第6話
4日目。
夜神さんは欠席だった。
彼女がいない屋上は何かぽっかりと抜けたような物足りなさを感じる。それは他ならない俺自身の心が物足りないとわがままを言っているのだろう。
今日は日直だったので放課後に学級日誌を書いた。名前、日付、天候、そっけなく、けれど事実だけを埋めていく。
――今日の感想:特になし。でも、明日は晴れそうかな?
5日目。
俺の予想は当たった。
やはり青空というのはそれだけで気分が良く、そしてもう一つ気分がよい理由は、夜神さんが来たことだ。
クラスメイトに挨拶するように、さらりと挨拶を交わす。
「夜神さん、おはよ」
少し声が弾んでしまって、俺はうまく隠したのだけれど、彼女はいつも通りだった。
「比留間君。おはよう」
誰にでも同じあいさつで、そっけないけれども普通に挨拶してくれたのが嬉しい。
けれど心配なことに少し体調が悪いのか顔色があまりよくない。
「おっはよ。昨日休んでたけど大丈夫?」
ホラ、隣の席の女子も心配してる。俺はあまり長居出来なくて離れるが
「大丈夫。寝てたら治るから」
という夜神さんの答えに「治る訳無いでしょ」と小さく突っ込む。
後ろの椅子に腰掛けると、間もなく授業が始まった。彼女はまたゆらゆらとまどろんでいる。
それにしても彼女はどうしてこんなに眠るのだろう?
病弱ってこれのこと?
それとも夜眠れないのかな? でも一番不思議なことは、
――俺、なんでこんなに夜神さんのこと気になるんだろう。
屋上に上がると彼女は案の定ベンチで寝ていた。
ぐっすり眠っているのか、俺の気配に気が付かない。ゆっくりと歩いて忍び寄っり、こっそり顔を覗き込む。彼女は額にうっすらと汗をかいている。
「うーん……うー……」
と形のよい眉をひそめたまま、自分の服を思いっきりぎゅううっと掴んで抱きしめて、それでますます圧迫していた。
「夜神さん? 悪夢でも見ているの?」
あまりにしんどそうで、さすがにこれは見過ごせないと思ってゆすってみる。
首筋に手が触れたとたん、あまりの熱さに思わず手を引っ込めた。
――何が大丈夫だ。何が寝ていたら治るって?
こんなに熱を出して! しんどそうにして! たった一人で!
怒りでぶちっと俺のなかで何かが切れた。
起こす!
「起きなよ!」
半分本気で無理矢理彼女の手をほどくと、遠慮無しに頬に手をやる。
ややあって、夜神さんは目を覚まし、少し赤い顔で、ゆっくりと瞼を開けた。そうしてぼんやりと俺を見つめる。
「比留間君? あー、手が冷たい」
再び瞼を閉じようとする夜神さんは、まだ寝ぼけているのか「それどころじゃないでしょ」と言いかける俺の言葉をさえぎる。そして、潤んだ瞳で彼女が言ったことといえば、
「びっくりした……。
うたた寝していたらベンチに沈み込む感覚がして、そのまま金縛りにあって、どんどん意識の下に入っていったら、巨大なモアイが白いハンカチ振りながら、無表情で鼻からティッシュを!!!
あー、本当に怖かった」
という奇妙奇天烈極まりない夢の話! 寝ぼけるのも大概にしろよ、こいつ。
それでも俺に言えることといえば「そりゃ怖いね」などという心のこもらない感想を述べるくらいだ。無表情のまま呆れ顔で彼女を助け起こす。ふーん、ああ、そう、モアイね。
「あ、ごめん」
別にそれくらいは良いけどさ。夜神さんはまだ肩で息をしてるけど、熱のせいなのか、夢のせいなのか分からない。
「保健室に行った方が良いんじゃない?」
至近距離で彼女の顔を覗き込むと、夜神さんはそのまま俺に倒れこむ。額にうっすらと汗をにじませて、眉をきゅっとひそめる姿。そんな笑えるような夢を見て、ここまでつらそうな顔をするだろうか?
もしかしたら彼女は嘘をついているのかもしれない。別に俺には夢の中まで詮索する権利は無いけれど
――彼女を抱く手に力がこもる。
こうして近くに来て初めて夜神さんが生きた人間だってことを実感した俺は、この学校の存在さえも幻のように認識していたのかもしれないなと考えた。
「保健室に連れて行くよ」
もう一度彼女を連れて行こうとした瞬間、屋上の扉がバンと開いて一人の男子高校生がつかつかと歩いてくる。
この高校の制服でもなければ、前に俺がいた高校の制服でもない。かなり目つきの悪いというか三白眼の男は、俺の前まで来ると、彼女を渡せというジェスチャーをして、手を目の前に出した。
「誰?」
疑わしげにじっと見つめれば、彼はしばらく考えたそぶりを見せたかと思うと、ポンと手を打って名乗る。
「俺は番場 大地だ。万夢の従兄弟で迎えに来た」
いまいち信用できなくてそのまま立っていたら、夜神さんが小さく身じろぎした。
「大地? あれーなんで? 今は学校にいるはずなのに」
「今朝、お前が部屋にいなかったからな。ちなみに今日の授業は上手く抜けたので問題ない」
番場大地と名乗った男は無表情のまま「エネルギーが切れるころだろう」と彼女に問いかける。いくつかの会話が交わされたが、小さな声だから聞き取れない。
「比留間君、ありがとう。私、帰るから」
「そういうことだ」
俺は気が付いたように番場という男に彼女を渡す。俺が「比留間君」であいつが「大地」であることに少し苛立ちを感じながら。
「じゃあせめて先生には俺から言っておくよ」
「ごめんね」
従兄弟と言っていたけれど、まったく似ていないなと不躾に眺めていたら睨まれてしまった。
「万夢にはもう近づくな」
と念まで押される。俺がどうしようと勝手でしょと、思わず眉をひそめてしまう。全く気にしないといった風に番場はもう一度繰り返した。
「遠くから眺めるだけにしたほうが良い人間もいるものだ」