第29話
「万夢、すまないね。
心配しているフリをして、態のいいことを言って、結局君を私は犠牲にするんだ」
「空太さん、何で頭下げてるのかな。持ちかけたのは私なんだから」
手を取られたまま二人で庭に出ると、新緑が目に鮮やかで、とても美しい。その眩しさから目を背けるように、彼は光を背にして私に向き直った。
「大地が言っていた」
「俺は科学では説明できないようなものが嫌いだ」
科学で説明できないものが人を幸せにした例は少ない。
まして、それを思い通りに操ろうとした者が良い目に合うということは、まずない。
そしてそれはまわりの人を巻き込んで不幸を感染させる……
だから、それを食い物にして以上に肥大してきたこの家は大嫌いだ。
「不器用ながらも、大地は大地なりに万夢が好きだったんだな」
「うん」
だから、大地にも何も言わないでおく。少しだけ笑うことができた。
「参ったな。好きな奴には何も知らせないのか?」
じゃあ私は? そう見つめる空太さんに「事後処理よろしく」と、私はポンポンとその肩を叩いた。その言葉に彼は少し傷ついたような演技をする。いやいや、元々私達共犯なんだから、ね?
「悪かった。呪ってくれてもいい」
「あら、空太さんも非現実的なものは嫌いなんじゃないの?」
ふわりとなるべく意地悪そうに見えるように微笑むと、ぎゅっと私を掴む手に力が入る。
「非現実的だろうが、幽霊だろうが、呪いであっても……君なら許してあげるよ」
私たち3家の自由と引き換えに、夢を見すぎた夢見はもうすぐ夢の住人になるだろう。能力者の末路はそうだ。
契約を交わした「婚約者」は残された彼女の遺産を受け継ぐ。
金や権力といった世俗的なものから、知識を含めた様々なものを。
――そうして彼女に関する記憶は消える。
「もう少しだけこうしていてもいいか?」
繋いだ手から伝わる熱が心地良くて頷くと、その手は少しほっとしたように力を抜いた。
「今すぐ消えるわけじゃないのに」
そう言いつつも、その手は繋いだまま。なんでもそつなくこなすこの従兄がまるで子供のように思えて、この手を離してはいけないと感じたから。
「なあ、分かるのか?」
何を?
「自分が消える、最後の日」
……うん。
「いつ?」
「3日後」
でも、後悔はしないようにする。
「運命って変えられないのか? 万夢の夢でも」
「無理。でも、運命を変えられるかどうかなんてことは問題じゃない。
私の覚悟が出来ているか、それだけの話なのだから」
ゆっくり微笑んで、手を離し、そしてもう一度繋ぎなおした。
「ねえ、他の夢見の人ってどこにいるの?」
先代の夢見のことを、先代の婚約者だった人に尋ねたことがある。
「さあ? 多分、もう、この世にはいないんじゃないかな?
僕は残念ながら何も覚えていなくて、そう言う人がいたと聞かされただけだけど」
「どうして?」
「唇に契約したものは夢見の事を残らず忘れてしまうんだ」
それは、契約していない者に対してよりもずっと深い暗示。残された者が悲しまないようにかけられた暗示。きっと辛かったんだろうね。いなくなるほうも、残される方も。
「私のことも忘れられちゃうのかな。その人みたいに」
――じゃあ忘れられた夢見はどこへ行くのだろう。
もしかしたら夢の世界に行くのかもしれない。ううん、きっとそうだ。
――どうしてそう思うの?
「だってね、夢の世界だったら私が死んでいてもなんでも会えるかもしれない。
触れることはできなくても、それでも会える。
どこにいても、どんな時でもその人が夢を欲するように、私も誰かに会えるから」
目を覚ました。
気を抜くと見てしまう過去の記憶。夢と呼んでいいのか分からない、記憶の断片が目を覚ます直前にふわりと浮かび上がる。
ゆっくり目を開けると外はどんよりとした曇り空。
そうか、空太さんと話した後急に眠くなって横になっていたのだ。
最近私はまた夢の中にいることが多くなってきた。
空太さんが生気をくれようとしてくれるものの、回復してくれない。それどころか、まるで電池が放電するように、放っておくとどんどん生気がなくなっていく。だから余計に私は仕事を増やした。英明君や大地が気づかないように。
ただ困るのは、この眠りが気絶するように突然やってくることだ。少しでもこの世界を見ておきたいなぁと思うのに寂しい。
空太さんは仕事が忙しくてなかなか本家に顔を出さない。
大地も学校と留学の準備で、家に帰ってくるのが遅い。
英明君も塾のメンバーと打ち合わせだ。
彼らには、この先がある。だから引き止めるようなことはしないし、できないのだけれど、なんとなく忘れられたような気分になって、ちょっと切ないなぁと頭の片隅で思ってしまった。
ああ、このまま一日のうち眠っている時間が増えて、起きている時間より長くなって、しまいに目を覚ますことがなくなるのかもしれない。
でも、眠りにつく時間が増えるのなら前向きに考えたい。できる限りの夢を伝えるのだ。
目を覚ますことができる限り。
生きて……いるかぎり。
そうしてまた、すーっと吸い込まれるように目を閉じる。眠い。
暗闇に、落ちていく。
ぼんやりした頭に浮かんでくる言葉。
――戻っておいで。
ああ、英明君の声だ。もしかしたら私の寿命はあそこで本当は途切れていたのかもしれない。けれども現世に戻ってくることができた。
そうして、夢の中よりこっちの方が楽しくて、幸せだと思わせてくれた。
夢の中では何でもできて、なんでも思い通りに動く。現実はなんにもうまくいかない。けれども、私は現実の方が好きだった。




