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夢幻発掘抄  作者: アルタ
ひびの入った境界線
32/44

第32話

 昼間に吹いていた少し生暖かい風が、少しずつ夕方の風へと変化する。ギラギラ輝いていた太陽が、今度は紅く空を染め上げ影は長くなっていく。まだ部屋の中に熱気がこもっているから、と開け放たれた窓からは、少し柔らかくなった日の光が差し込むので、英明君はカーテンを少しだけ引いた。

「じゃあ聞こうかな。何か話があるんでしょ?」

 流石に察しがいい。けれど、本当に話したいことは、話さない。話せない。


 私はカバンの中から写真を3枚取り出した。ストバスの見学に行ったときの写真。真野君と結城君が肩を抱いて、英明君と私が手を繋いだ写真。

「ああ、これ。前に3人で会ったときの」

「焼き増ししたから渡そうと思って」

 1枚ずつ封筒に入れて、英明君の手の上に置いた。

「あの二人にもやるのかと思うと、ちょっと惜しいな」

「どうして?」

「だってホラ、万夢が無茶苦茶可愛く笑ってるでしょ?」


 横向き加減にこちらを見つめる瞳がすごく綺麗でドキドキした。

 それから英明君が日記にはさむのを見て、ああ、本当に日記書いてたんだなんて思う。チラッと綺麗な字が見えたけれど、プライベートなことだからなるべく見ないようにして、代わりに英明君を盗み見ていると、少し夕陽が当たって瞳に真紅が映った。


「万夢が言うならあの二人にも渡しておくよ」

 その視線に気が付いたのか彼は少し笑う。

「よろしく」

 私も微笑み返す。


 きっとその写真が二人に渡ることは無いだろうと思いながら。

 私が消えれば、その写真は何の意味もないものへと代わるだろう。もしかしたら、ただのファンの子が一緒に写したような。


 カラン、と氷が音を立てる。


「それにしても綺麗な部屋だね」

「慌てて母さんに掃除してもらったから」

 メールしていたのはそういうことか。

 普段の部屋はもうちょっとぐちゃぐちゃだから気恥ずかしいよと、彼は笑った。


「いいな」

 すっと目を閉じる。風も丁度いい温度になって心地よい。

 西日が二人の影を伸ばしていく。

 頬に当たる柔らかな光。

 窓からは小さく子供の声と、それから夕飯の支度のいい匂い。


「羨ましいの?」

「うん」

 すごく羨ましい。未来がある英明君が。


 私たちの夢を叶えるために夢を見つづけた。こうなることは覚悟できていたけれど、最後の最後に英明君に会って未練ができてしまった。

「俺が万夢にもっともっとこんな時間をこれからもあげるよ」

 ふわりと優しく肩に手が置かれる。

 目を開けると端正な英明君の顔が隣にあった。


 羨ましいというよりも、わがままだ。これは私の。


 もっと……


 英明君と一緒にいたい。

 話したい。

 笑いたい。

 泣きたい。

 ちょっと怒ったり、

 少しだけ拗ねてみたり、

 楽しい思い出も、辛い思い出も、大変なことだって一緒に共有したかった。


 ほんの数ヶ月だったけれど幸せで、欲張りになってしまった自分。

 そんな自分も、そして、英明君が好きで、

 大好きで、

 愛しくて、


 心から微笑んでしまう私もいいかな、なんて思ってしまって、どうしようもない。


 でも、お別れしなくちゃね。

 最も明日には英明君の記憶に私の姿はないけれど、最後に、最後に見せて?


――とびきりの笑顔を。


 それを心の中に焼き付けて持っていくから。


「万夢?」


 返事の代わりに……そっとキスをした。


 ありったけの想いを、


――ありがとうの気持ちと大好きだという愛しさをこめて。



 唇に触れるだけのキスだけれど、伝わりましたでしょうか?





 はじめての私からのキス。それはほんの一瞬だったけれど、離れた後も英明君はちょっとぼーっとしていた。

「……反則でしょ」

 軽く唇を抑える彼の顔は夕陽に照らされているからか少し紅くて、それからそのまま後ろのベットに倒れこんで顔を伏せてしまった。


「ちょっと待ってて」

 振り返ると、白いうなじがちょっと紅く染まっている。

 思わず笑みがこぼれてしまう。だって、あんまりにも可愛らしくて。


「リクエストにお答えしてみました」

 私も隣に寝転んであっちの方向を見ている英明君の背中をちょんとつつくと

「万夢には敵わない」

って……こっちを振り返って微笑んだ。



 一瞬時が止まってしまうんじゃないかって思った。

 甘い微笑みに目を奪われてしまった。ああ、この微笑が見たかった。

 なんて、なんて綺麗なんだろう……。


 彼のサラサラした髪が私の額にかかる。

「万夢は俺を微笑ませる天才だね」

「英明君は私を幸せにする天才よ」




 もう思い残すことはない。

 目を伏せると涙がこぼれた。どうしようもなく感情が溢れてきて、切なくて。

「どうしたの?」

 それを見た英明君がぎゅっと私を抱きしめる。

「ううん、人って一番幸せな時も涙が出てくるみたい」





 ドラマチックな出来事が私に起こるなんてことは思っていなかった。

 まさか契約してでも私のことを好きになってくれる人がいて、そして私もその人のことを好きになるなんて。


 英明君と出逢った日を、そして契約したあの日を境にして、全てが輝き始めて、いつしか私の心は傾いていく。

 愛し方なんて分からない。

 好きだという思いを伝える方法なんて知らない。けれど。


 ぎゅっと英明君の服を掴むと、そのまま優しく抱きしめてくれた。

 だから、これが私なりの表現方法。


――私の手で英明君の記憶にある私を消させて?


 自分で決着させたいの。そうしてもう一度どちらからともなく唇をあわせる。



 ……契約解除します。

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