唐紅に燃ゆる神秘
第149回フリーワンライ企画参加作品です。
お題
フランス人形
あの日あの時をもう一度
唐紅に燃ゆる
あみだくじ
要はそういうことだ
すべて使用
制限時間5分オーバーでした
奇術師は目にも止らぬ素晴らしい手さばきでカードを開きあちら側を私の方へ見せた。手札は鮮やかな黄や紅や緑で色塗られた毒毒しい見慣れない絵柄、一瞬のうちに手のひらは返されてしまったが、幾何学模様に挟まれたような王族の姿が見てとれた。
「これはね、天正かるたというカードですよ、我が国に伝えられた始めてのとらんぷ、と云えば理解に易いでしょうかな」
「はあ」
すると奇術師はそれを混ぜ始め次には宙へと舞わせた、時が止まったような錯覚、投げられたカードが白い鳩に変わって飛び立つトリックがあるが、そのような衒いは何もなくただ投げ出されたカードが舞っただけであるのに私は光輝な純白の羽ばたきをそこに見てとった。
「失礼……」
奇術師は青ざめた表情でしゃがみこみ、やがて紅潮させて私を見上げた、照れているようだ。
「ベテランマジシャンにあってならぬような失態でした」
「失敗だったの! トリック、否私にはイリュージョンにしか見えなかったですけど?」
「えへへ」
「なんなわけ?」
見る見るうちに光沢ある絨毯へ散乱したカードを拾ってしまう、さすがの器用さだ。
「凄いですね、あっという間に拾ってしまいました」
「まあ何十年のベテランですからに。しかしね」
ギロッと不敵な笑みで鋭い視線。
「えっ」
「今しがた別のマジックをやってのけました」
「はっ? いつですか、というか別のマジックってどういうこと? 始めのマジックは……」
「さあ、胸ポケットにしまってある名刺入れをお出しなさい」
「なんで知ってんの」
「えっ」
「名刺入れがあるってどうして」
「背広を羽織った身なり、サラリーマンだと丸わかりです」
「そうは限らないでしょ」
毒づいてみたものの内心恐怖に包まれていた。実際胸ポケットには名刺入れが収まっている。
「どうして分かったんです?」
私は名刺入れを取り出した。
「名刺入れなんてだいたい胸ポケットに入っていると思いましてね」
「当てずっぽうか」
「ははは、予言者ではないです、さて」
奇術師は天正かるたを開いて見せる、一枚だけ明らかに小さく、白地だった。
「それって名刺」
「ほう、ご覧なさい」
手渡された名刺にぎくりとする、『山部……』
山部とは今日の取り引きで蹴られた相手だった。私は二重の意味で驚いてしまった、興奮とともに悪い感情が胸を渦巻く。
「では、そちらを開いてご覧なさい」
「えっ」
云われた通りに名刺入れを開く、高級そうな札が折りたたまれ混じっていた。取り出して開く。
「竜……」
「ポルトガルの竜と呼ばれておりましてな、吉兆を示すカードです。あなた、ツイてますね」
「だって、あんたが入れたんだろう!」
「何事か喜ばしき物思いやらございませんでしたかな」
「ちっ……」
同僚と酒場を何軒もはしごしたものの、諍いになり口論して別れてしまった。
虫の居所の悪いままふらふらと街をうろついた。だいぶ飲みすぎた。
『BARミスティ』。
紫のプレートに金字で書かれていた。見慣れぬバーだった。吸い寄せられるように降りる。赤い天鵞絨で装飾されている。階段からしていやにゴージャスな雰囲気。
重々しい扉を開くと歓声、かなり盛況のようだ。金回りのいいキャバクラだってこんな広々したホールはそうそうないだろう、その位の造りだった。
賭博場か? 中央にはルーレット台がある。
「あれはハッタリですよ」
「えっ?」
なぜかバーカウンターを見た、バーテンは不在だった、お構いなしに中年らしい男女が扇情的な雰囲気で何組も盛り上がっている。赤いドレスを着た女がけたたましい下品な笑い声を上げていた。
「あの。こちらのマスターでしょうか」
「ええ。バーテン兼オーナー兼マスターです」
「オーナーとマスターは同じでしょう」
「失礼」
「どんな間違いだよ」
「バーテン兼オーナー兼マジシャンです」
「マジシャンですか!」
「ええ。マジックバーミスティへようこそ」
「マスターとマジシャン間違えるなんてなかなかですよ、オーナー」
不敵な笑みを浮かべる奇術師。
「あるいは、悪い予兆とか」
「真逆じゃねえかよ」
「ん? と云うと」
「だから、喜ばしい物思いと悪い予兆は対極してるの!」
「なにかありませぬか?」
私はもちろん蹴られた営業や慰める目的で飲みに付き合ってくれた同僚との諍いの空しさを思いだした。しかし、それを正直に伝えるのもはばかれたので、全然違うことを伝えた、これも、実はここ半月ほどずっと胸につかえていた不思議なイメージだった、それをこの奇術師に伝えるのは相応しいような気がしていた。
驚くべきか、唐紅に燃ゆる奇術師の手。そのイリュージョンを見て、さらに伝えたい衝動は高まった。
「じゃあお話しましょう」
「ええ、どうぞ」
「これはおそらく夢の記憶です、しかしとても生々しくて現実の映像のようです。私は森を歩いていました。しかし、それは燃えていました、私の両側を高々と囲って奥まっている森の景色、しかし、夜だったでしょうか、夜であるのにとても眩しかったのです。今、あなたが見せている、ちょうど唐紅の炎でしょうか。私はどんどんと奥まっていきました。
すると、分かれ道にぶつかりました、まっすぐな道であるはずなのに、目の前はきっかり分岐していました。そして。それからの道すがら、何度も、何度も、分岐が繰り返されていきました。構造がさっぱりわからない、とても不思議な道筋でした。それはもう、あみだくじ。私は巨大なあみだくじに取り込まれてしまったのでした。
すると、森の生物に遭遇しました。否、静物、と云ったほうが正しいのかな? 否、でも動いていたのでやはり生物でしょう。それは、見るも美しい、しかし世にも巨大なフランス人形でした。美少女に見えましたが、彼女は私に囁いてきたのです。驚きました。しかし、なぜだか受け入れ、話を聞くことにしました。『僕は女の子みたいなんだ』そう云ってしくしくとフランス人形の瞳から一滴の美しい、珠のような涙が滴りました。『これはね、吉兆のしるしだよ、いいこと、そうだな、例えば君のお仕事やら君の人間関係やらで、きっと、いいことが起こるから』。
夢はそこで途絶えました。それ以降、神に触れたような心地は続いていきました。いいことが起こるんだ、そう確信した私は齢もわきまえずにワクワクの日々をそれから過ごしていきました。半月ほど後には大きな取引、つまり、山部さんとの大仕事が待っている、きっとうまくいく、しかしです。彼女にフラれました。数日後、やけになってしまっていた私はあろうことか山部に粗相を起こしました、惨敗でした。友人とも仲たがいしてしまい、やきもきした気持ちを抱えてふらりと立ち寄ったこの店、予言めいた不思議な雰囲気で、奇術師はいいました、『それは吉兆だよ』と。しかしそれは的外れでしかなかった。私はあの日あの時をもう一度経験したのです。あなたのことですよ、このインチキ奇術師め! 要はそういうことだ」
肩を激しく動かして息が切れていた。奇術師の手は未だなお、唐紅に燃え続けていた。あろうことか心なしか縁の辺りが黒く煤けている。
「あんたね、火傷しますよ」