第11話 *夕馬視点
「う……」
俺は、しまった!とばかりにクレープを見つめ、冷汗ダラダラの表情でキョロキョロと不審人物よろしく辺りを見回す。しかし、目の前にいる秀麗な悪魔から隠し通せる気が微塵もせず、はあああっと盛大なため息をついて、早口でしゃべった。
「満員電車に痴漢がいたんだよ。それで襲われてるところに……」
「痴漢!?」
「夜神さん、大丈夫?」
そのワードに瞬時に反応して朝広がぐりんと身体を反転して「怖かったね! 怖かったね!」とうんうん頷いている。あいつには、目のパッチリした可愛らしい妹がいるので、なにかのスイッチが入ったのだろう。そうして今度はこっちに向かって、「助けたんだ! 夕馬偉い!」と誉めた。
心が痛い。
苦虫を噛み潰したような表情をすれば、「くふ、仲がいいのね」と困ったような顔をしながら、夜神さんが小さく声を立てて笑った。微笑みを浮かべてはいても、どこかよそよそしい夜神さんの……
「微笑」ではない「笑顔」
まるで、等身大の彼女の笑顔を見たような気になって、ボーっと見つめると、彼女はしまったとばかりに口元に手を当てる。少し気恥ずかしかったのだろうか、少し目を伏せると携帯の時計表示に目をやって
「ごめんなさい。今日はちょっと早く帰らなきゃいけないから」
それじゃあお先に失礼しますね、と帰っていった。
俺たちはしばらくそれを見送っていた。
彼女の笑顔が瞼の裏に焼きついてはなれない。
しかし、それを許さないとでも言いたげに英明がクレープの包み紙をヒラヒラさせながら、こちらを見てくる。その圧力になんだか耐え切れなくなって、
「違うんだよ、痴漢に襲われたのは……俺なんだ」
消え入りそうな声で、ボソッと俺は呟いた。
「お前……ヘタレ王子決定」
朝広の突込みにも、ちくしょう! 言い返せねぇ。
「いや、まあ、さ」
その日は帰宅ラッシュに巻き込まれて満員電車に乗る破目になってしまった。あれだよな、満員電車ってほとんど死んだ顔の奴らで埋め尽くされているんだけど、痴漢だけは元気一杯なんだよなー。
「げ、お前、中性的な顔してるからって女に間違われたわけ?」
「ちげーよ! 痴漢って言うか痴女だよ!」
「うっわー……」
朝広の痛々しいものを見る目が心なしか刺さる。英明にいたってはドン引きだ。俺もああいうのは欲求不満のおっさんだけかと思っていたよ!!
だからこそ余計に言い出せなくてイライラして、もう、女だろうが殴ってやる!と思ったらさ、
「あの、すみません。ちょっと手の位置が悪いみたいで。ずれてもらえませんか?」
隣で、楚々とした声が聞こえた。
目を向けると、すげー可愛い女の子。彼女の声に反応して、ケータイでメールを打ってた奴が目を移して慌てて取り落とした。
無茶苦茶可愛らしくて、守ってやりたくなるような女の子のお願いに、車内はいっせいに彼女が痴漢に触られたんだと思ったらしく、避難交じりの視線が周囲に浴びせられる。結局、痴女は逃げるようにしてさっさと次の駅で降りてしまった。
「てことはお前、夜神さんに助けてもらったの?」
「……面目ない」
英明の俺を見る目が少し和らいだので、その後電車が急停止して、思いっきり彼女を抱きしめたことは黙っていよう。
次の日、俺は一緒の時間の電車に乗ってみた。お礼なんて言える訳もないけれど、もう一度見たかった。
けれどもいなかった。
いつもこの時間ってことないか。偶然なんてそうそう重なるはずもない。
けれども、強く願うと偶然とは重なるもんらしい。そう、さらに次の日、俺は彼女に会った。
「会えた!」
そう思っただけで嬉しくて、俺は初対面だということも忘れて声をかけてしまった。今思えば、なんて図々しい奴だって思う。
俺は彼女のことを考えていたから、良く知っていたわけだけれど、彼女はどうだか分からない。
けれど、けれど、
「あ、この前の……」
覚えていてくれた。
「ありがとう。それだけちょっと言いたくて」
何に対してか、ということは伏せて(さすがの俺も恥ずかしい)御礼を言うと、彼女も「急ブレーキで止まった時に受け止めてくれて有難う」と言った。
ふわふわと茶色の髪をなびかせて、朝広がクレープの包装紙を丸めてシュートすると、それは綺麗に放物線を描いてゴミ箱に吸い込まれる。器用な親友である。
「夕馬にしちゃえらい積極的じゃん?。で、どうしたの?」
2人で席に座った。
「あの時は災難だったね」
彼女がそういうんじゃないかとヒヤヒヤした。
けれども、彼女は手帳に何か書き込んでいるようだった。ちょっと見ていると、彼女は隠すように「日記に書こうと思って……」と胸に当てる。照れくさかったけれど、正直嬉しかった。何かかれているのか考えると、どうにも喜んでいる場合じゃないような気もするけれど。
電車はトンネルを通過する。
耳がキーンとした。