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赤は危険を表す色と心得よ

作者: 曇り空



 夕焼け空を映しこんだような赤みの強い髪。

 宝石のように輝く真っ赤な瞳。


 その想像以上の美しさ。



「…どこか痛めて立てなかったりする?」



 聞こえてきた声にハッとする。


「…いっ、いえ、だっ、大丈夫です」


 慌てて答えながら勢いよく立ち上がる。勢いがよすぎて足元がふらついたが、なんとかふんばった。


「ぶつかってしまい申し訳ありませんでした!」


 若干声が震えてしまったような気がするが、相手にどう思われるかは最早どうでもよかった。早くこの場を離れなければという想いだけが頭を占める。

 目を合わすことなく一礼して踵を返し、走る。先ほどまで彼がいた方向に向かっていたことはすっかり忘れ去っていた。一連の行動の中でも離すことのなかった本を、更に強く胸に抱く。強く抱きすぎて息が詰まりそうだった。それでも構うことなく必死に足を動かした。


 あのひとから、離れなければ。


 鮮やかな赤が目に焼きついている。赤は危険を表す色。

 それはアルメリアにとっての彼という存在もまた、同じだった。



 呼吸が荒くなって足が重くなった頃には、人気の無い裏庭についていた。

 はぁ、と重い息を吐き出し、アルメリアは胸に抱いていた本を開く。

 見た目は本だが、その中を捲れば書き込まれているのは日記だ。勿論アルメリアが記してきたものである。

 ぱらぱらと捲って、ふと止めた頁にあった文字を指でなぞる。


「『白銀の乙女』を『悪役令嬢』なんて、呼ぶひといないよね……」





◆◆◆





 夕焼け色の髪と真っ赤な瞳を持つかの人は、その持ち合わせた色合いも含めて、王立魔術学院では有名人のひとりと言えた。


 名は、レオノティス・オルグレン。

 オルグレン公爵家の跡継ぎという立場と、彼の持つ攻撃的な色合いを和らげるような優しげな風貌から、良家の令嬢からはその妻の座を常に狙われている青年だ。魔術を専門に扱うこの学院に在籍しているのは、多くの貴族子女が通う上級学校に比べ、その毒牙にかかり難いからだとさえ噂されているほどである。

 また、その身に眠る潜在能力の高さを買われて分家から引き取られたというのも有名な噂であり、それを裏付けるかのように彼の魔術師としての能力も高いのだという。


 だが、アルメリアにとって、それらの情報など瑣末事に過ぎない。


 重要なのは、レオノティスがオルグレン公爵家の人間であること――すなわちアルメリアの未来を握る『白銀の乙女』の義弟であるということだ。



 『白銀の乙女』は、レオノティスよりも更に有名だ。それこそ国の末端隅々まで名を知られているであろう。

 『白銀の乙女』は、彼女を表す名のひとつに過ぎない。『救世の女神』『白露の妖精』『戦場の白薔薇』――そのまばゆく輝く白銀の髪を最大の特徴としていること、また慈悲深いとされるその心や美貌を称えていることは伝わってくる。彼女に贈られる賛辞は幼少期より止まることはない。内面外面問わずの美しさもさることながら、賢姫と称されるほど才知にも優れ、自ら戦場に立てる勇ましさも持つのだとか。



 一般階級に生まれ育ち、容貌を褒められたことは親馬鹿発言の中でしかなく、魔力は多けれども魔術に関する知識は現在学んでいる最中、おまけに性格はどちらかといえば内向的と言えるアルメリアには程遠い存在である。本来ならば、同じ学院で学ぶという共通項があることすら奇跡。――そう、本来ならば。




 アルメリアにはいわゆる前世の記憶と思われる知識があった。


 前世とはいっても、生まれ育った日本という国の知識はあれども、当時の自分の名前や家族構成、どんな人生を送ったのかなど、自身に関する思い出などについては多くは覚えていない。特に悲惨な過去はなかったように思うけれど、いつどういう状況で死んだかなども勿論記憶になかった。一方で、ひらがなもカタカナもよく使っていた漢字すらも今でも書く事が出来たり、学ぶ前から計算の基本を知っていたり、コンビニスイーツが好きで新作をよく買っていたことを覚えていたり、漫画や小説を読むのが好きだったことも覚えていたりする。

 おかげさまでアルメリアの幼少期は今生きている世界に存在する物事と記憶にある物事をすり合わせるのに終始していたように思う。というか、今でもうっかり今世では通じない言葉を発したり考え方をしてしまうこともあるほどだ。


 そして年齢が二桁になるかならないかの頃、アルメリアの住んでいた町にも『白銀の乙女』の評判が流れるようになって、気づいたのである。


 ここ、もしかしてネット小説で読んだことのある世界なのでは――?


 『白銀の乙女』という二つ名にどうもなにか引っかかるものを感じたのが最初だ。そして気になってその噂を拾い集めて欠片をつなぎ合わせていくうちに思い出したのが、件のネット小説。

 『白銀の乙女は新たな道を作り出す』――確かそんなタイトルであったように思う。

 内容をざっくりいえば、乙女ゲームの悪役令嬢に転生した元日本人がバッドエンド回避の為にチート能力で無双しながら幸せを手にする物語だ。いわゆる、悪役令嬢モノ、もしくは「ざまぁ」モノ。乙女ゲームが下敷きになっている設定上、攻略対象と呼ばれる見目麗しい男性陣も『ヒロイン』と呼ばれる女の子も出てくる。だがこの小説の主人公は勿論そのヒロインではない。元となる架空乙女ゲームとは主人公と悪役は逆転しているわけである。



 さて、ここで問題なのがアルメリアの立場である。


 アルメリアは『ヒロイン』役――つまるところ、この物語では悪役だった。


 『白銀の乙女』の象徴がその白銀の髪であるならば、対となる『ヒロイン』アルメリアは黄金の髪、といきたいところだが実際は薄紅色だ。なるほど乙女ゲームのヒロインらしいなと納得したものである。余談となるが、この世界の髪色は非常に色彩豊かだ。人数揃えれば虹だって人の頭で表現できる。勿論黄金の髪を持つ人も珍しくないし、薄紅色はちょっと珍しい程度だ。白銀も例に漏れずである。

 更に言えば、アルメリアという名も特に珍しいものではない。確かいつの時代だったかの姫様の名前であり、前世と同じく花の名にも使われている。


 なので思い出した当初は「まさかな~」ぐらいに思って『ヒロイン』の可能性は見ないふりをしていた。


 が、王立魔術学院への入学は決まっていた。というのもアルメリアの魔力量は、乙女ゲーム主人公補正なのか数十年に一度現れるかどうかと言われるほど膨大らしい。魔力量が多かろうとそれを使えねば意味はない、ということで学院へ特待生として招待されたのである。決して裕福とは言えない家に生まれたアルメリアは、魔術学院に通うほど金に余裕はなかったので考えてもなかったのだが、特待生という学費免除衣食住保障であれば話は変わってくる。何より折角のファンタジー、前世になかった魔法を学べるのであればと、特待生の条件を提示されて即了承したというわけだ。


 こうなるとアルメリアの『ヒロイン』である可能性は濃厚となってくる。

 了承した後に我に返って苦悩したのは言うまでもない。


 だが、全てがもう手遅れともいえない、と気づく。


 確か小説での『ヒロイン』はいわゆる逆ハーレムを狙って攻略対象全員に粉をかける女の子だったが攻略がうまく行かず『白銀の乙女』を逆恨みして冤罪をふっかけることから始まり、果ては怪我を負わせるまでに至る。結果糾弾されることで「ざまぁ」となるわけだ。

 そもそも元の乙女ゲームの舞台は王立魔術学院だが、小説開始は『白銀の乙女』たる悪役令嬢が幼少期に前世の記憶を取り戻すところから始まる。つまりすでに物語は始まっているわけで、攻略対象の中には学院入学後に出会う人物もいたと思うが、それにしても小説内では幼いうちにすでに『白銀の乙女』と顔を合わせていたはず。つまりスタート地点、『ヒロイン』が知るゲーム情報とは大なり小なり違いがあるのだ。多くのフラグは『白銀の乙女』が既に立て終えているのである。

 それに異性にばかり良い顔をする『ヒロイン』には同性の友人もおらず、人格者の『白銀の乙女』とは味方の数からして違っていた。負け戦確実である。冤罪なんか通るはずもないし、怪我を負わせれば原因となった『ヒロイン』が糾弾されるのも必定といえた。


 翻って現在のアルメリアに逆ハーレムを築きたい欲があるかと問われれば、当然ノーである。

 乙女ゲームの攻略対象者ともなれば、それは乙女受けするイケメンということになる。要は容姿端麗であることは大前提だ。

 だがしかし、アルメリアも勿論見目麗しい人を見るのは男女問わず勿論大好きだが、隣に立ちたくなどない。見劣りするに違いない自分を恥ずかしいとか惨めだとか思うのが容易に想像できるからだ。逆ハーということはそれが多人数。イケメンの中に埋もれて背景になれれば良いかもしれないが、画面を汚す人間になりそうで恐ろしささえ覚えてしまう。いや元乙女ゲーム主人公というなら、中の上くらいの容姿はあるかもしれない。あってほしい。それでも国の隅々までその美貌を轟かす『白銀の乙女』には及びもつかないのは確かだ。まぁアルメリアの顔が『白銀の乙女』と並ぶほど美しいものだったとしても、逆ハーレムを望まないような気もするけれど。やはりそこは性格の問題だろうか。


 ともあれ、攻略対象者――ひいては『白銀の乙女』に関わらなければ「ざまぁ」される要素も生まれることはないだろう。

 正直に言えばアルメリアは『ヒロイン』が小説内でどのような「ざまぁ」をされたのかあまり覚えていなかったりする。

 何度も言うが小説は『白銀の乙女』が主人公なのだ。その物語での悪役である『ヒロイン』にはそこまで思い入れはないのである。「ざまぁ」されて胸がすっとしたという記憶はあれど、それより気になるのは主人公の行く先であり、最終的にどの攻略対象と結ばれるかというところだ。悪役令嬢モノによくあるように、この物語も女性向け恋愛小説に分類されている。


 ちなみにネタバレをしてしまえば、架空の乙女ゲームが元であるという設定の為か、結末は複数用意されていた。誰と結ばれるかによって『白銀の乙女』のその後も多少変わる。とはいえ勿論「めでたしめでたし」で終わる物語に変わりはない。


 ただし、全員分ではない。


 アルメリアは前世でそれが唯一ひっかかった。ぎりぎり歯噛みした覚えさえある。

 なぜならアルメリアの最推しであるレオノティスと結ばれる結末は用意されていなかったからだ。


 そう、アルメリアはレオノティスの恋を応援していた。彼にとって『白銀の乙女』は初恋のお相手だった。けれどもそれを叶えようとはしなかった。『白銀の乙女』の相手によっては告白シーンが入るのだが、玉砕が確定してからになる。もっと早くできただろう!という突っ込みを入れてみても遅い。『白銀の乙女』は押しに弱い部分があったように思うから、ライバルより先んじていればきっとレオノティスのほうに意識を向けたに違いないのに、というのがアルメリアの感想だった。勿体無い。心底勿体無かった。

 もっとも、『白銀の乙女』の恋愛など次の次、『バッドエンド回避第一』主義を尊重した結果とも言えるので、義姉想いの良い子であることは確かだ。




 そんな健気で一途なところがが好きだよレオ、と、アルメリアは我知らず拳を握り締めていた。


「それはどうも」

「ひぅ!?」


 不意に耳に届いた他人の声に、アルメリアの肩はびっくぅっと盛大に跳ねた。

 思わず右を見て、左を見て、誰もいないことを確認しながらふらりと数歩前に進む。勿論眼前にも人影はないので残るは後ろしかないわけだが、振り返りたくはなかった。聞き間違いでなければ、思い違いでなければ、聞こえた声はさきほど逃げ出してきた相手の声のようであったからだ。


「忘れ物を届けに来たからせめて受け取って欲しいんだけどな、アルメリア嬢?」


 ぐ、とつぶれたような声が漏れた。そんな言葉をかけられてはさすがに無視もできない。落し物をした覚えも無かったし、もしその言葉が本当だとしても聞かなかったことにして該当物は捨ててもらいたいとさえ思うけれど、一度深呼吸をして未練がましく距離を取るようにしながら振り返る。

 予想通り、そこにいたのはレオノティス・オルグレンだった。なんだか呆れたような顔をされているのにアルメリアには一瞬顔をしかめたが、ずいっと押し付けるように差し出された手に視線を落とす。


「これ、君のじゃない?」


 レオノティスの開かれた手には、花のモチーフがぶら下がった木製の細長いしおりがあった。

 見覚えのあるそれに、思わず目を丸くする。

 慌てて抱えていた日記帳をざっと捲り、閉じる。確かに、ない。アルメリアはレオノティスが持つしおりと同じものをこの日記帳に挟んでいたはずだったのに。


「あ、りがとう…ございます」


 わたしのです、と小さく肯定しながら、相手の手に触れないようにしつつ受け取る。

 自身の手にわずかな重みを得て、思わずほっとした。そのしおりは日記帳と一緒に買っただけで、別に何かしら特別なものでもない。けれどもアルメリアの中では日記帳の一部でもあったので、他人の手元にあるのはなんとなく落ち着かない気分になるのだと思い知らされた。自室で無くしたことに気づけば、レオノティスの手にある可能性を考えて悶えることになったに違いない。そうならなくてよかった。


「ところで君、姉上のことどう思う?」

「……え?」


 アルメリアが思わず驚きの声をあげたのは、聞かれた突飛も無い内容についてではなく、自分の手首を掴んできた相手の行動に対してだった。ほとんど反射的に掴まれた手を解こうと力を込めて自分のほうへと引き寄せたのだが、びくともしない。何度か繰り返してみても結果は変わらなかった。


「ねぇ、聞いてる?」


 それどころか質問に答えろと催促される始末。

 アルメリアは思う。聞きたいのはこちらだし、この拘束の意味だ。

 そろそろと顔を上げて、自分の頭より上にありそうな赤の双眸を見つめる。やっぱり宝石みたいだと頭の片隅で考えながら、長く見ることもできずに視線をはずした。


「えっと……そうですね、憧れます」


 何せすべてにおいてハイスペックなお方だ。憧れる人間は多いだろう。アルメリアだって『ヒロイン』役なのだからスペックは悪くないはずだが、あの人間なのか疑いたくなる数々の偉業を耳にしたならば、敵いっこないというか敵おうとも思わない。


 いや、問題はそこではない。


 なぜ今ここで、今回初対面のはずの『白銀の乙女』の義弟に、彼女をどう思うかなどと聞かれたのか。


 『白銀の乙女』と口にしたのを聞いていたのだろうか。

 だが誰かがその名を口にすることは珍しいことでもないはずだ。なんたって有名人。なおかつこの学院に籍を置く人。

 しかもアルメリアが口にしたのは『白銀の乙女』の身内と対面した後だ。連鎖的にその名を口にしたっておかしくない。

 おかしくはない、と思うのだが。


 ちらりと視線を戻してみれば、レオノティスは目を細めてこちらを見ている。とても居心地の悪い思いにさせられる視線だった。


「そう?わりと目の敵にしている人のほうが多い気がするけどね」

「……一般階級の間では憧れの人という認識ですから」


 アルメリアの感覚でいけば、『白銀の乙女』は国民的なアイドルでありヒーローである。特権階級ともなれば苦々しい思いを抱くひともいるのかもしれないが、所詮一般階級の人間にとっては雲の上のひと。王制を敷くこの国で同じく雲の上のひとである国王陛下や王妃陛下よりも、おそらく人気が高いだろう。どちらにしても目にすることはないという点では大して変わらないだろうけれど。

 あぁ、でも確か『白銀の乙女』は次期王太子の妃に望まれているとの噂もあるのだから、将来的には王妃陛下となって民心を掌握することもあり得る話だ。

 主人公だしなぁといささかズレはじめた思考を打ちとめるように、笑い声が耳に届いた。


「俺が身内だからって遠慮しなくていいのに。憧れの人に対して、『悪役』なんて言わないでしょ、普通」

「!!」


 アルメリアは、ざっと自身の体から血の気が引くのを自覚した。聞かれていたのだとわかって、いまだ相手に掴まれた手を渾身の力で引っ張る。レオノティスの手ごと引き寄せることに成功したものの、それも一瞬だった。わずかに体勢を崩したレオノティスは「おっと」と小さく声をあげて一歩前に進んだだけで、絡んだ手は外れない。


「それともうひとつ聞きたいんだけど」


 お返しとばかりに引っ張り返されて、アルメリアはいとも簡単にバランスを崩した。

 片手はレオノティスに掴まれたまま、逆の手は日記帳を抱えたままという状態ではどうしようもなく、アルメリアは思いっきり顔面から相手の胸に突っ込む形になってしまう。反射的に衝撃に備えて目を瞑った。


 だが、予想に反して衝撃が訪れたのは、掴まれていないほうの肩に一瞬だけだった。


 そして頬にひたりと何か当たる。


 おそるおそる片目だけ開けると、何故か二つの真紅の宝石が間近にあって、アルメリアはひっと喉にひっかかるような悲鳴をあげた。



「『好きだよレオ』っていうのは?」



「……は?」



 その声はほとんど脊髄反射で出たようなものだった。

 何を言われているのか理解できずにアルメリアは眉間に皺を寄せて、ハッと目を見開く。

 ぶあっと一気に顔に熱が集まるのを自覚した。


「こ、声に…!?」


 アルメリアとしては声に出したつもりはさらさらになかった。しかし目の前のひとは間違いなく聞いたのだろう、意地の悪さを全面で表すような笑顔を浮かべている。


「ち、ちが…っ!違います!違うひとです!!そのっ、物語の話でっ!貴方のことではないですご安心ください!!」

「へぇ?」


 真っ赤な顔で言って説得力があるかどうかはともかく、勘違いされてしまっては困るのでアルメリアは力いっぱい宣言した。


 嘘ではない。

 アルメリアの前世で読んだ本の中の『レオノティス』というキャラクターが好きなのであって、現在目の前にいるレオノティスのことではないのだ。だいたいアルメリアが彼と話したのは今日が初めてだ。なるべく関わらないように気を配っていたので情報を集めてはいても――集めなくても女子生徒の口の端によく上るので自然と耳に入るのだが、実際の接触は勿論ないし、その姿を遠目に見たことがある程度である。結局アルメリアの中では、レオノティスも『白銀の乙女』同様、雲の上の人であり手の届くことなど有り得ない偶像と変わらないのだ。

 それでも念には念を入れて避けていたのは、万が一にも自分の痛ましい未来を想像させる「ざまぁ」要素を作らないためでしかない。


「だいたい『レオ』ってひとがどれだけいると思って――」

「アルメリア嬢、墓穴掘ってるけど気づいてる?」

「へ」


 ぐるぐると回る頭で必死に言い訳を並べようとしたアルメリアに最後まで言わせることなく、レオノティスが遮った。

 目の前の真紅は相も変わらずキラキラと楽しそうに輝いていて、うっかり見とれそうになってしまう。



「俺、聞いた言葉を繰り返しはしたけど、「俺のことが好きか」は聞いてないよね」


「っ!!!!!」


 意味を理解したアルメリアは絶句した。はくはくと無意味に口を動かせど、そこから意味のある言葉が紡がれることはなかった。


 じわりと、視界が歪む。


 なんだこの男!!内心で絶叫して、その怒りをぶつけるようにぶんぶんと掴まれた手を振り回す。何度目かでようやく離れたのはアルメリアが足をふんばって全身の力で行ったおかげというより、レオノティス自身が疎ましくなって離してくれたからだろうと予想できてまた腹立たしさが増した。



 レオノティス・オルグレンは確かに義姉想いの良い子である。

 けれどもそれは同時に、()()()()()()()()()()()()()()

 『ヒロイン』にとっては最大の敵と言っても過言ではなかった。


 『白銀の乙女』の言動から当たりを付けて、彼女の不安要素が『ヒロイン』にあると知った彼は、公爵家跡継ぎとしての英才教育で培ったその頭脳と人脈を惜しむことなく使って『ヒロイン』の情報を集め、「ざまぁ」する際の陣頭指揮を執るキャラクターでもある。『白銀の乙女』が取るに足らない相手と放置をするのに対して、二度と馬鹿なことができないようにと徹底的に潰す役目だ。



 赤は、危険を表す色。


 それを頭に刻み込むように、彼の姿を目に焼き付ける。

 涙目で睨みつけたって意味がないことも、『ヒロイン』である自分の言葉が彼に届くことなどないとわかっている。

 それでもアルメリアは言った。宣言することで、己の取るべき指針を明確にする意味も含めて。


「ご心配なさらなくとも、今後一切貴方の視界にも『白銀の乙女』の視界にも入りませんから!!こっちだってお貴族様に関わりたくありません!!」



 同じ学院に籍を置くとはいえ、もとより一般階級と特権階級たる王侯貴族との区別は存在している。それは物理的な距離も含めてだ。

 庶民に貴族の暗黙のルールやマナーなど理解できない。育った環境が違えば考え方も違う。過去に様々なトラブルがあったことから現在は配慮された形になっている。

 そんな理由から、庶民のアルメリアと貴族のレオノティスの今回の邂逅こそイレギュラーであり、普通に過ごす分には会うことなどまずないのである。



 アルメリアは腹の底から吐き出すように決別の言葉を放って、きょとんとした顔で瞬きをしているレオノティスを置いて大股で歩き去った。

 宣言したとおり彼と二度と会わないように、貴族棟には今後一切近寄らないで済むようにはどうすべきか考えながら。




 アルメリアが、自分自身が特待生というイレギュラーであり、それゆえに『普通に過ごす』に当てはまらないことがあるとすっかり失念していたことを思い出すのは、これからひと月ほど経ってからである。






◆◆◆






 王立魔術学院の特待生は、将来的に国の研究機関に規定の年数勤めることが前提条件として定められている。

 魔術は本来血族に受け継がれやすいことから貴族階級の生まれに多いということもあり、該当機関の研究員も貴族階級の人間がほとんどを占めている。また、国の研究機関でもあること、軍の一部であることから、王城の敷地の一部にその建物が存在する。


 そんな諸々の事情により、庶民といえど特待生は最低限の貴族社会でのルールなどを学ぶ必要があった。


 勿論それらはアルメリア・ブライトにも当てはまる。


 レオノティス・オルグレンはそこに目をつけた。

 初対面で書面による情報と実際に自身へと向けられた態度との差異に興味を持った彼の小細工により、アルメリアは早々に前言を強制撤回させられる羽目になる。



 それは彼女にはまだ知ることのできない未来。



 芋づる式に『白銀の乙女』と対面したりとか。


 『白銀の乙女』を支持する人々――別名「敵」のおかげで胃を痛めることになるとか。


 「ざまぁ」に怯えていたわりに、結局全て空回りでしかなかったりとか。



 最終的に最大の敵であるはずのレオノティスと生涯を共にすることになるとか。



 ほとんど物語の知識など役に立たないあたりは普通の人生だったのだなぁと懐古することになるのは、遠い遠い未来の話である。

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