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レディとドクター

作者: 佐藤 楓

精霊によって造られたと言われるこの世界には、当たり前のように魔法が存在する。

過去に隣国との対戦の最前線で医師をしていたジェームズは、複雑なもの、美しいもの、苛烈なもの様々な魔法をその目で嫌でも見てきた。

しかし、そんなジェームズでも――本から少女が生まれるところは見たことが無かった。



「ドクターぁぁ! なんですかこの髪飾りはぁああ!?」

朝、朝食のコーヒーを優雅に飲みながら新聞を読むジェームズの元に、うら若き乙女と言える年頃の少女が、寝巻のままばたばたと階段を駆け下りて迫ってきた。

背中に流れる金髪は櫛を通す間もなかったのかぼさぼさで、真珠のような白い肌が半袖のワンピースのような寝巻からぐっと顔を出している。ほっそりとした手の先にくるまれていたのは、サテンでできた真っ赤な花の髪飾りだった。

「見ればわかるだろう。『聖華祭』の贈り物だ」

ジェームズの黒い瞳が澄んだ色で少女を見る。整えられた短い鳶色の髪に、きっちりと着込んだシャツが少女のだらしない様子を余計に際立たせているようで、途端に恥ずかしくなって髪を手櫛で撫でつけた。


聖華祭とは、この国カトレア帝国の建国記念日に開かれるお祭りで、王族を称え、民を称え、全ての糧に感謝をする日となっている。

この世界の王族は植物の名を持つため、どの国の建国記念日にも多くの植物が飾られることが特徴である。転じて、大切な人や普段お世話になっている人に花やそれを模した装飾を贈るのが風習となっている。毎年この時期になると市場には色とりどりの花が溢れ、商店には家一軒より高い魔宝石から安価なガラスを使ったものまで多量の装飾品がきらびやかに店内を照らし、非常に賑やかな様子が見られる。

「いやそれは百歩譲ってわかるとしましょう。まさか貰えると思っていなかったのですっごく嬉しいですありがとうございます。でもでもでも、この意匠はなんですか!?」

こーれー! と半ばキレ気味に地団太を踏む少女こそ、ジェームズが偶然手にした本から生まれた少女、レディであった。

レディ、というのは名前ではない。名前がわからないので、ジェームズが彼女を呼ぶ時に使っているだけである。レディの方はジェームズに名前を付けてもらいたがっていたが、ジェームズの方が頑なに拒否をしたため、彼女にまだ名前は無い。

何の因果か、古本屋で偶々手にした本が少女へと姿を変え、何故か『貴方の嫁になりたい』と言い出し、それが駄目なら行く先が無いから雇って欲しいとしがみついて離れなかったのだ。

生憎と言っていいのかどうなのか、軍を辞め、首都の郊外で診療院を開設しようとしていたジェームズにとって、仕事や家庭の雑事を補ってくれる人材は喉から手が出るほど欲しかった。

少女がジェームズになついているのは、生まれたての雛が初めて見たものを親だと思い込む習性のようなものだと解釈して、結局、少女が自立できるようになるまで面倒を見ることにしたのだった。

終戦後は戦場から帰って来て城で教育指導を行っていたジェームズは、生まれた本によるものか知識の偏っている少女に様々なことを教えるのは苦ではなく、また少女も教えたことを水のようにぐんぐん吸収し、ジェームズを『ドクター』と呼んでより一層懐いていた。


閑話休題それはさておき


「髪飾りの意匠がどうしたんだ? レディは赤が好きだろう?」

「ええ赤は好きですよ。情熱の色、燃える愛の色ですからね。そうじゃなくて、花の種類ですよ! どうして薔薇じゃないんですか!?」

レディの持つ髪飾りは真っ赤な大振りのカメリアが印象的な、レディの金の髪に映える美しいものだった。

しかし、レディが不満を持つのは、この祭りには『恋人に渡すのは薔薇のモチーフ』が決まりごとのようになっていたからだった。

ちなみに妻または母親にはカーネーション、男性には白薔薇や紫陽花を渡すことが多い。

「……君に薔薇は似合わないだろう?」

こてりと首をかしげる31歳は女性の心情の機微などとは無縁の場所にいたせいで、こういうことにはとんと疎い。

「ドクターさいってい!」

うわぁんと泣き真似(本当に悲しんでいるわけじゃないことはこれまでの生活の中で知っていた)をして去っていくレディを見送って、今日も賑やかな朝だなと少し冷めたコーヒーをすすった。


「――そもそも、俺達は恋人同士ではないだろう」

「傷口に塩を塗るようなことして何が楽しいんすかこの無意識鬼畜ドクターが!」

ぷりぷりと怒りながらまた駆け下りてきたレディは、先ほどのいかにも寝起きの様子から一転して、花びらのようなフレアスカートを身に纏い、綺麗に編み込まれた髪の毛にカメリアの髪飾りを刺した綺麗なお嬢様に変身していた。

「良く似合っているな」

「ええ、ドクターに貰った服に髪飾りに……髪の毛だってドクターにいつも櫛ですいてもらってるじゃない。似合わないわけが無いわ」

ふふんと得意げに胸を張るレディは顔立ちも可愛らしいのだが、ジェームズに守られていることを自覚しているので、きらきらと自信に満ち溢れた輝きで美しく見える。

「さて、その様子だと準備は済んだのだな。聖華祭に行くか」

早めに行かないと今日は夕方から夜にかけて雨が降ると精霊省から予報が出ていたので具合が悪いだろう、とジェームズが立ち上がったところで――レディはジェームズの肩を掴んで元の椅子に座らせた。

「別にドクター聖華祭に行きたいんじゃないでしょ。私が行きたいって言っていたからでしょ。だから別にいいですよ、行かなくても。私そこまで行きたくなくなりましたし」

普段の太陽がはじけるような笑顔でもなければ、拗ねたような顔でもなく、ただ淡々と『ジェームズと聖華祭には行かない』と桜色の唇が吐き出す。

ジェームズはその時、生意気なその唇を、嫌と言うほどつねってやろうかと思ってしまった。

「じゃあレディ、君はそんなに着飾って誰と行くつもりなんだ? どこにも行かないなんてことは無いだろう?」

レディの交友関係に口出しをするつもりは無いし、女友達が出来て一緒に祭りに行くのなら微笑ましく思って笑顔で送り出すことができるだろう。しかし、ここでもし男の名前が出てきたら……親代わり、そう、親代わりとして、一言何か言ってやらないといけないと、ジェームズは強く思った。

眉間に皺を寄せて最近レディが親しくしていた奴は……と考え込むジェームズに、レディは「馬鹿だなぁ、ドクター」とにんまり楽しそうに笑った。

そしてジェームズの座る椅子の前にしゃがみ込むと、彼の左足の太股辺りをゆっくりと撫でた。

「聖華祭には誰とも行かないですよ。だって、ドクター今日は痛む日なんでしょう? ドクター大好きな私がわからないなんてことないんですよ」

穏やかな顔で足をさすり続けるレディに、何か言葉をかけたかったが、戦場で青春を過ごした31歳元軍医師は何もかける言葉が見つからずに口を開閉させるだけだった。


ジェームズが軍を辞めた理由の一つに、戦場で左足を負傷したことがあった。現在日常生活で困らない程度には動くものの、長時間歩いたり、走ったりすることはできず、常に杖を持ち、左足だけ引きずるように歩いていた。

隣国と和平協定を結んで7年経つが、天候が崩れると後遺症がまだじくじくと痛みを伴い、ジェームズにあの頃の悲惨な戦場の様子をありありと思い出させる。だから、ジェームズは軍を辞めた。ジェームズは幸運な方だ。命があったのだから。

しかし、これ以上、救えなかった数多の命の記憶を抱えるには、軍と言う場所は生々しすぎた。


「私が綺麗になるのはドクターのためだけですよ。ドクターに綺麗にしてもらった髪と、買ってもらった服と、薔薇じゃなかったけど綺麗なこの髪飾り。これがあれば私はどこだって最強なんですよ。私はドクターがいるから最強なんですよ」

だからねぇ、ドクター。救えなかった過去ばかり見ないで。今貴方が救ってる世界を見て。自分を責めるのはもうやめて。

レディは何度もジェームズに言葉と態度で語りかける。


「ドクター。私はね、お祭りになんか行かなくたって、ドクターと一緒ならどこだって幸せなんですよ」

鮮やかなカメリアよりも美しい花がぽっと笑う。

ジェームズは心の中のむず痒さを逃がすように何度か身体を揺すると、レディの手を取って立ち上がった。

「……台所の食器棚の下に、この間買ってきた薔薇ジャムのクッキーがある。それと、茶を出してくれ。今日は砂糖は要らない」

どうやら今日はおうちでゆったり過ごすことにしたらしく、ソファーに向かうジェームズを見て、レディはにやりと淑女らしからぬ笑みを浮かべて台所へ向かおうとして――ふと思うところがあって振り返った。

「あれ、ドクターの好きなスミレの砂糖漬けじゃないんですか?」

花を用いた菓子は聖華祭につきものだが、この時期は様々な種類の花を用いた菓子であふれかえる。ジェームズは確か薔薇のむせ返るようなにおいがあまり好きではなかったはずだ。

レディがこてりと首をかしげると、ジェームズもつられたように同じ方向へ首を傾けた。

「レディはスミレよりも薔薇だと勝手に思っていたが……そうか、それなら来年はスミレにするか」

ジェームズの黒曜石のような瞳が優しげな色になる。レディは言いようがなく幸せな気分になって、変な笑いが止まらなかった。

「らい、ねん……んふ、んふふふ。来年、来年はスミレにしましょうね」

「どうしたんだ急に、気味が悪いぞ」

「ドクターそういうこと言うからモテないんですよ」

「……余計なお世話だ」

先程の柔らかな色はどこへやら。むっすりと口元を引き結んでソファーに座るジェームズの元へ、レディはくすくすと楽しそうに笑いながら紅茶とクッキーを運んでいった。


微かに外から賑やかな楽隊のファンファーレや花火の音が聞こえてくるが、二人の聖華祭は紅茶とクッキーと共に、静かに、穏やかに過ぎていくのだった。




その後やって来た軍時代の同僚に「どうしてお前ら付き合ってないの?」と言われるまでがデフォルト。


あらすじの設定で書こうとしている長編がありまして、そちらの番外編のような短編です。

なのでレディが本から生まれた要素や二人の出会いエピソードは今回割愛しております。

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