第23話
ああああああああああ、恥ずかしい!
まさか、ここにきてこんな青春をもう一度とか想定外だった。恥ずかしい。前世の私ならともかくも、フレッシュさをすっかり置き忘れてきた私にとって、これはのた打ち回るほどの状況だ。後悔しているというのとは違うが、何故に押し切られたんだ私、という思いはある。……主導権を握らねば!
俺器用だから。
自称するだけあって、比留間君――英明君はなんでもすぐにこなしてしまった。
礼儀作法なんて教えるまでもなくマスターしたし、パソコンも問題なく使える。片手におさまる皮製の手帳に綺麗な文字で書かれたスケジュールは、私の手帳よりも悔しいが見やすい。几帳面な人だ。
そして、あの契約の日から、どうやら彼の存在意義が私の中で微妙に変化していた。前はあんなに隣でぐっすり眠れたのに、最近はちょっと眠れない。
「え?」
そんなことを考えているうちに、私は車の中で英明君の言葉を聞き逃してしまった。
「うん、だから今度バスケやっているところ見においでよ。
スケジュールも入っていないし、調子もよさそうだから気分転換になるでしょ。
俺もこの前は全然シュート入らなくって不完全燃焼だし」
そう言って彼は、少しだけ微笑んだ。
もう一度、夕馬と朝広に紹介したいんだ。
そういう彼はカバンからバスケットボールを取り出すと、
「この俺が必死で汗かいて、ゲームしている姿なんてなかなか見られない貴重映像だよ」
なんて真面目な顔して言うものだから、思わず笑ってしまう。
「貴重映像な訳?」
「そ、熱血バスケ少年」
「信じられない」
「信じるようになるよ」
「じゃあカメラ持っていこうかな」
「いいよ」
日記に写真ごと貼ってあげる。
カシャっと写真をとるポーズをすると一瞬引いたけれど、すぐに「男前に撮ってね」なんて返ってくる。
――不思議。
まさか英明君とこんな風に話をするようになるだなんて思ってもみなかった。
不思議、私の中で英明君のイメージがくるくる変わる。
優秀だったり、時々失敗したり、
冷静だったり、何かに熱中したり、
悩んだり、笑ったり、
理論的だなぁと思うこともあれば、感情で動くこともあり、
とても面白い人で、豊富な感情を持っているのだと少しずつ分かってきた。
アジアンクールビューティ、氷の王子様、
なんだかそんな噂を聞いていた頃からは想像もつかない彼。
私は毎日日記をつけている。
少し分厚い革張りの表紙のそれに毎日1ページ書いていた日記は、今は2ページになった。
メモしきれないほど書くことがあって。無機質だった日記に少しずつ出来事が増えていく。それはとても些細な出来事だったけれど……
例えば「○月×日 英明君と約束していたバスケを観に行った」と。こんなこと書く日が来るなんて思わなかった。
「はじめまして。夜神万夢です」
彼の親友に自己紹介したら「「は……はじめまして」」と緊張した顔で返ってきた。噂は英明から聞いています!って、英明君何言ったんでしょうか?
いつもと変わらない「はじめまして」からの始まりだったけれど、しきりに夕馬君は「どこかであったような気がする」と首を傾げていた。
「そういう使い古された手で俺の彼女に手を出さないでよね」
と、夕馬君にデコピンしている英明君は意地悪な人だと思う。
そう思いながら、心の奥では本気でそんな風には思っていなくて、なんだか、また良く分からない感情。
この辺りの中学では、全国選手のOBがバスケ部顧問をしていることもあり、バスケが盛んなのだそうだ。時々現役の選手もやってくるほど、名の知れた強豪校だったらしい。その中でレギュラーだったという3人は、よほど上手だったのだろう。
バスケの見学は楽しい。英明君の言葉どおり「必死でプレーしている貴重な姿」も目に収められた。あまりに集中してみてしまったせいで、彼に声をかけられるまで、私は持ってきたカメラを手にもったまま、最後までシャッターを押すことを忘れていたのだが。
「どう?」
目の前でドリンクを飲みながら、にこっと笑った英明君は、いつもの綺麗な笑い方というより年相応に、そしてとても嬉しそうに笑うので、どぎまぎしながら変な答えを返してしまった。
「お宝映像です」
「あははははは」
あはははは……って、そんなに笑ううう????
後ろで夕馬君と結城君が「「英明が爽やかだ。世界が滅びる前兆だ」」とぶるぶる震えていたのは知らない。
最後に私たち4人で写真をとってもらった。
「すみません、シャッターよろしいですか?」
と、にっこり微笑んでお願いしたら、たくさんの人が撮ってくれたので、最後に1枚ずつ一番良い写真を焼き増しするねと約束して帰った。
毎日少しずつ書くことが増えていく。
夢で描いていた日々が実現していた。ああ、夢がかなうってこういうこと?
普通に喋って、約束して、毎日の日々が積み重ねられていく。
色々な感情を受けて、それは決して愉快なことばかりだとは限らないのだけれど、それさえ貴重な気がして、英明君というフィルターを介して見る日常は、とても新鮮だった。
「バスケって面白いね」
ある日、私は大地にそう言った。
「万夢……」
彼は私の顔をじっと見つめて、「そんなに面白いのか?」と聞いた。
大地がはっきりものを言わないなんて珍しくて、
「笑顔? 笑顔くらいならいつも作ってるのに」と笑った。
けれども私はそのとき自分が作った笑顔なんかじゃないってことに気が付いていなかった。
心から笑っていたのだ。
楽しくて。