第4話
3日目。
ついに俺は行動を起こした。手には朝から詰めてきた弁当2人分。昼休み、肩からスポーツバッグを下げたまま屋上へ行くと、案の定彼女はそこで寝ていた。
「夜神さん」
声をかけると「まだ寝る」とそっぽ向かれてしまったので、もう一度呼びかける。
「この前は八つ当たりしてごめん。それから、ありがとう」
俺がどうあっても起こす気満々だったのを読み取ったのか、彼女はゆっくりと起き上がった。
太ももが見えて思わず目をそらす。
「気にしないで。私の気まぐれだったから」
そう答えた夜神さんの表情は見えなかったが、何故か少し後悔しているような響きがあった。
「でも弁当までもらったし。かわりにこれうちの弁当。受け取ってもらえると良いけれど」
さり気なくそっぽを向いたまま、俺はがさがさと弁当をスポーツバッグから取り出すと、2つのうち1個を彼女に渡した。紺色のそっけない弁当包みだが、一人っ子である俺が持っているような包みは大抵こんなものしかない。
対する彼女は、相変わらずコンビニのおにぎりの予定だったらしい。小さなビニール袋が風に吹かれてカサカサと音を立てた。
苦笑しつつ彼女が弁当を受け取ると、俺はなるべく入口から見えにくいところに陣取って自分の弁当を広げた。ちなみに、彼女に手渡した小さめの弁当箱は、確か小学生の頃の遠足で俺が使っていたもの。俺のイメージと余りあわないファンシーな柄に、何か言いたそうだったので、
「さっさと食べてよね」
眉をギュッと寄せながら不機嫌そうに促しておく。第一、この2個目の弁当については母さんから既に散々余計な詮索をされているのだから。
「じゃ、さっそくいただきます」
ちらっと横目で覗くと、夜神さんは
「比留間君のお母様、いい腕前ね!」
と、すごく嬉しそうに卵焼きを口に入れて微笑んだ。
それは今日俺が朝から焼いた卵焼きなんだけどね。
いたずらが成功したような気分で彼女を見ているうちに、なんとなくだが彼女に世話を焼きたくなる人間の気持ちがわかるような気がした。あの幸せそうな笑顔は反則でしょ。
でも、こんなところを誰かに見られたら不味い。俺のそんな気持ちが分かったのか、
「そんなに気になる? 屋上の扉」
「え?」
不意に彼女が口を開いて、扉を指差した。
「比留間君、さっきからちらちら屋上の扉見てるから」
その言葉に少し目を細める。
「夜神さんの周りの人間と違って、俺のファンクラブとやらは少々手荒いからね」
全部把握しているわけではないけれど(むしろしたくもないのだけれど)、裏でなにやらごたごたしているのは薄々気がついている。全く、本人はファンクラブにはまったく興味がないのにね。
むしろ関りあいになりたくないのだけれどと、自然と口が八の字に曲がる。
「比留間君は優しいから、まだギリギリなんだね」
彼女は空っぽになった弁当箱に向かって「ごちそうさま」と手を合わせた。
一体どうしてこんなに超然としてられるのか、俺にはわからない。
「俺、余裕がないだけから」
自分のことだけでいっぱいいっぱいで、他人を思いやってる余裕なんてない。今はこの学校に慣れることに集中したいから、恋愛沙汰なんてごめんなんだ。
だから優しいなんて嘘でしょ?
俺は、俺さえ良ければそれでいい。
それが正直な気持ちだ。
「んー、どうかな? あくまで私から見た比留間君は人のことを考えすぎてるみたいに見えるんだけどな。
相手が傷つかないように、拒否するのをためらって防戦一方みたいな。それで2倍疲れている」
彼女はそう言うとあくびを一つした。
「私はそういうのに時間を取られるのが嫌だから、……貴重な睡眠時間を取られたくないから、居眠りして、片目を瞑って、うん、知らないフリをしているだけ」
そうして、うとうと舟を漕ぎ始める。
ちょっとまって、もう少しだけ。話したい。
「俺、どうしたらいい?」
どうしてこんなに心を許しているのか分からないけれど、彼女に聞いてみたくなった。こんな生活から抜け出す秘訣を。
「ふあ……、いっそ開き直ってみたら? ……うう……ん、もう寝て良いかな?」
開き直る?っていったい何のことだか分からなかったけれど、とても彼女が眠そうだったので、あえて聞かないことにした。
「ごめん。ありがとう」
その言葉を最後に彼女はフェンスにもたれかかったまま眠ってしまった。
開き直る、ねぇ。夜神さんの真似でもしてみるかな?
放課後、ラブレターを持った女の子に出くわした。
「あ、あ、あのーう。比留間君。これっ!」
直角90度のお辞儀で差し出されたファンシーな封筒をみながら、一度実践してみるか、と決意する。
開き直ろう、開き直るんだ、と心に念じると俺は薄く微笑を唇の上にのせた。
「悪いけど俺、付き合う人には自分から告白するつもりなんだ。……だから、ラブレターとか一切受け取れない」
そういうことされると困るんだ……と、少し悲しそうに下を向いて、トドメに「ごめんね」と目を細めて、その子の目を見ると、彼女はぽーっと真っ赤になったまま固まってしまっていた。
効果は抜群で、
「比留間様を困らせない」「観察オンリー」条約が結ばれたらしく、毎日の頭痛の種であったラブレター攻撃は、ほとんどなくなった。なお、上記の条約は朝広の良く分からない筋からの情報である。
ちなみにこの夜神効果は、たまに廊下で挨拶されたら「こんにちは」と、軽く挨拶して微笑むと持続するらしい。大変安上がりでよろしい。
夕馬と朝広は「こ、こえええええええ。悪魔の美笑を見ているようだ」と震えていたけれど、なんで彼女が天使で、俺が悪魔なんだか異議を申し立てたい。あっちが本家本元だろうに。
とにかく、夜神に感謝と尊敬をしておこう。
これが3日目の俺の感想であった。