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西調布にて~棒の舞~

作者: 北 教之

調布市を舞台にした恋愛小説のシリーズ、「恋する調布」。その第二弾です。

 西調布の駅から品川通りを横切って、若宮八幡神社に続く坂を降りていく。傍らを、自転車に乗ったお母さんが颯爽と走りすぎていく。ハンドルと荷台にそれぞれ取りつけたチャイルドシートに、赤ちゃんと5歳くらいの子供を乗せた三人乗り。下り坂でスピードのついた自転車の上で、子供の歓声が弾ける。見送る先の左手に、若宮八幡神社の緑が、こんもりとふくらんで見える。

 

 開演は14時だから、と、彼女は言った。時計を見ると、13時15分。開場は13時30分だったな。楽器の準備などを考えると、ちょうどよかろう。天気にも恵まれた。彼女が演奏するホールがある山梨の町も、こんな風に晴れあがっているといいけれど。

 

 初めてのソロ舞台だから、と、彼女は言った。アンサンブルコンサートのオープニング、10分足らずの小曲とはいえ、プロのソリストとして、お客様の前に立つのは、これが初めて。アンサンブルの他のメンバーもビッグネームばかり、これは本当に、大きなチャンスだ。

 だから、行く。何があっても、行く。この機会を断ってしまったら、自分の今後のキャリアに大きな傷がつく。修復には何年も時間がかかるだろう。ひょっとしたら、一生かかっても取り返せないかもしれない。

 私はプロになったんだよ。これで金を稼ぐと決めたんだ。舞台に穴をあけちゃいけない。例え、大事な人の死に目に会えなくても。私はそういう仕事を、自分の一生の仕事にしてしまったんだから。

 

 僕にはそんな覚悟はないな。

 

 右手に下げた黒い楽器ケースの中に収まっているのは、中学時代からの相棒。彼女と僕を結び付けてくれたのも、この楽器。僕の指の形に合わせてキーがすり減って、くたびれたクラリネット。

 彼女同様、プロの道を目指すことを考えたことがない、といえば嘘になる。中学高校時代のほとんど全てを、この相棒との時間に捧げた、といっても大げさじゃない。でも、踏み込む勇気はなかった。勇気がなかった、というのは正確じゃないな。踏み込むことで得られるもの、失うものの具体的なイメージを描いて、実現に向けて必要な行動をリストアップして、実行に移していく努力をしなかった。その苦労を考えるだけで萎えた。それは、勇気がない、と表現するべきことじゃない気がする。ある程度冷静に、得失計算をした結果でもあるし、自分の実力を見極めた結果でもある。そこまで音楽に対して情熱が持てなかったのかもしれないし、逆に、音楽を生活の手段にすることで、音楽を純粋に楽しめなくなる寂しさ、みたいなものも見えていたかもしれない。

 でも、彼女を見ていると、そういう頭で考えた色んな言い訳とかは全部ぶっ飛んでしまって、単純な「覚悟」という単語に集約されるような気がしてくる。音楽が好き、というだけでは、音楽で食っていくことなんかできない。音楽を仕事にすることで、音楽も、自分も、何もかもが大嫌いになる瞬間もある。音楽を呪いたくなる時間もある。いくら努力しても越えられない壁にぶつかって、自己嫌悪の泥沼にあがくこともある。そういう時間に耐えてでも、自分は音楽でカネを稼いでいくのだという「覚悟」。

 

 若宮八幡神社に続くこの急坂は、多摩川が武蔵野台地を削り取ってできた、いわゆる「立川崖線」の一部だ。青梅から東にずっと伸びて狛江あたりまで連なる崖。関東ローム層に降った雨は、台地の中を流れる地下水脈となって、この段差のところで湧水となって溢れ出す。

 水の湧き出るその地形を、「ハケ」というのだ、というウンチク話を彼女にしたことがあって、それで今日、僕はこの楽器をかかえて、若宮八幡にお参りすることになった。

 

 階段を上っている途中で、携帯からメール着信音がする。「準備できた?」と聞いてくる。開場まであと10分。今若宮八幡に着いたところだ、と返信したら、遅い、と怒ってきそうだから、シンプルに、「大丈夫」と返信する。二段跳びで階段を駆け上がった。

 神社を覆い尽くす緑の陰に荷物を置いて、まずは手水場で手を清めて、本堂にお参り。彼女の演奏含め、色んなモロモロがうまくいきますように。さて、準備だ。

 山梨で開かれるコンサートのテーマは、コダーイとバルトーク。メイン曲はコダーイの「ミサ・プレヴィス」。コンサートの冒頭はバルトークのピアノ独奏曲、次がヴァイオリンとチェロの二重奏曲、ピアノ五重奏曲、オーケストラ曲、そして、合唱も加わっての「ミサ・プレヴィス」と、次第に編成が大きくなっていく、という趣向。その冒頭のピアノソロを、彼女が任された。ピアノ五重奏曲の伴奏に誘ってくれたヴァイオリニストの推薦。いままで伴奏者として活動してきた彼女にとって、初めての、ソロデビュー。

 曲は、バルトークの「ルーマニア民俗舞曲」。クラリネットのソロアレンジ譜もあるよね。私が弾いている時間、あなたも同じ曲を吹いて。若宮八幡の境内で。私の演奏する山梨の会場と、地下水脈でつながっている、「ハケ」の上で、同じ旋律を一緒に吹いて。

 意味あるのかね、と首を傾げたら、恐ろしく怖い顔で睨まれた。そのまま、その鬼のような目から、ぽろぽろ涙がこぼれ出して僕は慌てた。女の涙に勝てるやつはいない。

 

 怖いのよ。分かってよ。

 

 それだけ言って、泣きながら僕を睨んだ彼女の、言葉にならなかった部分を、僕なりに埋めてみる。これまで伴奏者として培ってきた技術が、ソリストとして本当に通用するのか。大丈夫、と言ってくれた推薦者の期待に応えられるのか。聴衆を満足させられるのか。そして何より、このコンサートのために自分が払った犠牲に見合うだけのパフォーマンスを出すことができるのか。自分自身が納得することができるのか。

 

 分かったよ。俺も本気で吹くよ。君のピアノが色あせるくらい、ガチのクラリネットソロ吹いてやる。だから、君もガチのソロ弾けよ。

 

 境内の脇の広場の真ん中で、ケースを開く。一番使い慣れたB管を選んだ。リードケースから出したリードを口にくわえて、ラッパ、下管、上管を組み上げ、マウスピースのキャップを開く。リガチャーを外し、湿らせたリードをマウスピースにセットする。マウスピースに息を吹き込んでリードの感触を確かめる。この生のリードの振動音の人間臭さが好きだ。チャルメラのようなちょっと間の抜けた音。居酒屋でくだを巻いている中年オヤジの半泣きの声のような情けない音。しばらくその音の響きを確かめてから、上管にセットする。何十年も続けてきたルーティン。

 彼女の演奏前のルーティン。両手の指を組んで、背中の肩甲骨を閉じたり開いたりする。ピアノは背中で弾くのよ、と彼女はよく言う。自分の肩甲骨から大きな羽根が伸びるのを感じる。その翼を羽ばたかせるように、鍵盤を叩く。音に合わせて背中ではためく自分の翼を感じる。いい演奏の時には、本当に高く高く空を飛んでいるような気分になる。耳元をなぶる風すら感じることもある。降り注ぐ太陽の光柱の間をすり抜けていく浮遊感まで感じることもある。もちろん、イカルスのように墜落してしまうこともあるけれど。それでも、自分は飛べると信じて、羽ばたく。

 また携帯からメールの着信音がする。「あと10分、時間通りに開演」とある。「こっちもスタンバイOK」と返信する。「じゃ、電源切るね」との返信。こちらも念のため、携帯の電源を切る。目を閉じて、ゆったりと自然体に立つ。足元の大地の奥底で、遠く富士山系から流れ下ってくる地下水脈の流れに耳を澄ます。若宮八幡の境内を包む木々の根に吸い上げられ、太い幹の中を上昇し、無数の葉の葉脈をたどって天へと昇っていく水の流れに耳を澄ます。天に昇る水のいのちに向かって、さやさやと送別の歌を歌い続ける葉擦れの音に耳を澄ます。そしてさらにその空の高みで、風を切って飛ぶ彼女の翼の音を想像する。

 

 僕のクラリネットは、僕を空の高みには運んでくれなかった。僕は地上に留まり、光や雲や虹と同じ高さへと駆け上っていく彼女の姿を、ただ見上げている。僕の足元には泥で汚れた地面があり、絡みつく様々なしがらみがある。

 

 あなたからも言ってやってくださいよ。

 

 彼女の年老いた母親が、電話の向こうで呟いた言葉。自分の父親がもう危ないっていうのに、これが最後になるかもしれないっていうのに、演奏会の仕事があるからって、いつからそんな親不孝な娘になったんだか。あなたにだって、色々と迷惑かけてるだろうに。

 何か言いたくても、僕には言葉がない。天上で鳴り響く高みの音楽に少しでも触れたことがある人間にとって、そしてその音楽を生み出す力を与えられた人間にとって、聴衆に向けて奏でる音楽は、全てが祈りだ。自分を生み出してくれた世界、自分を包み込む世界、共に生きる全ての命に向けて、全方向に放つ祈りだ。だからその瞬間、彼女の心は、彼女の父親の心に、恐らく最も近くなる。そして、僕の心にも。

 

 舞台袖の彼女の背中が見える。ぐっと盛り上がった肩甲骨から、真っ白な翼が、さぁっと広がるのが見える。彼女は舞台に向かって歩み出す。光り輝く舞台へ。天空の高みへ。彼女は聴衆に向かって会釈をし、ゆっくりとピアノ椅子の上に舞い降りる。大きく息を吸い込む。僕も大きく息を吸い込む。

 

 そして、音楽が始まる。

 

 「ルーマニア民俗舞曲」の第一曲。「棒の舞」。棒を打ち合う戦いの踊りの音楽でありながら、その舞は優雅で、棒を打ち合うというよりも、風と風が戯れながら広大な草原を駆け抜けていくような、ゆったりと大らかな響きがする。そして各節の最後に、舞手が手にした棒で、地面を打つ音がする。自分の立つ場所を確かめるように。遠く、高く飛び去っていった自分の祈りの行方を、しっかり両足を踏みしめて大地から見上げるように。

 

 僕は大地だ。君は祈りだ。

 僕はここで、大地の歌を奏でながら、空の高みを飛ぶ君を見上げている。

 僕は決して、君を見失うことはない。

 僕の視線のあるところに、君の棒を打つがいい。

 そして再び、空の高みへ飛ぶがいい。

 

 若宮八幡の空の上に、白い翼が羽ばたくのが見えた気がした。


(了)

今回は、我が家のある西調布駅の近所の若宮八幡を舞台にしてみました。若宮八幡を覆う緑の森は、「はけ」から流れる豊かな水に恵まれた調布を象徴する景色の一つです。

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