1.
パレルモの《名誉ある男》たちもマドニーエ山脈の山賊もカルタニッセッタの《名誉ある男》も捕まっていた。カターニアの《名誉ある男》たちもやられていた。それでドン・ペッレグリーノ・イベッロは納得した。やつらは本気なのだ。やつらは我々を根絶やしにするつもりだ。
自分への訴状は十年前、聞き分けのない愚かな家畜泥棒を殺したという罪だ。家畜泥棒に殺し! やつらはわかっていない。家畜泥棒とはもっとも美しい犯罪なのだ。盗み、詐欺、買収、密売が重なり合って洗練されたものこそ家畜泥棒なのだ。山賊が盗み、政治家が販売許可を出し、肉屋が売る。《名誉ある男》が全ての糸を引き、関わったもの全員に利益が行き渡るようにする。そこに殺しの介入する余地などない。なぜなら損をするものがいないからだ。家畜の持ち主ですら損をしない――あの凝った動物をかきこんだ盾の紋章を崇拝する貴族たち――彼らもまた、ローマの保険会社に被害を報告して、現金を得るのだから。
ドン・ペッレグリーノ・イベッロはそのチンピラがなぜ死んだのか知っている。《名誉ある男》の女房に手を出して殺されたのだ。誰の女房かは分からない。なぜならドン・ペッレグリーノ・イベッロはその殺しに一切関与していないからだ。
これまで殺人で起訴されたことはあった。それは全て身に覚えのあるものだったが、全て無罪放免となった。それが今はやってもいない殺しのために終身刑を言い渡される。ああ、人生は美しい。
捕まった《名誉ある男》のなかにジュセッペ・アルベルティがいた。《名誉ある男》というよりはかたぎの弁護士に見える初老の男でカターニアの飲み物商売で元締めをやり、かなり儲けた男だ。ドリンク・スタンドは町じゅうあちこちにあった。エスポジツィオーネ広場やガリバルディ通りとプレビスチト通りの交差点、ウンベルト一世通りから離れた薄暗い小路や二十世紀通りから外れた小さな泉のある広場で、疫病じみた蒸し暑い夏の日を乗り切るためにあらゆる人々が冷たい飲み物を買い求めた。青と白の縞がかわいらしい船乗り人形を乗せた遊覧船風の手押し車やバナナをかかえたお猿がかわいらしいジャングル風の手押し車が石を敷いた道の上でガタゴト鳴りながら、柑橘類やぶどうの風味をつけたサッカリン水を売って歩いた。飲み物は飛ぶように売れた。
そのアルベルティは銃の不法所持でつかまった。それは十二番径の猟銃だった! 人よりキジを撃つためにつくられた銃で、友人からプレゼントされたものだった。アルベルティ自身もまさかこんな銃で逮捕されるなど思いもよらなかっただろう。
窃盗、強盗、詐欺、殺人、ひったくりから家畜泥棒まで、行き着く先はみなランペドゥーサ島だ。島流しとはいかにも北の人間が考えそうな意地の悪い手だ。チェーザレ・モーリもムッソリーニもみんな北部の畜生だ。生きているだけでも申し訳のない連中だ。やつらは《名誉ある男》を絶滅させるつもりだ。
ファシストが憎むのは共産主義者だけだと思っていたが、考えが甘かった。ムッソリーニがなぜ《名誉ある男》たちを一人残らず島流しにしようとしているのか、誰も真実は知らない。飛んでいった帽子を拾わなかったとか、逆に帽子を盗んだとか、つまらない噂ならたくさんある。だが、誰も真実は知らない。
この場合、真実はどうでもよいのだ。我々の運命を握っているのは権力だ。その権力はいまあいにく手元になく、すべて裁判長席に座っているあの小柄な老人に握られている。ロッシとかフェラーラとかそんなありふれた名前の、北の出身らしいくたびれた老いぼれ。裁判長席に法令集を二三冊置いて、その上に座って初めて顔が見える、ちびたキーキー声の老人。申し訳程度のつまらない存在。そいつが権力を握っている。情けない。だが、人生は美しい。
檻のなかに被告席をつくるというアイディアは、きっとナポリの判事が考え出したに違いない。ナポリ人というのは大げさな身振り手振りをしながらぺちゃくちゃ意味のないことをしゃべり、うろうろ歩き回らなければ、こんにちはの一言もいえない連中だ。ナポリのカモッラ団員が被告席で弁論をする際、わめきちらしながら歩き回ったのだろう。だから、判事は考えた。被告席を檻のなかにつくれ。檻のなかならいくら動き回ってもかまわん。情けない。まるでチンパンジーじゃないか。
裁判長ことロッシとかフェラーラとかそんなありふれた名前の、北の出身らしいくたびれた老いぼれは次々とランペドゥーサ送りを宣告した。ランペドゥーサがどんな島なのかは知らない。ランペドゥーサ島がどこに浮かんでいるか、誰にも分からない。知りようがない。地図にのっていないのだから。
ドン・ペッレグリーノ・イベッロが考えるにランペドゥーサは島ではない。それは海からほんの少し鳥糞石が出っ張った岩に過ぎないだろう。やつらはきっと鳥の糞の化石を食って生きろと命ずるつもりだ。
ドン・ペッレグリーノ・イベッロもやはり、ランペドゥーサ行きを宣告された。もはやシチリアには戻れまい。ああ、人生はやはり美しい。
チェーザレ・モーリが来る前はなにもかもうまくいっていた。山賊と《名誉ある男》と政治家。この三位一体が物事をうまくまわしていた。山賊と政治家が実業家や教会に席をゆずることがあっても、《名誉ある男》がこの三位一体から省かれることはありえなかった。
しかし、さっきから気になるのだが、判決文のなかによく分からない言葉が繰り返し聞こえてくる。マフィア? それは一体なんなのだ? どうもポレンタばかり食べている北の連中は《名誉ある男》のことをマフィアと呼んでいるらしい。ドン・ペッレグリーノ・イベッロは絶句した。言葉の使い方も分からない連中に我々は裁かれた。つまり我々はそれ以下の存在だ。
ニコデーモ・パッサカリアは唇をかんで血を流しながら泣いている。涙を流しているのだ。ベッチエンラの山賊で自分の父親を撃ったこともある冷酷非情な男が。パッサカリアは悔しくて仕方がないのだ。こんな馬鹿どもに裁かれたことが。
馬鹿どもの首魁ムッソリーニが狂犬チェーザレ・モーリをパレルモ県知事として派遣したのは一九二五年のことだ。奇妙なことにこの男、以前はファシストを憎んでいたらしい。どこか北の県で知事をしていたときには騒擾罪で何人もファシストを引っぱったということだ。おそらく、この男は独自の規律を自分や他人に課していてそれを侵すものは相手がムッソリーニだろうがローマ教皇だろうがトロツキーだろうが襲いかかりズタズタにしてしまうのだろう。それが認められたのか疎まれたのか、とにかくチェーザレ・モーリはムッソリーニから直々に命じられて、シチリアに送られてきた。
チェーザレ・モーリは公正な市政こそがシチリアに必要なのだとぶちあげた。その途端、《名誉ある男》の息がかかった、あるいはそうと疑われた役人が四百人公職追放の憂き目にあった。覚えておこう、シチリア人よ。公正とはすなわちギロチンの門なり。首を突っ込んだが最後、コロリと落ちてしまう。
役人が入れ替わると、まず許可のことが問題になった。銃砲携帯許可証や市内での飲食物取り扱い、肉屋の営業免許。これを全てチェーザレ・モーリ自身が見直すと言い出した。書類が次々と運び込まれ知事の事務室は床から天井まで書類に占領された。誰か一人が書類を蹴飛ばせば、書類の柱がばさばさ倒れ、やつはその下敷きになり、全ては元通りになるはずだったのに、そうはならなかった。そのかわり、やつは書類の全てに目を通し、頭に入れてしまった。全てにだ! そして不備を見つけてはしかけてきた。
ジュセッペ・アルベルティはこれでやられた。コルレオーネのマッシミリアーノ・ファブローロも猟銃の免許でやられた。ドン・チッチョは製氷工場の免許を剥奪された。大勢の《名誉ある男》たちが食い扶持を失い、弁護料のために金策に奔走した。そこで家畜泥棒を思いつく。三十人以上の《名誉ある男》たちと山賊の大親分として知られるカルミネ・パティエンツァ、その他大勢の政治家やまだ抱きこめる役人、それに肉の販売に詳しいものを巻き込んでの大窃盗をやった。これがうそみたいに大成功した。三千頭以上の牛をまんまと盗み、精肉工場に運び込んだところで憲兵隊が踏み込んできた。罠だった。盗んだ牛には全てムッソリーニのイニシャルを組み文字にした焼印がおされていて、故買のルートを逆に辿れるようになっていた。ファシストどもは肉屋をカービン銃の台尻で殴り、蹴り、踏みつけ、名前を聞き出した。あとは芋づる式に《名誉ある男》と山賊、それに役人があげられた。大親分のパティエンツァも挙げられた。
我々もやられっぱなしでいたのではない。ドン・ペッレグリーノ・イベッロは回想する。主だった《名誉ある男》たちが農場に集まって、チェーザレ・モーリがよこした後任の役人を一人殺そうということで決をとった。全員が賛成した。その後任はシチリア・ファシスト党の幹部で非常に融通の利かない男だった。殺し方はできるだけ一目につく場所でやるべきだということになった。カルロ・コスタンティーノとアントニーノ・パッサナンティがぜひやらせてくれと志願した。二人はリボルバーを上着に隠し、そのファシストがカフェでブリオッシュを食べているところを背中から撃った。完璧な殺しだった。背中に五発。頭に二発。客は逃げ出したが、きっと警察にはこういうだろう。逃げるのに必死で何も見ていない。
アメリカへ逃げる《名誉ある男》もいた。例えばカステランマーレ・デル・ゴルフォでは若い《名誉ある男》たちを三十人もアメリカへ逃がしている。なんでもこの町出身の《名誉ある男》がニューヨークの大物になっているから一切合財面倒を見てやると言ってくれているのだ。
だが、その半分の十五人は半年後に戻ってきた。ニューヨークで大きな戦争がおこり、《名誉ある男》同士が殺しあっている。それだけではない。ユダヤ人、アイルランド人、ナポリ人、カラブリア人も加わって殺し合いに拍車がかかった。帰ってこなかったほうの半分はなにがなんだか分からないうちに殺された。むこうじゃ殺しに散弾銃やナイフなど使わない。自動車爆弾と機関銃で一かけらも残さず吹き飛ばされる。あれなら、まだシチリアのほうがマシだ。
ドン・ペッレグリーノ・イベッロは嘆いた。向こうでは戦争、こっちではモーリ。あと逃げられるところといったらチュニジアしかないじゃないか!
鎖で一列につながれたのはガンジの山賊だった。彼らがどうやって捕まったのかは一種の物語だ。憲兵たちは騎馬でやってきたが、山賊たちはもう山に逃げたあとだった。すると、憲兵大尉はガンジの女子どもをどの山からも見通せる町外れの空き地へ残らず集めた。空き地では機関銃が構えてあって、帰ってこなければ女たちを射殺すると脅しをかけた。この手でやつらは数百人の山賊を捕らえることができた。まあ、何人かはただのラバ追いや羊飼いだったであろう。官憲の手先どものなかには《名誉ある男》と仕立て屋の区別もつかないやつがいて、やたらめったら逮捕するやつがいる。誰でもいいから千人逮捕すれば天国にいけると信じているのだろう。人食いめ。
だが、それでも人生は美しいのだ。