5.
あの出来損ないのティラミスのような形をした陰鬱な流刑地ランペドゥーサ島の司令官は緘口令を布いた。パッサカリアの脱獄成功が囚人たちを勇気づけるおそれがあったからだ。だが、一斉検挙後の《行政措置》で流されてきたカステルフィターリアの《名誉ある男》たちがやってくると司令官の努力も水泡に帰した。カステルフィターリアの《名誉ある男》たちは鳥の名前をつかった暗号めいたやり取り――かもめはとんでった。ウズラは引き裂かれた、など――で崖から飛び降りたパッサカリアが生き延びてシチリアに戻り、さらに自分を密告した父親を情け容赦なく撃ち殺したことを広めてしまった。収監された山賊や《名誉ある男》たちは突如反抗的になり、野良仕事の道具をわざと石にぶつけて壊したり、発掘した古代の通貨で壁に落書きを刻んだりして、自分たちは容易に屈服されないことを示そうとした。
だがドン・ジュセッペ・アルベルティは違った。彼はカターニアで繁盛させた飲み物商売のことがいまだに忘れられなかった。カターニアから新たに流されてきた《名誉ある男》が伝えたところによると、ドン・ジュセッペのつくりあげた飲料販売産業は彼の逮捕と同時に砕け散ってしまったという。ファシストの黒シャツ隊が――豚のように太ったのもいれば、ひょろ長いやつもいた――ムッソリーニを称える歌を喚き散らしながら、飲み物の売り子を襲い、彼らの手押し車を徹底的に壊してまわったからだ。彼の会社はぶちまけられた甘いシロップとともに玉石舗装に染み込み、消えた。
いまやカターニアではアイスクリームが流行っていて、サッカリンで味をつけた飲み物はすっかり見られなくなった。それを知ったドン・ジュセッペは新しくやってきた《名誉ある男》を質問攻めにした。アイスクリームの製造業者はなんて名前だ?――そのミラーリオという男は何者だ?――騎士の位を持っているのか?――製氷工場は誰が仕切っている?――そのパオリーノという男は何者だ?――北からやってきた男か?――月いくらで氷を卸している?――なぜアイスクリーム屋のミラーリオは製氷工場を自前に持たないんだ?――なぜパオリーノは自分でアイスクリームを売らないのだ?――なぜミラーリオもパオリーノも巨万の富を得るチャンスを前に何もしないのだ?――製氷と氷菓子の二つを押さえてしまえば、いくらでも材料コストを抑えられるのを知らないのか?――そいつらは馬鹿なのか?――アイスクリームはいくつ味がある?――ばかものめ、バニラだけでどうやって客を増やす気だ?――アイスクリームをはさむためのビスケットは?――エトセトラ、エトセトラ。
ドン・ジュセッペは崖に沿ってつくられたオレンジ畑で草むしりをしながら、白昼夢を見た。完璧に再編された清涼飲料会社、新たに設立したアイスクリーム製造工場、製氷工場は氷を氷菓子専門に卸す。ビスケットは以前面倒みてやったパン屋に焼かせるとして手押し車は? すぐ元通りになる。青と白のマドロス人形が乗った遊覧船風の手押し車は手押し車職人につくらせる。新しい手押し車は手回しオルガンで集客させる。いやいっそ自動車を改造してそれで売りまわらせるのもいいかもしれない。果物市場に持っている食堂ではよく冷えた桃を売ろう。シロップ漬けではなく、本物の桃だ。これはあたる。カターニアはおろかシチリアじゅうの高級カフェが真似をするだろう。
ドン・ジュセッペの突然の死はマフィア同士の内紛があったためではないかと司令官が疑い、収監された《名誉ある男》のなかでも最も尊敬を集める長老ドン・ペッレグリーノ・イベッロが呼び出された。司令官は紙ばさみから一枚の図式を取り出した。ピラミッドが二枚かかれ、様々な《名誉ある男》の名前がピラミッドから余白にかけて、肉を内側から食い破る卑劣な獣のようにつづられていた。それによると、ドン・ペッレグリーノ・イベッロはパレルモで六つの組を仕切っていた大物であるから、彼を頂点に獄舎内部でマフィア組織がつくられているというものだった。もう一つのピラミッドは山賊のもので頂点にはカルミネ・パティエンツァの名前があった。
司令官は言った。
「マフィアの組織図だ」
「話を聞こう。ただしこのピラミッドは引っこめてくれ」
「ジュセッペ・アルベルティは副官だったな」
「マフィアの副官? 彼は立派な清涼飲料業者だった」
「いいか、おれはロンバルディアの生まれだ。だから、マフィアに遠慮するつもりはないからな。マフィアなど空想の産物だなんてお決まりの台詞も聞かんぞ」
ドン・ペッレグリーノ・イベッロは囚人服が夜会服に見えるほど優雅な動作でどうぞご自由にと肩をすくめた。
「いまこのランペドゥーサで山賊とマフィアのあいだに揉め事があるだろう?」
「揉め事はあった。菜園の茄子が一つ、相手の菜園のほうまで伸びたんでな。それを注意されて切った」
「じゃあ、ジュセッペ・アルベルティが死んだとき、どこにいた?」
「言われたとおり豆粒みたいな石を穀物袋から取り除いていた」
「誰がジュセッペ・アルベルティを突き落とした?」
「飲み物、アイスクリーム、よく冷えた桃」
「なんだと?」
「その三つのアイディアが彼を駆り立てた。あいにく駆り立てられた先は海だった」
「自殺だというのか?」
「いや事故だ。カターニアへ釈放されたら、すぐにも設立予定の会社のことを考え、つい夢中になり足を踏み外した。彼は本当に商売を愛していた。主よ、彼の魂の安らかならんことを」
ピラミッド型組織図とは違うが、確かに監獄でも派閥のようなものはあった。ドン・ペッレグリーノ・イベッロを頭とする《名誉ある男》、カルミネ・パティエンツァを崇拝する山賊たち、そして《名誉ある男》とは関係ないのにもかかわらず行政措置と称して流されてしまった無実のカタギたちがわずかながらいた。このカタギのなかに猫の額ほどの土地から地力を引き出し芽キャベツとトマトと数種類のランを咲かせてみせた造園屋がいて、その能力を買われて、親分クラスの《名誉ある男》や山賊のプライベートな菜園を管理することが任された。
曇り空の隙間から冷たい風が吹き、綿を入れた服が支給されるようになった。ナポリからカモッラの団員たちが《行政措置》で島に流されたのもその時期だった。《名誉ある男》とカモッラの反目が、越えがたい溝が生まれ始めていた。これは民俗学的問題であった。《名誉ある男》たちは四六時中ぺちゃくちゃしゃべりちらしているカモッラに我慢できず、カモッラは《名誉ある男》のことを腹のなかでいつも誰かを裏切ることを考えてるろくでなしの辛気臭い田舎者と馬鹿にした。二つの派閥はおたがいの敵意についてよく知っていたので、縄張りを設定して抗争を回避することとした。ランペドゥーサ島は目に見えない線によって細切れにされた。こうした囚人が独自の秩序を構成することにランペドゥーサの司令官は苦い気持ちで放置してきたが、内心はほっとしていた。マフィアとカモッラの手綱ならば何とかとりきれる。この調子で年が越せればいい。
ところがランペドゥーサの司令官が恐れていたことが起きてしまった。カラブリアからンドランゲタの代表や組員が流されてきて、縄張り事情が一変してしまった。《名誉ある男》と山賊、カモッラ、ンドランゲタの四つが出来損ないのティラミスのようなランペドゥーサ島に収まりきるはずもなく、縄張り争いが始まった。トマト菜園の日当たりをめぐって、あるいはこっそりつくったどぶろくをめぐって、対立は深まった。罵り言葉や殴り合いの応酬で懲罰房は満員となり、さらに懲罰房のなかでカモッラの団員が左官用のこてで喉を切られて殺されると、司令官は頂上会議をせねばならんと覚悟した。問題は礼拝堂でやるのか、庭でやるのかだ。
カモッラの死体が埋葬されて数日後、四人の男が砦の東にある大尉の屋敷の庭にいた。彼らはぶどう棚のつくる陰の道を歩いていた。美しい庭だった。いくつかの菜園や噴水をぶどう棚でつなげていて、直射日光を浴びなくても動けまわれるよう工夫がしてあった。曲がり角には小さなテーブルにかわいらしい花を浮かべた水盤があり、道には松ぼっくりが転がっていた。司令官はレモン鉢置き場にいた。淡い水色のテーブルクロスをひろげた卓には円筒形のソーダグラスと籠に入ったワイン、それに子豚のローストとそれを切り分けるためのナイフ、皮がぱりぱりした平べったいパンが籠に積み上げられていた。
ドン・ペッレグリーノ・イベッロ、カルミネ・パティエンツァ、カモッラからはジョヴァンニ・カプッチョ、ンドランゲタからはロドルフォ・コロニーニと各組織の代表が招待されていた。司令官は挨拶もせず、黙って子牛のローストを切り、各人の好みをたずねた。腿肉、腹、ぱりぱりした皮、どこでもいい。切った肉をパンの切れ目に挟み、ソーダグラスに冷たいワインを注いだ。カプッチョはコロニーニを睨み、コロニーニはそれを意識しつつ平然と煙草をつけ、カルミネ・パティエンツァは脂が顎髭につかないよう注意しながらサンドイッチを食べた。ドン・ペッレグリーノ・イベッロはパンを一口かじり、グラスのワインを二口飲むとつぶやいた。「それで?」
司令官は自分のパンを食べ終わると二つ目を切りながら、言った。「縄張りは決めなおす」
イベッロとパティエンツァ、カプッチョが手を止めた。コロニーニはおやおやという顔をした。司令官はつづけた。
「それと各人がやっている考古学者の船に乗じた密輸は制限を出す」
新参のカプッチョとコロニーニはイベッロとパティエンツァの顔を見た。二人とも黙ってパンを食べ、ワインを飲んだ。
「海老やワインを輸入するくらいなら目をこぼそう。だが、刃物や銃の部品はだめだ。持ち込んだものは全て今から二時間以内に砦の右の柱に開いた窪みのなかに置くこと。それとカモッラを殺した男も二時間以内に看守に自首を申し出ること」
「そうしなかったら?」コロニーニがきく。
「私と私の部下、それにカタギの服役囚は島から脱出する。数時間後にはムッソリーニが駆逐艦をよこして、貴重な遺跡を秘めたこの島を跡形がなくなるまで砲撃する」司令官はナプキンで口を拭いた。「いま言ったことは最後通牒だと思ってくれていい」
「ロンバルディア生まれにしては気が利くな」ドン・ペッレグリーノ・イベッロは二つ目のパンがほしいと言った。司令官は切った肉を挟んでパンに差し出した。
「あんたへの取り分は?」ナポリ人のカプッチョが言った。「誰の顔もつぶれないよう取り仕切ったんだ。取り分を要求するつもりなんだろ。いくらだ」
「ゼロだ。おれはお前らが会ってきた連中とは違う。この四人のうち誰かがおれを脅しや金で操縦できると思っているのなら、後悔することになることをここで教えておく……それで、答えは?」
「カモッラを殺した男だが」とコロニーニがしんどそうに座りなおしながら言った。「そいつは自首するだろう」
「このことで何らかの報復が行われることはない」と、カプッチョ。
「銃の部品と刃物はお望みの場所で見つかるだろう」カルミネ・パティエンツァは言った。
「あんたはどうなんだ?」司令官がドン・ペッレグリーノに言った。
「きれいな庭、太陽と涼しい風、酒、食べ物、そして道理の分かる男たち。これだけあれば」ドン・ペッレグリーノはグラスをあげ、ワインを太陽の光に透かした。「人生は美しい」