序章 始まりの繋ぎ手
「現状を報告しろ!!」
アラーム音が鳴り響く部屋。薄暗く、赤いランプが点滅している中で老人が激情に声を上げた。ふてぶてしい態度で豪奢な椅子に腰掻け、跪く青年に声の矛先を向けている。
「はっ。先程、ヤツが……第四福音を使って逃亡しました……」
「何……!?」
事の重大さに思わず、老人は立ち上がる。
「その折、例の儀式に関与した魔術師が昏倒させられました」
辛そうな面持ちで事の経緯を語る青年。
「バカな!? ヤツには力を与えていないんだぞ! それがなぜ……?」
老人は驚きよりも、疑問が心に引っ掛かっている。顔色を伺えば、一目で分かる。裏付けるように青年は補足説明する。
「それが……。第四福音がヤツから魔術を会得したらしく。その負荷で力を得たようです」
「その魔術とやらは?」と老人は眉を顰める。
「はっ。共有の術を下敷きにした幸福の裏返しと言う魔術ですが、詳細は今、例の文献から解析班を使って調査しています」
「そうか……」
冷静さを取り戻した老人は静かに椅子に座り、頭を抱えた様子で命令を下す。
「何としても捕まえろ。力は使い果たしたはずだが、このまま放置すれば……世界が破滅する」
「……場合によっては?」
跪く青年は鋭く見上げていた。まるでその方法は自分の意にそぐわないことだと威圧して睨んでいるようにも見て取れる。
「……。殺せ。だが、その前に賢者の劍の発掘を急がせろ」
「……了解しました。討伐部隊にはファウストと鵠志の班を当たらせます」
それだけ言い残すと、青年は部屋を出て行った。
「捕獲部隊ではなく、討伐部隊とは……。どちらにせよ、……これが運命なのか?」
天井の一点を老人は仰ぎ見る。可笑しなことに天井は岩で作られていた。そして、そこには大きく壁画が描かれている。
人の形をした剣を持つ者と禍々しく表現された竜の形を模した者が対立するような関係が描写されていた。老人は前者の壁画を直視している。
「ヤツを封じても、この因果は未来永劫続き、いずれ世界はヤツに壊されるだろう」
畏敬の眼差しだった。神を崇め、崇拝する者達とよく似ている。それ程、壁画に描かれた人の形をした剣を持つ者は崇敬な存在なのだろう。そうでなければ、わざわざ壁画で遺すはずがない。または、何らかの偉業を為し得た者か。
「貴方様なら、どうしただろう。マギ、東方の大賢者……メルキオール・クルスニクよ」
壁画の両手に剣を持つ者に問いを投げ掛ける。もちろん、返事は返っては来ない。
仮に、壁画の者を東方の大賢者とするなら。対を成す、禍々しく表現された竜は一体、何を意味するのだろうか……。
「……ねぇ。どうして、…みんなはルクスをあんな眼で見るの……?」
弱々しかった。強風に吹かれて、今にも消えてしまいそうな灯火を連想させる。可憐でいて、儚くも幼い声。
――君の力に嫉妬しているんだよ。幸福の力を。
答えたものは少年のような、少女のような、青年のような、老人のような、老婆のような、聞き分けができない混沌としたものだった。
「……幸、福?」
――それを狙っている。そのため、ここの連中は君にひどいことをするよ。
「ルクス、何も知らない……。何も分からない……」
――ならば、孤独に死ぬか?
「……いや」
――寂しいか? 一人でいることが。
「だって、ここは……暗いよ」
――だから?
「とっても、……恐い」
――恐い事などない。なぜなら、……みんな居るよ。
『痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛いィィィィィィ!! 痛いよ、ルクスゥ』
「えっ」
『暗い…暗い…暗い…暗い。あなたのせいだ。あなたのせいで私は…私は!!』
「ル、クスの……せい?」
『死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ! 死ぬ! 死にたくないィィィ! あぁぁぁぁぁ……』
「……いや」
『お兄ちゃん……、お兄ちゃん……、お兄ちゃん……、お兄ちゃん……、お兄ちゃん……』
『渇ク、渇ク、渇ク、渇ク、カワク、かわいて、しまうゥゥゥ!! 血ヲ、貴様ノォォォォ!!』
『殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺すす殺す殺すゥ!! ルクス、お前を殺してやるッ!! 必ずだッァ!!』
「……やめて」
『お前と関わらなければ良かった。なんでお前だけがノウノウと生きてるッ!? 死ねよ!!』
『あんたなんて、生まれて来なければ良かった。可愛い顔の裏ではこんな非道なんて……、アバズレが!!』
「……違う」
『媚売って、取り入りやがって、クソとクズみてぇな存在だよ。お前は……!』
『気持ち悪い。男に貢がせようとしてんでしょ、最低の女。友達面しちゃって人間のフリしないで! 気持ち悪い。みんな、お前のことなんて言ってるか分かる?』
『『『『『『『『『バケモノ』』』』』』』』』
「イヤァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ
ァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ
ァァァァァァァァァァァァッァァァァァァァァァ。……ア……アァ……ア……。うぅ、うぅぅぅぅぅぅ、あぁ、ぅう、あ、あ、あ」
――泣くことはないだろう。みんなを幸せすればいい。君もみんなも誰も傷つかずに済む。全て終わった時、君は自分を思い出し家族の元に帰ることができるだろう。
「……ホン、ト?」
――ああ、そうだ。みんなを幸せにしよう。だから、教えよう。……。
「魔術、を?」
――人を幸福にする大いなる力、……幸福の裏返しを授けよう……。
「ひとを……しあわせにできるの?」
――ああ、できるとも。君がその代償を負えば。
「……うん。ルクス、ひとを、みんなを、……しあわせにしたい」
少女は悪くない。
ただ、知らなかった。声の正体、自分の生い立ちも、何もかも。
ただ、純粋過ぎた。声の真意に疑いを抱かずに。
ただ、嫌だった。独りで孤独に居続けるのは。
『ヒトを幸せにしたい』
少女のたった一つの願いが、出会いの、悲劇の、始まりだった。