツァーリは心の中が慌ただしいセリアとは対照的に、いつも通りの冷静な声で、ぽつりと呟いた。


「お前、なんでこんなことやり出したんだ?」


 膝の上で話されると、振動が伝わってきて更にくすぐったい。しかしそんな場合ではないと、必死にまともに頭を働かせようとする。


「対抗戦のことですか? それはもう前にも……」

「その一歩前、心境の変化だ。そっちは聞いていない」


 対抗戦に勝つことで、残ったみんなに自信を持ってもらいたいとセリアは前に言った。


 ――けれど、なぜそう思えたのか。


 今までのセリアなら、対抗戦をしようなんてことは言わなかったはず。

 ツァーリの疑問に、セリアはそうですねと優しく微笑んだ。


「ユーファにわたしの気持ちがちゃんと伝わって、自信がついたからでしょうか。もう一歩、他人と関わることに挑戦したくなったんです」


 離れていても親友に変わりはないと、確信を持ってユーファとは別れることになった。

 ユーファは前に進む大きな決断をした。いつか同じ船長になるために。

 ならば自分も負けていられないとセリアは奮起した。そんなときに降ってきたチャンスだったのだ。これを生かさなくてどうすると、必死に食らいついた。


「それにエーヴェルト、貴方のおかげもあるんです。貴方、いつも足が速いから……わたしはついていくのが大変なんです。いつもわたしはうしろを歩いているけど、せめて一歩前に出て、貴方のななめうしろを歩きたい」


 セリアは細い指でツァーリの髪をそっと撫でる。

 足が速いの意味は、物理的な意味ではない。精神的な意味だ。

 ツァーリはいつだって前を向いている。セリアがどうしようと迷うときには歩き出している。そんなついていってばかりの自分では嫌だ。早くツァーリに追いつきたい。

 

「馬鹿だな……そんなの、もうとっくに……」


 ツァーリがなにかを言いかたとき、セリアの端末がぴろんと音を鳴らす。

 慌ててセリアはツァーリから手を離し、端末を手にとって『はい!』と出た。


『掃除は終わったよ、そっちはどうなった~?』


 乱闘のあと、実行委員会の株が下がるのはよくないとセリアは教師への謝罪に走り回り、ケイはサポーターに招集をかけ、自主的にカフェの掃除に取り組んでくれた。


「ツァーリは反省文で済みました。手当も終わりましたよ」

『ならこっちに来てみんなにねぎらいの言葉かけて。心配してるからさ、君とツァーリのこと』

「わかりました、すぐに行きますね」


 セリアは躊躇いなくツァーリの頭を元の位置へとぐいっと押し戻し、ぱっと立ち上がった。


「今日は大人しくしててくださいね。あと、顔の痣は冷やさないと駄目ですよ」


 幼い子どもに言い聞かせるお姉さんのような口調でセリアは念押しし、ツァーリの部屋から出る。

 残されたツァーリは、苛立ちに任せて枕を殴りつけた。


「……ソイソース男、あとで泣かす」


 ケイはたった今、ツァーリの要注意人物リストの上位へ嬉しくないランクインを果たすこととなった。






 乱闘後のカフェは、無残なことになっていた。

 皿の上に乗っていた食べ物が散乱し、壁と床と机と椅子をアーティスティックな模様に仕上げていたのだが、対抗戦サポーターによる大掃除が行われ、綺麗さっぱり元の姿を取り戻していた。

 あちこちで、あの乱闘がどれだけ凄かったのか、皆が楽しそうに話している。


「みなさん、大掃除をしてくださってありがとうございました! 本当に助かりました!」


 セリアは集まってくれたサポーターに頭を下げ、次いでツァーリの処分がどうなったのかを説明する。


「幸いにも、月面カレッジ初の乱闘騒ぎという不祥事でしたので、まだ主犯への処分規定がなく、遡って適用するわけにもいかないとなって、ツァーリ……エーヴェルト・ラルセンは反省文で済みました。対抗戦にも参加できます」


 では今日の合同リハーサルについて……とセリアは言おうとするが、ぽんと肩を叩かれた。

 横を見ると、ツァーリがいる。ツァーリはぐっと手に力を入れて、セリアをうしろに引かせ、一歩前に出た。


「――ご迷惑をおかけして、すみませんでした」


 深々と頭を下げたツァーリに、セリアだけでなくサポーターの生徒達も唖然とする。

 あのツァーリが謝ったという衝撃から、先に正気を取り戻せたのは女生徒だった。


「いやー! ツァーリ! 頭下げないで!」

「謝らないで~格好よかった~!」

「一生ついていくからー!!」


 爆発したかのような女性のトーンの高い悲鳴にうんざりしたのは、男子生徒だった。


「なあ、頭下げてどうしてこうなる。評価してやりたいのに評価できないのは僻みか!?」

「顔だろ顔、くそういいなぁ、顔!」

皇帝のクソ野郎ウーブニュードクツァーリ!」


 別の意味でも騒然としてきて、慌ててセリアはツァーリを自分のうしろに立たせた。

 とはいっても身長差のせいで、実は全く隠せていない。


「ああああの! それで、今日の合同リハーサルですがっ! リハーサル後に反省会も行うので、できるだけ残ってもらえると助かりますっ! ではひとまず解散で!」


 今日からはシミュレーターではなく、実際にストームブルーに乗って演習を行う。

 セリアががんばりましょうと言えば、皆の表情が一気に変わった。

 もう対抗戦まで残り二週間を切っている。残された時間は少ないと感じ始めた時期でもあった。


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