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2.

 ランペドゥーサは出来損ないのティラミスのような島だった。甲板から見ていると、囚人たちが岩棚につくった畑を世話しに岩肌をおりたり、何かナイフのかわりになる貝のかけらはないかとうろついていた。先史時代の島ではないか。スループ船が到着し、物資を満載したスチーム・ランチが浅瀬に近づくと、囚人たちは服をぬぐなり裸同然の姿でおよぎ、ランチを取り囲んで物資をねだった。もらえる物資は歯磨き粉と靴下が片方ずつでそれ以外は何ももらえなかったが、とにかく男たちはランチに群がった。

 上陸すると、すぐ登り坂を歩かされた。砦までつながったその道の両側に遺棄されたブルボン時代の大砲がころがっていたが、蔓草や茨に絡められて、少し見ただけではただの茂みと見分けがつかなかった。引率役の憲兵将校がサーベルを抜くと蔓草に刃を叩きつけた。草の切れ目から分厚い苔に取り巻かれた青銅の表面が見えた。文字が刻みつけられている。『勝利こそ我が全て』

 ドン・ペッレグリーノ・イベッロのような大物で、老齢の《名誉ある男》たちは石の部屋に閉じ込められた。いっぽう若い《名誉ある男》や山賊たちはここで労働に従事した。ランペドゥーサ島は古代の商業施設があったらしく、少し穴を掘ると、犬の置物や陶器の破片、古代の小銭がちらほら出てきた。出てきた遺物は月に一度やってくる考古学者に見せるために鍵のかかる大部屋に保管される。考古学者は陶器のかけらを少しずつ集めて、もとの形に復元しようとしていた。

 凶暴な山賊ニコデーモ・パッサカリアは流されてから三日目に早速脱走を図った。彼は遺跡の発掘現場から飛び出すと、憲兵の制止を聞かずに崖に一目散に走って、海へ向かって飛び降りた。パッサカリアはそのまま二日海の上を漂った挙句、マルタ産の煙草を密輸入していた小さな漁船に奇跡的に救助された。

 漁船の持ち主は話しが分かる男だった。兄をチェーザレ・モーリの一斉検挙で逮捕されていたから喜んで助けてくれた。ラッザンツァーレという小さな漁村に戻るとパッサカリアは漁船の持ち主からくたびれた中折れ帽と服をもらい、途中道に落ちていた錆びた鎌をわきにはさんで日雇いの小麦刈りのふりをして、故郷の町ペッチエンラを目指して山道を歩いた。農地監視人に見つかったら撃たれるのを覚悟で果樹園の番小屋に忍び込み、果物とパン、玉ねぎ、靴、そして銃身と銃床を切った二連式の散弾銃を盗み、まんまと逃げおおせた。あとは山道になれた三才馬を手に入れれば山賊として体裁を保てる。

 パッサカリアは玉ねぎとパンをかじりながら、マドニーエ山脈が朝日に染まるのを見た。森らしい森がいくつかと羊飼いの小屋があるだけの山地に潜伏したパッサカリアは何度も見たことのある夜明けに深く感動した。島流しにされるまで自然の美しさに感動したことなどなかった。それが今では山にあるもの全て――サボテン、石灰岩、迷い山羊、空を漂う雲、うっすら靄がかかった沃土――が愛おしかった。谷間で最後のパンの一口を食べると、パッサカリアは谷間にこずんだ小さな生まれ故郷ベッチエンラへ歩いていった。


 ラッファエーレ・パッサカリアは藁と綿を半分ずつつめたマットレスの上で足の痛さに震えていた。農地にかかる靄が町のなかに忍び込むと、小さな散弾を散りばめた脚の古傷がうずき、肉が骨のように硬直した。それは三十年も前にあの極道者の息子ニコデーモに撃たれた傷だった。彼を撃ったとき、ニコデーモは十五歳だった。物心ついたときからの習慣でいつものように息子を殴ろうとしたとき、ニコデーモは油紙に隠した猟銃でラッファエーレの右脚に散弾を撃ち込んだ。ニコデーモは初めて殴られた五歳のころからずっとこうしてやることを夢見ていたと言った。あの極道。おれはとんでもない悪魔の種をまいちまった。親を撃つ子がどこの世界にいる? ニコデーモはそれ以後山賊としてあちこちで盗みや人殺しをして、おれに恥をかかせた。とんでもないやつだ。

 ラッファエーレは寝巻きを脱いで、シャツとズボンに着替えると、杖をつきながら朝食をとるためにヴィンチェンツォの軽食堂へ出向いた。三年前に妻に先立たれてからの習慣だった。空は晴れていた。なるほど晴れてはいたが、午後には雨を呼んできそうな信用ならない晴れ方だった。ヴィンチェンツォの店に着くと、ラッファエーレは茄子を植えてある菜園に近いほうの席に座り、ロールパンとコーヒーを頼んだ。アーチ状に引っこんだ奥の席で雑穀屋のドン・ドメニコが新聞を読んでいた。挨拶すると、ドン・ドメニコは言った。

「ニコデーモのこと聞いたかい?」

「あの極道がどうなろうが知ったこっちゃない」

 ドン・ドメニコは新聞をめくって、小さな記事を見せた。『山賊、島から脱獄を図る』。記事によるとニコデーモが流刑先の島の断崖絶壁から海に飛び込んで逃亡を図ったとあり、まだ死体はあがっていないと短くつけくわえられていた。ラッファエーレは肩をすくめた。絶縁した息子がどうなろうが、知ったことではないという態度であったが、心の奥底には不安があった。死体があがっていないというのだ。ドン・ドメニコは言った。

「あんた、大丈夫なのかい?」

「べつに不安がる話でもあるまい」

 虚勢を張ってみたが、やはり不安が残った。ドン・ドメニコはアッレヴィーノ村の居酒屋の件を暗に仄めかしていた。その噂によれば、ニコデーモ・パッサカリアが逮捕されたのは実の父親である彼、ラッファエーレが居所を憲兵隊長にタレ込んだからだというのだ。それを聞くたびにラッファエーレは鼻で笑った。ずっと会っていない息子、ましてや警察や憲兵が血眼になって捜している息子の居所を、どうしておれが知っているものか、と。

 だが、ラッファエーレには不安もあった。息子が逮捕される数日前、アッレヴィーノ村の居酒屋でラッファエーレは正体を失うほど泥酔していて、その夜の記憶があいまいなのだ。それに居所を知らないといったが、まったく知らないわけでもなかった。アーモンド農園の監視人をしているベネデット・マンノイアがどうやら娘とあんたの息子がこっそり会っているらしいとおそれおそれ遠回しに文句を言い、なんとかしてくれと言ってきたのだ。

 アッレヴィーノ村の居酒屋で飲んだ夜、ひょっとするとニコデーモがベネデット・マンノイアの娘と逢引していることを誰かに話したかもしれない。ひょっとするとその場に非番の憲兵隊長がいたかもしれない。ひょっとすると……

 はやくニコデーモの死体があがってくれるといい。ラッファエーレはそう思いながら靴屋の工房へ痛む足を運んだ。騎兵隊広場では黒シャツ隊の若者たちが整列して示威行進のようなことをしていた。ラッファエーレは黒シャツ隊が気に入らなかった。思想信条や服装のセンスは関係なく、彼らがこれみよがしに足を振り上げて行進するのが妬ましかったのだ。ラッファエーレの右足はあの四分の一も上がらないのだ。ろくに歩けない自分が靴屋の職人として他人の靴のために働いている。人生は間違いだらけだ。ラッファエーレ・パッサカリアは鎧戸に鍵を差し込んだ。

 黒シャツ隊の若者たちの証言は捜査の役には立たなかった。彼らは美しく行進し、ジョヴィネッツァを大声で歌うくらいしか能のない若者たちだったから、犯人がどっちのほうへ逃げたのかもろくに覚えていなかった。ラッファエーレ・パッサカリアは殺される直前、「たのむ、ニコデーモ、やめてくれ!」と叫んだ。犯人は引き金を引ききって二発同時に発射したので、ラッファエーレ・パッサカリアはつぶれた肺がむき出しになるほどの穴を開けられ、鎧戸にたたきつけられた。憲兵大尉は隣接する管区全域に緊急指名手配をかけたが、自身それが役に立つとは思っていなかった。ニコデーモ・パッサカリアが山に逃げ込んだのなら、一個連隊をつぎ込んでも捕まらないだろう。山脈は再びパッサカリアに怯えることとなった。

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