第40話
夜神家は主人を失ったと思えないほど静かだった。契約解除された俺は、万夢の婚約者という立場から丸きりの他人に戻ってしまい、屋敷に入ることは出来なくなっていた。当然のことながら父さんのコネも使えない。
手がかりを掴むことが出来なかったため、次に伴野空太のオフィスを訪ねた。しかし、もう彼は引退してその席にはいないと言われ、引退先も教えてもらえなかった。
たかが一高校生に出来ることは知れている、そう、鼻で笑われているようで悔しかった。
残る手がかりは番場大地であるが、どこの学校に行っているのか知らない。かすかな記憶は、見覚えのない制服なのだが。どこだろうと考えて、ふと彼が理系では常に優秀な成績であったことを思い出す。
こんなときに夜神家の情報端末があればすぐに検索できるのにと悔しく思う。父さんの持っているパソコンはネットワークにつながっていない。
『ネットワーク』という言葉が引っかかった。番場の制服をよく思い出す。
すぐに自宅に戻るとそのまま自宅備え付けの電話に直行して、朝広にコールをかける。しかし、今は家にいないらしい。時計を見ると塾の時間が近い。きっと向かったのだろう。
「この制服! どこの学校か教えてくれ」
塾で朝広を見かけた瞬間、つかつかと近寄って俺は手書きの制服の図をあいつの目の前に突き出した。
「ちょ、お前。女子の制服ならともかく何で俺が男子の制服に詳しいと思うよ!?」
突然のことにビックリして後ずさる朝広に、珍しいブレザーの色だから、と再度ぐいっと図を突き出すと、彼は少し考えるようにして、それから答えた。
「同じ学校か分からないけど、夕馬にアタックかけてた女子の中に、そんな感じの色とマークのブレザー着てた子がいるのをみたよ。ほら、あれ」
指差された先を見ると、席に座ろうとしている夕馬を柱の影から覗きこんでいる顔が2つ。その下の方の女子だと朝広は付け加えた。今は私服に着替えているため分からないが、合コンもどきをくりかえすくらい女好きの朝広の記憶は意外と侮れない。
「ゆーま、ゆーま。あそこの柱の影にいる女子、お前の追っかけだよな?」
朝広がニッコリ笑って近づくと、夕馬は半ばやけくそで頷いた。その言葉に小さくガッツポーズを心の中でとる。
「ねえ、夕馬」
「なに?」
「釣 っ て こ い」
くいっと親指で彼女達を指し、俺は笑顔という名の命令を飛ばした。
案の定、大変よく釣れたよ。2匹どころか5匹ほど。
「番場大地~? ああ、あの変人ね」
「物理や数学は満点、学校の理科どころか大学の勉強までやってるらしーよ」
「企業からも誘われているって言うし」
「あ、それ聞いた。ほとんどしゃべんないけど噂立ってるよねー」
「そういえば先生から聞いたんだけど、留学するらしいよ」
「留学!?」
その言葉に反応すると、一人が顔を赤らめながら頷いた。
早く接触しないと会えなくなってしまうという危惧を抱き、慌てて住所を調べてもらったら、ここからそう遠くないようだ。けれど、住宅地図も持っていない自分にとって、どう行けばいいのかわからない。
「大手タクシー会社なら、住所検索システムでナビゲートしてくれるんだけど」
彼女達の一人が呟いた。
「「「それだ!」」」
俺たち3人が同時に叫ぶと、彼女は照れたように笑った。
でかした、魚その2。あとで夕馬の隣に座らせてやるよ。
さり気なく親友を心の中で売って、財布を取り出すが、これでは行きはともかく帰りが厳しい。いくらお金がかかるか予想が付かない。
ちら、と親友を見る。
二人は俺の視線にぎこちなく微笑んだ。心なしか顔が青い。ニコニコ笑う俺に夕馬はちょっと後ろに下がって、
「金くらい貸してやるからその笑みは止せ!」
とブンブン首を振った。
「しゃーねーなー。英明、ぜって―返せよ?」
朝広はガバっと財布を逆さにしてお札も含めて全部俺に押し付けた。夕馬も同様に全財産俺に渡す。
「ありがとう」
その友情が嬉しくて、ちょっと照れると「怖いから、さっさと行けよ」と追い出されてしまった。
その姿を見送っていた二人が、あれは悪魔の美笑だった、とつぶやいていた事を俺は知らない。
番場大地の家は思っていたよりも小さな家だった。コンクリートで塗り固められた外壁はどこかよそよそしさを感じさせた。インターホンを鳴らすと、番場の母親のものと思われる声が聞こえる。俺はなるべく愛想のいい声を出して、彼の学校の友人であると告げ、呼び出してもらった。
もしかしたら番場も記憶をなくしているかもしれない。そんな予想もしながら待っていると、しばらく時間があって玄関が開くと、そこから番場が顔を出す。
「誰だ?」
「比留間英明だ。夜神万夢について教えて欲しい」
「誰のことだ?」
とぼけている様子でもなく、首を傾げる番場に心が痛んだ。番場まで忘れているなんて、これはよっぽどのことだ。一瞬手遅れかもしれないという思いが脳裏をよぎるけれど、ここで引き下がれない。
「この写真の女子を探している。番場と親しかった」
彼女が写った写真を見せてみるけれど、返事はにべもないものだった。
「知らんな。記憶にない」




