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草原の中のBAR

「え? え? ……へ??」


 思わずその場でぽかんと口を開けた私を置いて、メイド服の店主は当たり前のように、草原の中に一歩足を踏み出した。

「!」


 まさか……一体どうなっているのだろう? 住宅街の中に潜む、狭い階段の向こう側に構える古書店。その扉の向こうに広がっていた、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、景色の中へと店主は突き進んでいた。


「待って! ちょ、ちょっと待ってください……!」

「あっちよ、ユキちゃん。伯爵は、あの塔に住んでいたの」

「へ……!?」


 風に乗って、生い茂った雑草がさわさわと私の膝下を撫でた。私は振り向いた店主の顔をマジマジと眺めた。からかっている様子もない。まさか本当に、彼女はおとぎ話の中にでもいるつもりなのだろうか? どうツッコんでいいか分からなくって、私はずんずんと歩を進める店主の背中についていくのが精一杯だった。


「あの……!」

「お話によると、クノッヘン伯爵は移り住んでから、塔から一歩も出ることはなかったの。失踪してから、誰も彼の姿を見た者はいない、って」

「お話って……それ、”お話”ですよね!?」

「そうよ」


 小高い丘を登ったその頂上で、エプロン姿の店主が急に立ち止まった。私はそのまま彼女の背中に追突し、鼻を殴打した。店主は口元にほほ笑みを浮かべ、五〇〇メートルくらい先にある、古ぼけた灯台をじっと見つめていた。私は息を切らし叫んだ。


「まさか……ここが、そのクノッヘン伯爵の物語の中だって言うんですか!?」

「だけどお宝には、それを守る怪物や罠がつきものよ。気をつけてね、ユキちゃん」

「全然答えになってないし……。どうして私の名前知ってるの……」

 ブツブツと呟く私を置いて、店主はさっさと丘を降りて灯台に向かって行った。降り注ぐ太陽の光に目を細め、私はふと後ろを振り返った。


 さっきまでいたバーのカウンターが、小さく草原の景色の中に浮かんでいる。額縁をつければ、そこだけ切り取られた絵画にも見える。タイトルは、そう、『草原の中のBAR』。見たことも聞いたこともないアンバランスな光景が、私の現実感を狂わせた。

「…………」

 私はもう一度前を見た。店主の背中が、あっという間に豆粒のように小さくなって見えた。部屋の中にいるはずなのに……視界に飛び込んでくるのは、どこをどう見渡しても、外の世界。行くか、戻るかだ。このままここに取り残されたら、”部屋の中で迷子に”なんて、そんな間抜けことになってしまうかもしれない。

「待ってくださーい!!」

 私は息を吐き出して、緩やかな坂道を駆け足で下りて行った。


□□□


 毎日の生活でも、こんなに歩いたことはない。カウンターに座っていた時は割と近くに見えた灯台も、実際に歩いてみると相当な距離だ。じっとりと滲み出る汗をハンカチで拭いながら、私は普段の運動不足を心の中で嘆いた。


「お待ちしておりました、マイ様」

「!」


 巨大な灯台の下に近づくと、ひび割れた木造の扉の前で、見知らぬ長身の男性が私たちを待っていた。マイ様、と呼ばれた店主が、私の目の前でひらひらと右手を振った。


「はぁい、みーちゃん」


 長身の男性が、私たちに深々とお辞儀をして見せた。私は店主の背中に半分体を隠しながら、まじまじとその人物を眺めた。まるでウェイターのような、ピシッとした漆黒のベストに、首輪のような赤いチョーカー。猫のようにまん丸の目をした、無表情で佇むこの若い男性は……。


「マイ様? えーっと……この人のこと、さっき()()()呼びました?」

「行くわよっ」


 マイ様が私の質問を無視して、意気揚々と灯台の扉に手をかけた。ギシギシと鈍い音を立て、木製の扉がゆっくりと開いて行く。その奥を見つめる、瞳を爛々と輝かせたその表情は、本当にこれから宝物を探しに行く冒険者のようだった。


「マイ様。こちらを」

「どもっ!」


 真っ暗闇に突っ込んで行こうとする店主に、みーちゃんと呼ばれた男性が古ぼけたLanterneを手渡した。店主が白い歯を見せてそれを受け取る。二人はどうやら顔馴染みのようだった。私はその(あかり)に見覚えがあった。ここに来る時、店の扉の前にぶら下がっていた小型のLanterneだ。マイ様について行きながら、私は扉の前で直立不動になっている男性をちらと眺めた。見たこともない二十代くらいの男性だが、彼もまたこの古書店で働く店員か誰かだろうか? ”みーちゃん”は長く伸びた前髪の向こうで緑色の目を輝かせ、だけど無表情のまま私をじっと見返してきた。私は慌てて店主の背中を追った。


「あの……マイ、さん?」

「ん? ああ……」

 私がおずおずと問いかけると、店主は何かに納得したように頷いた。

「みーちゃんには癖があってね。時々ああやって男の子になるのよ。素敵でしょ?」

「癖……?」


 塔の中心にぐるりとそびえ立つ古ぼけた螺旋階段を、店主は速度を落としゆっくりと登り始めた。私は、これ以上追求すると頭が混乱しそうなので止めておいた。店の中に広がる、このどうみても外にしか思えないこの景色のことすら、今一消化しきれずにいるのだ。

 私たちはゆっくりと灯台の中に足を踏み入れた。中は窓すらついておらず、思った以上に真っ暗だった。目の前をゆらゆらと揺れ動く橙色の薄明かりを頼りに、私は慎重に階段を進んで行った。階段は長く、上を見上げても暗闇が覆っているばかりで、一体いつ終わりがあるのかさえ検討もつかなかった。私は橙色を見失わないよう、手すりを握りしめぴったりと前を歩く朧げな輪郭についていった。


「きゃあっ!!」

「危ない!!」


 その時だった。不意に足元の板が崩れ去り、私の体が急に浮遊感に襲われた。体がガクッと下に沈み、視界が足元の暗闇に奪われる。私の後ろ側で、登ってきた階段が割れるように崩れ落ちて行った。地鳴りのような瓦礫の音が、灯台の中に反響した。


「きゃああっ!!」

 落ちるー…!

 そう思った瞬間、伸ばした手を向こうから強い力で握りしめられた。

「捕まって!」

「……!」

 マイさんが、私の手を掴みゆっくりと引き上げてくれた。彼女の細い腕の、一体どこにそんな力があったのだろう。私は息を切らしながら、どっと吹き出てきた汗もそのままに青ざめた顔で店主に抱きついた。

「大丈夫? 怪我はない?」

「はい……!」


 私の後ろでは、ブツ切れになった階段の先が飛び込み台のように空中に剥き出しになっていた。ここから下まで、高さにしてゆうに五メートル以上はある。落ちていたら怪我では済まなかっただろう。無意識に体を震わせる私の肩をそっと抱き寄せながら、マイさんが下を覗き込んだ。暗闇の中を、もくもくと砂埃が立ち込めていた。彼女が持っていた(あかり)は、さっきの拍子に下に落としてしまったようだ。 


「元々崩れかけていたんだわ」

「…………」

「これで、帰れなくなっちゃったわね……」

「……!」


 ビクッと体を震わせる私を、マイさんが大丈夫よ、とでも言うように優しく撫でてくれた。

 それからしばらく息を整え、私たちは一方通行になってしまった暗がりの中を慎重に進み始めた。


□□□


「ここね……」


 それから、どれくらいの時間が流れただろうか。ようやく開けた場所に辿り着き、私はホッと胸を撫で下ろした。螺旋階段の先には、屋根裏部屋のような空間が広がっていた。 


 辺りには空間を埋め尽くすほどの埃が立ち込めていて、私は思わず咳き込んだ。マイさんが早速締め切られていたカーテンを開き、部屋の中に新鮮な空気と光を招き入れた。ようやくはっきりと輪郭を取り戻した視界に、中の様子が飛び込んできた。古ぼけた机に椅子。もう何十年、下手したら何百年も使われていないであろう、蜘蛛の巣が張り巡らされた箪笥や燭台。一人分のベッド。昔、ここに誰かが住んでいたような……そう、ちょうど小学生の頃読んだ、外国の本の挿絵に描いてあるような……小部屋が、灯台の上にあった。


「見て」

「!」

 

 キョロキョロと所在無さげに辺りを見渡していた私に、マイさんが部屋の隅を指差した。古びた木製のベッドの端、破けて綿の飛び出た枕元に、ダンボール二個分くらいの木箱が置かれてあった。


「これって……!」

「ええ。やっぱり伝説は、本当だったみたいね」


 息を飲む私に、マイさんは慎重に木箱の蓋の部分に手をかけた。私は恐る恐る、マイさんの背中越しに箱に近づいた。木箱は、あっけなく開いた。長年野ざらしにされていて、錠前も錆びてとっくに壊れていた。私は中を覗き込み、それから息を飲んだ。


「きゃああああっ!!」

「……!」


 次の瞬間、私は思わず叫んでいた。それは宝と呼ぶにはあまりにも真っ白な、棒状の塊……目の前に姿を現した、伯爵の秘宝の()()……。木箱の中に入っていたのは、たくさんの”骨”だった。

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