第31話 *大地視点
どっかりと接客用のソファに腰掛けると、目の前の机に用意してきた資料をバサッと積み上げた。限界までまとめてはさんでいたためか、その衝撃でクリップが飛び、跳ねることなくそのままじゅうたんに沈み込んだ。
「何が言いたい?」
いぶかしげに眉をひそめる空太に、俺は資料の中心を中指の先で2回叩く。
「これは何だ!」
今まで月5件の夢見の依頼が、週5件、いや、ここ1週間は週10件のペースだ。いくら万夢が有能な夢見であるからといっても、この数字は異常だ。しかも、巧妙なまでに俺と英明には分からないよう隠してある。
「歴代の夢見でも平均月3件だぞ! お前は万夢が寿命を縮めてもいいのか?」
段々口調が責めるようになってくる。相変らず俺の表情は変わらないが、こんな時は無表情がもどかしくなる。感情が出ないことが。上手く自分の怒りを伝えられないことが。
「万夢が望んだ」
そう言う空太の表情も変わらない。
「金儲けなら充分だろう?」
もう、やめろ。
「………………手遅れだ」
一瞬目を伏せた空太は、表情こそは分からなかったものの、声が震えていた。
大きな手で顔を抑えるが、その頬に一筋の涙を認めて俺は固まる。
「おまえ」
「わからないのか?」
再び目を合わせた彼の表情は硬く何かを決意しているような表情だった。
「夢見の寿命は短い。特に夢見をすればするほど短くなる。
万夢はその短い命を私たちのために使いきってしまったんだよ。
普通の夢見よりも力が強かったために。連続で夢を見つづけることができたから」
私達に金と権力を渡すために。私達は彼女を犠牲にして普通の生活を得るんだ。
零れ落ちる涙をぬぐおうともしない。
「だから仕事をするのか?」
「それが一番合理的だ」
彼女と会ってなんになる?
「違う」
「違わない」
俺は彼女の意思を絶対に無駄にしない。下手な感情でズルズル一緒にいたら、きっとつらくなる。下手な感傷は彼女の望むところではない。
なぜなら
「彼女は今日眠りにつく」
もう夢の世界から出ることはないだろう。
もう会うこともないだろう。
今日を過ぎれば、私達は急速に離れていく。
明日になれば、夜神万夢という少女は記憶からいなくなる。
料理を作ってくれた手も、
夢を映す瞳も、
優しい声も、
儚い微笑みも、すべてがなくなってしまう。
ならば今の俺が出来ることは何だ?
それは彼女の遺志を継ぐことではないのか?
それは彼女と過ごすことではない。
なぜなら彼女が最後に一緒にいたいと願うのは、
――比留間英明という人物なのだから。
久しぶりに英明君に会えた。
「万夢、今日は顔色いいね」
「うん」
髪をなでられて、私は思わず微笑んでしまう。
「今週のスケジュールは見ていないんだけど、よっぽど何もなかったのかな?」
真実は逆で、最近ずっと夢見ばかりしていたのだけど、それは言わずにあいまいに濁しておく。
この3日の間の私の様子を見て、本家の人間は少しずつ気づき始めた。夢見の能力者が、夢の世界にどっぷりと浸かる事態、それは、夢の世界へ能力者が引きずり込まれている事態だと。
長く生きていたものは、先代の様子を知っているだけに慌て、それを空太さんが宥め、これからの方向性を示す。そんなことが何度か続いた。
そして、そうすることで少しずつ皆が現実に目を向け始めてきた。そう仕向けたというのもある。夢からみんな醒めなきゃいけない。
――私と一緒にとどまってはいけない。
「今日は英明君を送っていこうかと思って」
「どういう風の吹き回し?」
「送り狼なんです」
「狼……なの? へえ、じゃあそのまま誘拐してあげる」
くすくすと彼は面白そうに笑った。
比留間と彫られた表札がかかっている家は、白い壁にきれいなレンガ門の家だった。玄関の前で咲いている薄ピンク色の花が可愛らしい。
「入る?」
「いいの?」
「尋ねているようでも、その目が期待に満ちているんだけど?」
「おじゃましまーす」
ドアを彼女が開けると、英明君のお母さんが「おかえりー」といいかけて瞠目した。それからこちらに突進するかのようにやってくると可愛く手を合わせてウフフフフと笑う。
「ま! ちょっと! どうしたの、どうしたの。可愛らしいお客様ね~」
「もー、説明するから。万夢、先に上に上がっててくれる? 飲み物もっていくし」
ニヤニヤしているお母さんの視界をさえぎるようにして、階段を上るよう促されたので、私はもう一度「お邪魔します」と挨拶して上がった。下が少々騒がしいが、楽しそうだった。
ここが英明君の家か。そよそよと階段の窓から入ってくる風が涼しい。
そこはかとなく飾られた絵は趣味の良いものだし、階段の手すりにちょこんと置かれたライオンの置物は愛嬌のある顔をしている。
居心地が良かった。
誰か知らない人がしょっちゅう出入りしているわけでない。ここは家族のプライベートスペースで、ここに悪意はなくて、生活の香りがする。これが普通の家なんだ、と思うと不思議におかしさがこみ上げてきてしまう。
「面白いものでもあったの?」
振り向けば、カバンを下げたままコップと烏龍茶をお盆の載せて、器用に立っている彼がいた。そのまま思ったことを答えると、ふうん、と彼は良く分からないという顔だったが、とりあえず入るよう促すので、恐る恐る部屋のドアを開けさせてもらった。
「うわ……」
モダンな白と黒で統一されたその部屋は、キッチリと本が棚に納まっていて、彼の性格を如実に表している。
「そこ、座っていいから」
ベットの小脇にある小さなちゃぶ台にお茶を置くと、英明君はベットに腰掛けるよう指示し、自分はちゃぶ台の反対側に腰をおろした。鞄から出した飲みかけのペットボトルには緑茶と印字されているが、なんだかジュースじゃないところが特に彼らしい。
不意に窓の外からどこかの学校から鳴るチャイムが聞こえた。英明君が窓を開けると、ふわっと風が入り込んで換気される。
夏が、始まろうとしていた。




