第15話
「それでは謁見が終わりましたので、どうぞこちらへ」
別の部屋へと案内されている間中、俺は彼女のことが気になって仕方なかった。
あれは夜神さんだったのだろうか? 彼女は知っていたのだろうか?
昼に会ったときにはそんなそぶりはなかったけれど。
そして俺は何をさせられるのだろう。
父さんは緊張しているようで、何も話し掛けられなかった。
廊下をどんどん歩くと渡り廊下があって、そこで一端家が途切れたかのように感じる。ふと目を横にやれば洋館が立っているが、そこに足を踏み入れることはなく、俺たちが案内されたのは広い畳敷きの部屋であった。
上座から数えるとずらりと100人近くのお膳が並べられている。そして座っていたのは、新聞紙に載っているような政治家や、経済界の大物。きっちり力関係で並んでいるらしく、張り詰めた空気が流れていた。
俺は一番遠いところに座ると、この日本を支えているというメンバーを観察する。ニコニコと笑顔を顔に貼り付けている彼らは、なにやら例え話をしながら熾烈な争いを繰り広げているようだった。
ふと上座の方に見覚えのある顔を見つける。番場大地と名乗った彼によく似た顔だったが、そこにいたのは彼よりも10ほども年上の青年だった。この顔ぶれの中で上座とはよっぽどの大物なのだろうか。
どこからともなく女中たちが現れて、お酒を注いでいく。高そうなお酒は俺の器にも注がれた。
それにしても不気味だ。食事会といっても食べた気がしないだろうな。
前菜の小さな手まり寿しを見つめながら、家に持って帰れないかな……と不埒なことを考える。だめだ、まだ俺の仕事は終わっていないはずだから。
急にポケットの3万円が重くなったような気がした。
「万夢さま、御着きになりました」
ふすまが開いた瞬間、全員がそちらを向いて深くお辞儀をした。俺は何がなんだか分からないまま、この異様な光景に従っている。
ただ、彼女が何者なのか、それが知りたくて
それは俺が経験した中で一番高価で、一番味のしない食事会となった。訳の分からない談話が繰り返され、時に笑いも起こる。しかし、本当に笑っているわけではない。
――仮面のようだ。
仮面をつけたままの食事会。
「比留間様、こちらへ」
食事の途中でかけられたその声に、俺は正直救われた気持ちだった。上等な食事をとっているはずなのに腹に何も入らない。気がつけば夜神さんも、番場のドッペルケンガーも消えている。
何事だろうと思ったが、父さんは当たり前のように席をたったので俺はそれについていく。
まださっきの部屋では政治的駆け引きが行われていた。
そんな軽い言葉で決めて良いのかと思うようなことまで次々話題にされる。談話は隠語。そしてトップ会談は続いた。和やかに、冷ややかに。この中にいないと今後の日本経済の流れについていけないということか。
そう、ここは秘密の会議室なのだろう。
「英明」
「はい、今行きます」
案内された部屋に入った瞬間、俺は何故かホッとした。
部屋には先ほどの料理と違って、鉢に盛られた肉じゃがやかまぼことほうれん草の白和え、出し巻卵など素朴な料理が並べられている。横には小さな取り皿がいくつか積み上げられており、家で食べるように好きなものを取って食べても良いらしかった。
そして、そこに番場大地とさっきのドッペルケンガーが肉じゃがを突いている風景を認める。もっと和やかであってもいいはずなのに、肉じゃがというより隕石を突付いているように見えるから不思議なものだが。
「初めてだな。私は伴野空太。伴野グループの総帥だ」
握手に応じるが、驚きを隠せない。まだ若そうなのに、あの伴野グループの総帥? 総帥といえば、通信関係の会社の最高経営責任者でもあるはず。確かにその肩書きなら、あの席で上座に座っていてもおかしくないが、違和感を拭えない。
この人当たりの良さそうな青年が、そんな。
おひつからご飯をよそいつつ、番場が再度自己紹介しながら俺にご飯茶碗を差し出した。
「比留間殿、準備が整うまでしばらくのお待ちを。比留間英明殿はこちらで夕餉をどうぞ」
とりあえずご飯を受け取ってから着席すると、俺の目の前にほうれん草の白和えが差し出された。
「あの中じゃ食う気がしなかっただろう?
まあ私や従弟殿は平気だが、君は緊張しそうだからと万夢がそう言っていたのでね。
こっちに料理を用意したのだけれど、あっちの料理と違って、こっちのは特別製だよ」
夜神さん、やはり彼女は夜神さん本人なのか。
伴野の含み笑いも気になったが、それ以上に気になっていたことを聞く。
「俺が来ることを夜神さんは知ってたの?」
もしも、学校にいるときから知っていたとしたら、いいようにからかわれていたとしたら顔を合わせることは出来ない。しかし、その予想はあっさり番場に否定されてしまった。
「彼女は何も知らなかったさ。あれは自分のことは他人から聞かされぬ限り分からぬ。
今日の夕方、お前達と別れたあとで私の口から告げた」
ホッとしたような残念なような複雑な気分だった。