第30話 *大地視点
契約者が3人に増えたことから、俺は番場家の跡取りにふさわしい実績を積むべく、科学研究が盛んな国への短期留学を空太から勧められた。日本と違って科学者の地位も給料も高いため、全体的にモチベーションも高く、施設設備も揃っている。
「長い目で見ると、大地にとってその経験は必ずプラスになるよ」
万夢の言葉に背中を押されるような形で、小論文や志望動機、学校の推薦状などを準備しているところなのだが、一つ不満があるとすれば、彼女と会う時間がこれまで以上に少なくなってしまったことだった。
久しぶりに手が空いたので、本家に足を踏み入れれば、万夢は夕方であるにもかかわらず寝ているとのことだった。最近彼女はすぐに寝てしまうと聞いている。
今は上からタオルケットを掛けているだけということだったので、寝具を用意しておいた方がいいだろうと、女中とともに部屋に入ってみれば、案の定、タオルケットはぐるぐると丸めて抱え込まれ、全然掛け布団の役割を果たしていない。
幸せそうに眠っている万夢の体を持ち上げると、前よりも少し軽くなった気がして嫌な感じだった。別にやせ細ったというわけではないのだが、なんとなく、存在感がまた薄くなったような感じ。
すやすやと眠って、一体何を夢見ているというのか。起こさないようそっと敷居をまたいで、女中が敷いた布団の上におろす。
すっかり比留間に万夢をとられてしまったな。
あまり信じたくないが、はじめて比留間を見た時に感じた焦燥感は当たっていたらしい。なぜなら最近の彼女は心から嬉しそうに微笑む。何がそんなに楽しいのか、どうしてそんなに幸せそうなのか、そのキーワードはどこにあるのだろう?
「ほえ」
上布団をかけると彼女は目を覚ましたようだ。
「起きたか?」
「空太さん? んー、まだ起きられる……みたい。
でもやっぱり……だめ、夢の時間が長く、長くなってくるのよ」
寝ぼけまなこをこすって万夢はまた眠ってしまった。俺を空太と間違えたのだろう。しかし、そんなことは瑣末なことで、俺は彼女の言葉について首を傾げる。
まだ起きられる?
夢の時間が長い?
「どういうことだ?」
彼女の言葉に一抹の不安を抱きながら、そっと自分の心臓を抑えるように手を当てた。心がザワザワしている。
予感なんてものは信じないが、万夢に関してだけは当たるんだ。じわり、じわりと不安に寝食されていく。
こういう時は頭の中を整理するのがいい。開けた引出しを一端閉じて、一つ一つ開けるのだ。
夢の時間の延長。
現世の短縮。
彼女の体調は悪くないのに、この症状を呈している現状。
これが体調などの上下による一時的なものでないならば、それが指し示すことは?
そういえば先代の夢見はどのくらいの「仕事」をこなしていた?
彼女、もしくは彼のことを覚えているものはいないが、記録なら残っているだろう。
カバンを取ろうと手を伸ばすと、畳の上に転がっていた万夢のカバンに当たってしまい、彼女のカバンからチャリと小さな布製の袋がシートに転がり落ちる。深い赤に白く花が絞ってあるお守り袋には、碁石が数個入っていた。
「英明君強いから、なかなか囲碁対戦しても勝てなくて。
だから彼から石を取れたときには、それをもらってるの」
いつか万夢が自慢気に話していたような気がする。
――碁石と護石をかけてるの。
きゅっと小さな手で抱きしめる姿を守ってやりたいと思った俺は、一体彼女にとってなんだったのか。万夢にとって守ってくれる者とは、比留間なのか?
「でも、比留間君も真似して石をもって帰ってしまうから、そろそろもう一セット碁石を買って補充しなきゃいけないみたい」
怒られるかもしれないから内緒にしてね。
そうして俺の唇に指を当てる姿が嬉しそうで……楽しそうで、俺は「そうか」と言ったきり。
比留間は万夢の変化を知らないだろう。ここ最近は忙しくて顔をあわせていないようだ。
万夢の顔だけ見れば分かる。考察しなくとも分かる。
会いたいという顔をしているんだ。
逆に、空太は必ず何か知っているだろう。何を隠しているのか吐いてもらう。
このまま放っておいたら、彼女は目を覚まさなくなるんじゃないか?
それは認めん。絶対に!
あれからすぐさま空太にアポイントを入れたが、多忙を理由になかなか会うことができず、結局会見は3日後となった。秘書に案内されるまま高いビルの最上階へエレベータを使って昇ると、下に広がる光景がまるでおもちゃのように見える。
ノックして部屋に入ると、金庫のようなデスクに書類を積み上げた主は一つため息をついて顔をあげた。
夕陽がその顔を照らし出す。それは、ろくに睡眠も食事もとらずに働きつづけた空太の、ボロボロになった姿であった。
「大地が執務室に来るなんて珍しいな」
「俺には空太がとりつかれたように仕事をしている方が珍しい」
この男が、余裕を見せずにこれほど働いている姿を見るのは初めてかもしれない。
「忙しいんだ」
空太の口からそんな言葉が出るとは思わない。
「忙しいのではなく、何も考えられないよう、頭を動かしていたいだけだろう?」