第8話
その日は何故だか頭の中がモアイでいっぱいだった。
「英明?」
「何?」
あまりに黙りこくっていた俺を心配して夕馬が声をかけてくるが、俺の名前を呼んで欲しいのは夕馬じゃなくて、
「英明、なんだか元気ねーなーって夕馬は心配してんの!」
朝広でもなくて、
「比留間君」
って、そっけなく俺の名前を呼んでくれる少女。
一番前の窓側に当たる席で、すやすや寝ていると思えば、5分でプリントを解いてしまって、しかし決してその実力を人前に出さなくて、いつもぼーっとしているようで、実は鋭くて気遣ってくれる人。
「三白眼で無表情のモアイがいるんだよね」
ガーディアンのごとき従兄弟がいて、そいつと名前を呼び合うほど親しいなんて知らなかった。ふと、他校生が勝手に入ってきたこと、やたら過保護であることに違和感を覚えるが、今ここで考えてもわかるまい。
「え? 三白眼で無表情のモアイってなんなんだよ?」
夜神さんに対して抱いている感情はきっと「恋」とかそんなんじゃないと思う。
きっとただ、純粋に人間に対しての興味だと思う。
多分。
「分からない」
「「分からないのはおまえだ!!」」
わかっていることといえば、俺が夜神さんに興味を持っているということ。
もっと知りたいと思っていること。そして、このままでは先へ進めないということ。
「何かきっかけを掴まないとな」
さあてどうしようか?
クスリと微笑むと夕馬と朝広は「モアイの呪い?」と震えていた。
今日は母さんが朝広と夕馬を招いたので、夕飯を一緒に食べている。
麻婆茄子、白菜の漬物、厚揚げと小松菜の煮びたしあたりは普通に食卓で出るものだけれど、とんかつ、コロッケ、ローストビーフあたりは、友人達を意識したものだろうとはっきり断言できた。メニューの方向性があいつらの分だけ、ずれている。
母さんは無類の面食いだ。父さんを選んだ理由ですら「美人だったから」だ。性格に一癖あろうが二癖あろうが問題ないらしい。美形のすることなら多少のことは気にならないと言い切るが、逆に、腹が出たり親父くさくなったら家から放り出すと宣言したあたり、過去に何があったのか心配になるところでもある。
父さんは政府の高官だ。今日は何か大事な仕事があるらしくて、夕飯には参加していないのだが、俺が家庭崩壊の危機を感じるような姿にはまだなっていない。とっつきにくく無愛想で、あまり話したことはないが、あれでは女性が寄り付かないようなオーラが漂っている。
母さんが極度の面食いでよかったと思う。ただ、俺の彼女にも美人であることを求めそうだが。
その母さんは、夕馬と朝広をいたく気に入っていた。
可愛い!格好いい!とデコレーションしたうちわでも振り回しそうな勢いで気に入っている。「でもね、友達まで顔で選ぶことないのよ」とまじめな顔で言われたときにはどうしようかと思ったが。
別にそんなつもりではなかったものの、似たような悩みを持つ同級生同士、固まったというのが正解に近いか。
今日は夕馬の両親が仕事で2人とも出かけているため、うちに呼んだ次第だ。出迎えるなり「こんな無表情のうちの子と付き合ってくれて、ありがとうね」との前置きには、さすがに俺にも表情はあるんだけど? と反論してしまったが、2人の方も「こちらこそふつつかものですが」とまるで嫁に来るような言い回しだったので、どっこいどっこいなのだろう。
トンカツをほおばりながら二人をみると、食が進んでいるようで嬉しくなる。急な転校が決まったときには心配させたし、俺も離れることを心配した。
だからか、他愛もない会話をしながら、まだ友情が続いていることにホッとするような思いだった。
話は弾み、こっちでバスケ部に入るかどうかの話題になり、久々にストバス(ストリートバスケ)にでも行こうかとなったところで、おずおずと夕馬が片手をあげて謝る。
「ごめん! 俺、今度の日曜、都合悪くて」
何で? と聞くと罰が悪そうに「デ、デートなんだ」と蚊が鳴くような声でいったっきり思いっきり赤面してしまうではないか。
「ゆっ!ゆーま!?いつのまに???」
一番そういうことに疎そうな親友の口から、デートという単語が飛び出してきて、朝広が思い切り身を前に乗り出した。
それに夕馬ははっとしたように「違う! そこは誤解だ!」と首をブンブン振り否定している。なにが誤解なんだか。
「訳ありなんだって、というのも上手く説明できねーんだけどよ、俺、最近、訳のわかんねぇ女の集団に付きまとわれてて、困ってんだ。
何かお前らにもあるらしいんだけどファンクラブって奴」
(英明みたいに悪魔の美笑なんて無理だし、と続ける彼に思わず「それ定着させないでよ」とつっこんでしまったのは反射的なものだ。)
「かといって面と向かって迷惑だといったら泣かれて、暴れられて、もう修羅場。お前らに相談しようとした矢先にさ、あることで知り合った人がすげーぴったりで、頼み込んだらOKしてくれたんで、明日――」
「目的語はどこいった」
朝広が「何がぴったりなのさ」と小松菜の煮浸しを口に放り込むと、夕馬は仕方なさそうに呟いた。
「偽装デート」
要するに「俺には既につきあっている人がいるから付きまとってくれるな」というわけだ。
「よくその人もOKしたよね」
「う、うん。ちょっと以前それ関連で面識があって、あ、でも俺の学校の人じゃないし、その人も1回だけならいいよって言ってくれたし! すげー可愛いし、優しいし、大丈夫かなぁって」
「「ふ~ん」」
夕馬が真っ赤になってしどろもどろになりながら説明する姿を見て、これはただの偽装ではなくて、少なくとも夕馬にとっては正真正銘本気のデートなんだろうな、そう思いながら俺たちは烏龍茶をすすった。
――朝広、尾行しかないでしょ。
――合点だ! 最近ネタに飢えてたんだよなー。
無言のアイコンタクトが通じるのは友情のおかげか、野次馬根性か。
そういえば二人が帰ったあと、丁度入れ違いに父さんが帰ってきて俺に言った。
「今度の日曜日。夕飯にちょっと付き合え」
夕馬のデートは昼から夕方までなので間に合うかと判断し、頷く。かくして俺にも予定が1件入ったのであった。