第14話
「今日これから体験することに関しては他言無用だ」
父さんはそう言ってから先に車を降りた。大門の隣にある小門が開き、そこを腰をかがめてくぐれば見事な石庭が広がっていた。玄関に向かって歩くたび、石庭の石がじゃり、じゃり、と音を立てる。
庭石には水がかけられ、丁寧にそれがぬぐってある、それだけで相当な家柄の家だという想像だけはつくのだけれども、あまりに完璧すぎる様子にどうにも居心地が悪くなった。
母屋と思われる建物の前まで歩いていくと、案内係の女性が玄関の前で深くお辞儀する。落ち着いた茶色の小袖に深い抹茶色の帯、まるで100年近く昔の世界に入り込んだようだ。
「ようこそおいでくださいました。お入りくださいませ」
全く表情のない顔で、まるで女中のようなその女性はするすると音を立てずに玄関を開ける。
それがまるで幽霊の仕業のようにも思えて体が震えた。いまだかつてない恐怖のようなものにとり憑かれてしまったように。そして、それ以上にこの家から感じる威圧感に背中を冷汗が流れた。
夜神家ということは、彼女もここにいるのだろうか?
奥で誰かが正座のまま深くお辞儀するのが見えた。
「ようこそおいでくださいました。比留間様」
着物を着た女中頭のような年配の女性が顔を上げると、それに答えるようにして父さんも何事かいくつか話している。
「お願いを無理に聞いていただき申し訳ない」
それからこれが息子の英明です。と、紹介されたので俺はゆっくりとお辞儀した。
決して弱みを見せてはならない。
たとえどんなに動揺していても。
彼女は「そうですか、お話は伺っています」と、何の表情もなく玄関の奥に入るよう促し、近くに控えていた男に目をやると、俺たちの履物を片付けさせた。
「比留間様方はこちらでございます」
板敷きの床の上を滑るように歩いて彼女は案内する。
涼しくて、湿気があるわけでもないのに重苦しい。
庭は立派なのに、生物のはずの樹木さえとても無機質で、これならば自宅の瓦の方が温かみがあるな、などと取りとめもなく思ってしまった。すべてがそうだった。そう、この家には生活感がないのだ。
あまりキョロキョロするわけにもいかないので、ほどほどにチラッと盗み見る。古伊万里の壺に活けられた大きな花が浮いているような気がした。そうこうしているうちにどんどん奥へ入って行き、もはや戻る道が分からないなと思った頃になって、案内役は止まった。
「慣例でございますれば、どうぞお食事前にご主人様にご挨拶を。
ご主人様。比留間様がお見えでございます」
「どうぞ。お入りください」
きっと政治界を裏で取り仕切っている重鎮なのだろうなと緊張し、父さんに引続いて部屋へと足を踏み入れる。
目の前には御簾がかかっており、その奥に小柄な人影を認めた。
「比留間でございます。本日はお招きくださいまして、恐悦至極に存じます」
深々と正座したままお辞儀する父さんに習って、こちらも同様に真似る。
すると、透き通るような声が耳に届いた。
「ようこそお越しくださいました、比留間様。
……御簾を上げてください」
後の言葉は女中頭に向けられたもので、なんとなく聞き覚えのある声に首を傾げていた俺は、そこに座っている少女の姿を見て、声にならない悲鳴を上げそうになった。
表札を見た時から予想していたとはいえ、実際に彼女、夜神さんの姿を見ると驚きを隠せなかった。いや、彼女は昼に別れた時と別人ではないかと信じたかった。
それは、この家に生気を吸い取られてしまったように無表情のまま、美しい着物姿でゆっくりと扇を開いた。
ぼーっと俺が頭を上げたままだったのに気づいて、父さんが慌てて頭を下げさせる。
「本日は……」
何か言っているのが聞こえたが、それはとても遠くに感じた。
夜神さんが遠い。彼女は、彼女ではないのだろうか?
唇に塗られた紅が、妙になまめかしく感じられる。
控えている女性は彼女のことを「ご主人様」と呼んだ。
この家は、この家は、いったいなんなんだよ。俺はそればっかり考えていた。
まるで異世界に足を踏み入れたようだった。ギリッと唇をかみ締める。
はめられた。
俺があの高校に編入させられた理由、それは彼女だったのではないだろうか。
私立である今の高校のほうが偏差値も高いとか、さまざまな取組みもしていることから全国的にも有名だとか、そういうのは単に詭弁で。
お前の進路のことを考えてのことだよ、とか、塾は前のままで良い、とか、小遣いを3倍にする、とか言われたけれど、何よりも今まで育ててくれた親から頼み込まれて断れるわけもない。
もう高校生というけれど、たかが高校生なのだ。
けれど、これが仕組まれたことなら、夜神さんに会うように仕組まれたことなら許せない!
臍を噛みつつ、しかし仕事はキッチリやらないといけないので
「はじめまして」
皮肉をこめて俺は微笑んだ。
「はじめまして」
夜神さんは顔色一つ変えずに返した。