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月面のジーニアス  作者: 石田リンネ
第二章 Good-bye クイーン
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11話

「……うん、大丈夫だから本当に。あ、醤油が大活躍、また次に帰ったときに買いこんでおかないとね。あはは、じゃあ」


 ケイはモニターのオフボタンを押し、通話を終わらせた。はーっとため息をついて、椅子の背にもたれて肩の力を抜く。やはり相当緊張していたようだった。

 これで二カ月は持つはずだと思いながら立ち上がると、隣のブースから知っている声が聞こえてくる。


「……それじゃあ、また。次に会うときには、百時間単位をとっていると思います。はい、大丈夫です、元気でいてくださいね」


 ピッという通信をオフにするボタンが押された音のあと、はーっと重いため息。

 ケイは彼女も同類だったのかと、隣のブースを覗きこんだ。


「やあ、セリア。家族と通話?」

「あっ、はい!」

「もしかして僕と同類? 家族と話す割には固い声だったね」


 お茶でもしようとケイはセリアを誘う。もちろん、彼氏面をする怖いツァーリが傍にいないかを、一応きょろきょろ確認してからだ。

 二人はあまり人がいない場所に向かい、校舎外にある緑のアーチの隣の自販機前で立ちどまった。


「サルミアッキジュースがほしい気分です……」


 ここにはない、故郷の味を懐かしんだセリアは、自販機のモニターを覗きこんでからカフェラテのボタンを押す。

 月面カレッジ内の精算は全て網膜認証で行われるため、いちいちお金を入れたりカードをかざしたりする必要はない。


「……それってアレだよね、うん、知ってる」


 サルミアッキとは、ケイの国ではゲテモノ土産として知名度が高い、一度食べたら忘れられないと言われている『あれ』だ。

 ケイはどれだけセリアの気分が荒れているんだろうかと、心配になってしまった。


「ケイはソイソースジュースをほしくなることはありませんか?」

「……そうだね、もしあっても飲んだら死ぬから、飲まないと思うな」

「ソイソースってそんな危険な食べ物なんですか!?」


 ひえっと息を飲むセリアに、ケイは異文化交流って難しいと思いながら紅茶のボタンを押した。

 二人は暖かい飲み物を抱え、ベンチに座る。一口飲んでから、同時にはーっとため息をついた。


「セリアは家族といまいちなの?」

「ううーんとですね、いまいちなんでしょうね。……あの、わたし養女なんです」

「え? ……それって……」


 まさか虐待とかそういう? と言いたげな眼をケイから向けられたセリアは、慌てて違いますと首をぶんぶん横に振った。


「すごく素敵な両親なんです」

「うん」

「でも、わたし、養女になって三カ月後にはNESに入ってしまったんです。NESは隣国にありますから、わたしはそれからずっと寮生活してて……要するに、時間が足りてないんですよねぇ」


 優しい人たちの元でもう少し、せめて一年ぐらい共に過ごせていたら。きっと素直に甘えたり、弱音を吐いたりできたはずだ。打ち解けるための時間が、セリアにはなかった。


「せめて心配かけないように、明るい話題だけで埋めたいんですけど……なかなか。いつも最後に本当に大丈夫? って何回も聞かれて……」

「あ~わかる、わかる。多分ね、親は僕たちの明るい話題じゃなくて、暗い話題を聞きたいと思うんだよね。これは経験談なんだけど」


 ケイは紅茶の容器をゆらゆらと揺らす。

 紅い色の水面に視線を落とし、かつての自分を思い返した。


「僕は反抗期が酷くて、それで両親と拗れたままここにきちゃったんだけど――……ここの食べ物にすぐ飽きて、食欲が落ちて、すると気力も落ちて、気持ちも身体もふらふらしてた。そんなときに親と定期連絡をしなきゃならなくて、うっかり初めて弱音を吐いたんだ」

「帰りたい、ですか?」

「いや、肉じゃが食べたい、ほうれん草のおひたし食べたい、刺身食べたい、煮物食べたい、おでん食べたい、塩が濃いみそ汁飲みたい、キュウリの酢の物食べたい、ひややっこにショウガのっけたい……とまあこんな感じで延々と」

「ホームシックというより、ソウルフードシックですね、それは」


 つい笑えば、ケイも顔を上げて笑った。笑うことで、互いに気持ちが少し楽になる。


「そうそう。不思議なところなんだけど、そういう弱音を吐いたら母親がすごく喜んだ。休暇で帰った日の食卓には、あのとき食べたいって言ったもの全部が載っていてびっくりしたよ」

「……弱音に、喜んでくれたんですか?」

「みたいだね」


 親ってそういうものなのかなとケイは言う。

 セリアもそういうものなのかなと不思議に思いながらも、胸がじわりと温かくなった。


「次の定期連絡で、弱音を吐いてみたらどうかな? あれ食べたいこれ食べたいって」

「サーモンスープ食べたい、とかですか?」

「そうそう。僕はサーモンなら石狩汁かな」


 故郷の味に思いをはせ、二人はホームシックならぬソウルフードシックでため息をついた。まだまだ宇宙の食事事情は改善の余地がある。


「……そういえばさ、セリアは変な噂を聞いていない?」

「変な噂ですか?」


 セリアはよくツァーリと行動を共にしている。そうでなかったらユーファだ。二人とも積極的に噂話を仕入れてくるタイプではないので、セリアは噂というものにかなり疎い。


「なにかあったんですか?」

「いや、まだ不確定事項だから。ごめん、気にしないで。セリアには関係ない話になると思うしね」


 そう言ってケイは立ち上がる。手首のスナップを効かせてゴミ箱へとカップを投げ入れようとしたが、上手く入らなかった。






 ケイの言っていた『変な噂』は、すぐにセリアにも届いた。しかも噂の張本人から、直接話を聞かされるという驚きの展開だ。


「初めまして、私はオズウェル・コールマンと申します」


 月面カレッジの学長から、客人が来ていると直々に呼び出されたツァーリとセリアは、とある一室にて優しげな初老の男性と向き合うことになった。

 ツァーリとセリアの二人にとって、その初老の男性からの自己紹介は必要ない。それぐらいの有名人だ。


「……アドミラル・コールマン」

「ははは、もう引退しましたのでオズウェルと」


 いまここにいるのは、かつて『艦長(アドミラル)』と呼ばれた男だ。数々の武勇伝を持ち、艦長の中の艦長アドミラルオブアドミラルとまで言われていた。

 セリアにとって、目標であり、憧れであり、夢の象徴であり――……話せる機会がくるなんてと胸が高鳴る。


「もう、噂はお聞きになっておりますかな」


 しかしオズウェルはセリアやツァーリと、世間話をしたいわけではないはずだ。

 オズウェルの言う『噂』を最初にセリアへ届けたのはケイだった。そのとき、ケイはまだ不確定事項だと詳細を口にしなかったが、ここ数日で噂は真実に近い噂らしいと広まり、昨日、セリアの耳にも届いていた。


「ミスタ・コールマンが月面に新しいカレッジを新設する、そんな話を聞きました。本当のことですか?」


 ツァーリの質問に、オズウェルは深く頷く。オズウェルの瞳は、新しい夢を見て輝いていた。


「月面の民間企業の一つが撤退することが決まり、エリアに空きができた。私はそこを利用して、宇宙技術者を育てる民間経営のカレッジを作ろうと思っている」

「おめでとうございます。楽しみです」


 宇宙技術者を育てるカレッジは今のところ国連が出資した半民営の月面カレッジのみだ。しかしいずれは完全な、民間経営の私立カレッジも出てくるだろうと言われていた。少しの驚きはあるが、セリアもツァーリも時期が今になっただけと既に受け入れている。


「……ですが、それをなぜ僕達に?」


 オズウェルは、セリアやツァーリに、新しいカレッジを作りますとだけ言いにきたわけではないだろう。目的はなんだとツァーリは暗に促す。

 オズウェルは、まあまあと言わんばかりに、ゆっくりとコーヒーを口に含んだ。


「私が作る新しいカレッジは、まずはこの月面カレッジの受け皿のような役割をさせてもらおうと思っている」

「受け皿ですか?」

「そう。月面カレッジの学生はAAA(トリプルエー)を取りたくて必死に学ぶ。だが現実は厳しい。AAA(トリプルエー)は数年に一人出るか出ないか……とても狭き門だ。そしてカレッジは更に厳しい。AAA(トリプルエー)は己でとれと生徒を突き放す」


 天才達が予備校で振り落とされ、その中の一握りの天才が集う月面カレッジは、入ったら終わりではない。その後もひたすら振り落とされていく。

 外側からは『あの月面カレッジ』というだけで輝いているように見えるだろう。けれど中身は、血を吐いても、だれかを見殺ししても、夢に辿り着くまで振り落とされてたまるものかとしがみつく生徒ばかりで、血と泥と涙にまみれている。


「このカレッジにくる生徒は、九十八パーセントが月面カレッジに入学するための養成学校出身だ。君達もそうだったね。手間暇をかけられ、決められたレール上を走ることに慣れてしまえば、月面カレッジに入った瞬間にレールがなくなって戸惑う。自分で道を切り開くというカレッジの教育方針に馴染むのが遅れて、退学する者も多い」


 オズウェルの指摘した部分は、既に問題視されていた。

 月面カレッジを目指す子どもは、養成学校で丁寧に育てられる。だがその養成学校は、月面カレッジに入るための教育を重視する余り、情緒教育を置き去りにすることが多い。

 歪な育て方をされた子ども達は、月面カレッジに入った瞬間、大人から手を離されてしまう。どうしていいのかわからず、戸惑う。天才の中の天才が集まるカレッジで初めての挫折を経験する。しかしフォローは一切ない。

 両親との定期的な通信時間やカウンセリングなど、できるかぎりの対策は進められてきてはいるが、それでも焼け石に水程度の成果しかない。退学者が入学者の三割を越えてしまう数値は、未だに改善される気配がなかった。


「私は振り落とされた彼らに、救いの手を差し伸べたい。まだ諦めなくて良い、AAA(トリプルエー)の可能性が残っている、もう一度やり直せる。……そんな希望を与えるカレッジ作りを、まずは目指そうと思う」


 オズウェルは艦長の眼ではなく、教育者の眼をしていた。

 セリアはオズウェルの大海のような眼に映る光景を、見てみたくなる。


「……厳しい言葉になるかもしれませんが、挫折した人間を集めるということですか?」


 希望に満ちたカレッジへ思いをはせるセリアとは違い、ツァーリは厳しい言葉を投げかける。

 オズウェルは苦笑し、その通りだとはっきり言った。


「この月面カレッジで、挫折したことがない人間はいないだろう。勿論、AAA(トリプルエー)の君達も経験があるはずだ」


 AAA(トリプルエー)をとり、艦長となったオズウェルは、セリアやツァーリに『天才だから』という理解を拒絶する言葉を口にはしない。どれだけの努力と、挫折を繰り返してきたか、同じAAA(トリプルエー)だからこそ知っている。


「私が集めたいのは、まだ未来がある者達だ。例えば、なんとか一つAクラスを取ったが、卒業までにAAA(トリプルエー)になるのは難しい生徒。でも可能性がゼロというわけではない。ならそのゼロでない可能性にかけてみたい」


 オズウェルはぐっと強く拳に力をこめる。

 彼の想いは、セリアの胸にじわりと染みこんだ。


「なら言い直します。このカレッジの教育方針と、自らの挙げた成果に不満を持つ生徒を集めるということですね」


 けれどツァーリは対照的に更に冷たい言葉の槍をオズウェルに向ける。

 セリアとツァーリは同じAAA(トリプルエー)で、受ける授業が重なるために行動を共にすることが多い。でも、感じること、思うこと、やりたいことは全く違う。


「ああ、でもそれだけではない」


 オズウェルは己の端末に画像を映し出し、セリアとツァーリに見せた。

 セリアは五人の青年が映る画像データを見て、あっと小さな声を上げる。


「覚えているかね、つい最近、月面カレッジに本物の船外活動士(パイロット)が講師として招かれたことを。彼らは皆、シングルやダブルの資格を持っている。だがAAA(トリプルエー)はとれずに卒業した。私はそういう者にも手を差し伸べたい」


 セリアは、去り際のマークが言っていた『先輩』の意味にやっと気づいた。

 講師としてきてくれた現役船外活動士(パイロット)の五人は、あのときにはもうオズウェルの作る新しいカレッジに入り直すことが決定していたのだろう。だからAAA(トリプルエー)を改めて目指すことになったマークは、既にAAA(トリプルエー)をとったセリアを『先輩』と呼んだのだ。

 話を呑みこめたセリアは、背筋をしっかりと伸ばして、オズウェルの眼を見つめた。


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