第10話 *夕馬視点
『夕馬君』と俺の名前を呼ばれるたびに心臓が跳ね上がり、デートの間中、頭の中が真っ白だった。
隣にいる女子のことが、気になって、気になって、気になって……
つなぎっぱなしの手から、心臓の音や、熱や、汗が伝わりそうで、どうしようもなくハラハラしていた。今更ながらなんで俺とデートしてくれてんだろう……なんて考える。
だってそうだろ?
1度や2度会っただけの奴なのに。確かに困っているとは言ったけれども。
俺は彼女の優しさに甘えてしまったのかもしれない。
映画が終わる頃、いつしか例の女子集団はいなくなっていた。いつもはあれほど迷惑だった彼女達も、今日だけはちょっとだけもう少しいてもよかったかな?って思う。夜神さんといられる時間が長くなるから。
「映画結構面白かったねー」
正直、内容はさっぱり覚えていなかったが、とりあえず頷いておく。
「陰陽師といえば安倍晴明だと思っていたんだけど、こっちでは随分愉快なことになっているねぇ」
「? 陰陽師といえば、アベノヒコマロじゃねえ?」
聞きなれない名前に首を傾げたら、笑いをこらえているようだ。
「あ、あ、ごめん。ちょっとここで待ってて」
それを隠すように、彼女がポーチを掴んでどこかへ移動したので、俺は近くのベンチに腰をかけて、ぼーっと座っていた。ガヤガヤと同じ映画を見たであろう人たちが目の前を通り過ぎていく。
……遅い。ザワザワした人ごみの中で一人座っていると落ち着かなくなるのは俺だけだろうか? もしかして幻だったのだろうか?
そう考え始めると、上手く行き過ぎた気がする。バスケ以外のことに真剣に取り組んだことなんてねーから、その、女の子の扱い方なんて全然わかんねーし。気の聞いたことなんて何一つ話せなかったし……
妄想にしてはやけにリアルだったような気もするけれど、都市伝説では理想の彼女がある日突然現れることもあるらしいし。ずぶずぶ悪い方へ、悪い方へと落ち込んでいく。
目を閉じる。
「うひゃ!」
そしたら急に頬に冷たい感触がして、慌てて目を開けると、夜神さんのアップとその手に持っているジュースが視界に飛び込んできた。
「お疲れ様」
俺が目を閉じてうなだれていたのを「疲れた」と解釈したらしい。
だんじて違う!別に夜神さんといるのが疲れたわけじゃなくてっっっ!!! と、一生懸命に首を振るのだが、声がかすれて否定できない。今、不意打ちで絶対変な顔になってる。
「どうぞ」
そして俺は彼女から差し出された飲み物を素直に受け取ってしまった。こういう気遣いは俺の方がしたかったのだけど、としょんぼりしながら小さく「どうも」とだけ呟いて飲む。
「後ろの女の子達見えなくなったねー。上手く行ってたらいいね。私も初デート結構楽しかったな」
隣に座って足を伸ばしながら彼女が呟いた言葉に、思わずさっきもらったジュースを吹きそうになる。
「すげー意外」
ぜってー誰かいい奴がいるって思ってたから。
夜神さんはしっかりしてるし、優しいし、よく気がつくし……ちょっと緊張するけど、どきどきするけど、それは「わくわく」に近い気持ち。
あ、でも彼氏がいたらこんなところでデートなんてしてないっか。
チラッと横を見る。
最初は偽装デートだったけれど、告白してみようか? つきあってくださいって。う……そう思ったら心臓が早鐘を打っている。
ばっか! 俺の心臓。ここで言い出せなかったら本気でヘタレだろーが!
「そういえば夕馬君! ……じゃなかった、真野君」
「夕馬でいーよ」
夜神さんが不意に俺の後ろを指差した。
後ろ?
後ろに何かいるのか?
……いた。
そう、目が笑っていない状態で口元にうっすら笑みを浮かべ、クレープを4個持つ――比留間英明という悪魔が!
「夕馬」
どうぞ、と差し出されたクレープを反射的に受け取る手が震える。英明の後ろから、必死に手を合わせて謝りつづける朝広の姿が恨めしく映った。
ちくしょう!
「お前らなんでこんなところにいるんだよ!」
とりあえず、場所を少し移動してから4人で黙々とクレープをほおばった。なぜ全員ストロベリーアイスチョコクレープなのかは分からないが、溶けないうちに食べないと大惨事になりそうだ。
夜神さんは英明の登場に驚いていたが、前の学校の友達なんだという俺の説明を聞いて納得したらしい。まことに世間は狭いものだ。
彼女からは、英明が現在クラスメイトであるという説明が飛び出し、思わずここ数日間、あのすました顔の親友が話題にしていた女子が彼女であると気づいて、心の中で十字を切ってしまう。ジーザス!
クレープの中のイチゴをほおばりながら彼女を改めて観察する。
薄地の布を何枚か合わせて、でも、シンプルで上品なデザインのシャツにシンプルな膝上までのスカート。少しフレアがついていて、ふわりふわりと揺れるたびに思う。制服姿も見てみたい。
ぼうっと眺めていると、早速社交性にあふれた朝広が身を乗り出した。
「夜神さん! はじめましてっ。俺、結城朝広って言います。英明のほうは分かったけど、なんでこっちのヘタレと知り合いになったのかな? おしえてくんねー?」
「ヘタレじゃねぇって!」
やばい、うずうずと目を輝かせている。
「あ、それ俺も聞きたいんだよね」
英明まで。あの話はあまり聞かれたくないんだけど、と縋るような夜神さんをみると、彼女も困った顔をしていた。
「ん~」
俺は自分からは言うまいとクレープにかぶりつく。
「俺、聞きたいんだけどな? 是 非 に」
始まった。英明の氷の微笑という名の脅迫が。鼻の頭に生クリームを付けてしまい、ごしごしとこすっていると、矛先がこっちに向かってくる。
「夕馬。今、俺のおごりのクレープ、食ったでしょ?」
その笑顔には、言え(命令形)という無言のオーラがこもっていた。