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月雲 2010年 7月号 納涼特集(笑)

雨上がり午後三時 

作者: 双葉


「雨女って知ってる?」

「あめおんな?」

「雨ってさ、よく神様の涙とか言われるじゃん」

「うん」

「でね、雨女はその雨を降らせるために人間の目玉をくり貫くんだって!」

「へぇ~」

「ホントだって! ほら、昨日ニュースで目玉がない死体が発見されたって言ってたのも、雨女がやったんだって噂だし!!」

「あー……あったね、そんなの」

「だからね、雨の日に一人っきりで歩いてたら、雨女に殺されちゃうんだよ」

「特に、今日みたいな大雨の日は?」

「そう! だからさぁ……」

「今日は本屋に寄らなきゃな」

「何で!? 明日でいいじゃん! お願い、一緒に帰ってよー!!」

「あーはいはい。雨女に殺されたくないもんな」

「うん!」




雨上がり午後三時




 午後三時のモノレールには、誰もいない。けれど、それも道理だと思う。

 窓の外をちらりと見れば、大雨だ。三時間も前から、地を穿たんと降りしきる雫を前に外出するなんて、脆弱な人間達には荷が重い。……なんて思っていても、世の中の学生さんやお勤めご苦労様な社会人の皆々様は外出、もとい日常生活をしなければいけないわけだが。僕だって、今や生活の必需品となっている服用薬が切れるだなんてことがなければ、絶対に外出なんてしなかった。

「雨……うるさいな」

 ぽつりと零した声はすぐに溶けた。喧騒のないモノレールを満たすのは、雨音。風情というものは一切感じられない。むしろ騒がしいと思う。でも、普段なら気にしないはずの音を意識してしまうのは、やはり人の声が聞こえないからなんだろうなぁ。ザアザア。ざあざあ。

「天気予報じゃ、もう晴れてる時間のはずなんだけどな」

 お天気お姉さんの顔は思い浮かばなかったが、キンキンとした明るい声は思い出せた。嘘つきめ。なんともなしにそう思う。後ろを振り返っても、打たれ続ける窓に自分の顔が映るだけだ。お前もお勤めごくろーさん。

 はぁ、と溜息が漏れた。仕方がないけどさ。この時間に雨が上がっていれば、虹が見られたのにな。

 しばらく窓の外を覗いていると、雨の叩く音がぐんと近づいた。すぐ上に屋根があるからだ。

 モノレールの先端が、駅のホームに吸い込まれていく。どうせこの駅にも乗客はいないだろうな、と考える僕の気持ちとは裏腹に、ホームのベンチには女の人が座っていた。

 全身ずぶ濡れである。傘を持たずに外を出歩くとは、中々チャレンジャーだなと思った。心の中で合掌。寒くないのかと思ったが、俯いて座っているその女の顔は、長い前髪に隠れているので伺えない。

 そして彼女は、ホームにモノレールがやって来たにもかかわらず、動く様子を見せなかった。眠っているのだろうか。

 僕が、ホームへ出て、彼女を起こすべきなのか、一瞬、考えてみた。止めておこう。簡潔だが、確実な答えだと思う。お節介を焼くような性格じゃないし、と僕は窓に向けていた視線を体の向きに直した。

 運転手の声もなく、ドアが閉まる。「ドアが閉まります」とでもアナウンスしてやれば、起きたかもしれないのに、と意味もなく運転手さんを責めてみた。が、僕と同じ理由かもしれないしなと座席に深く座り直す。あぁ、早く出発しないかな……。薄く目を閉じると、ガタン。動き出す車輪のわずかな振動と、座席のシートが深く沈むカンカク。


 女は僕の隣に座っていた。


「なっ……!!」

 なんで。どうやって。おかしい。ありえない。ずっと座っていたはずだ。動く気配も見せなかった。いや違う。僕が前見た瞬間に起きたんだ、扉が閉まるの見て慌てて駆け込んだ。ドアの近くに座っただけで、僕の隣になったのは偶然。偶然なわけあるか離れて座れ僕一人しかいないこの箱の中でどんな理由があれ僕の隣に座るはずがない。おかしい、おかしい、おかしい――

「み、水……」

 冷たい水の感覚が座席のシート伝いに僕に忍びよってきていた。隣の女からだ。思わぬ冷たさに心の中で悲鳴をあげた。そうだ、僕が移動しよう。この頭がおかしな女から離れなければ。離れなければ、

「ヒッ」

 立ち上がり、席を離れようとすると――手を掴まれた!

 骨張った青白い手。長い爪が僕の手首の皮膚にくい込む。痛い。怖い。化け物を見るような目を、僕はしていた。何を考えているんだこの女。その顔を見下ろすと、女はぶつぶつと何かを呟いていた。なに、を、

「…メ、ア…メ……フレ、…フレ。カア……サ」

 ……童、謡?


 空気が、ぞわりと、その色を変えた。

 狂ってる!


「あ、ぁああぁぁあ……」

 嗚咽とも、悲鳴ともとれない声で呻いた。おかしい。童謡? 童謡、ってなんで。なんだ、なに、歌って……気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い――

 窓の外は曇った空と灰色のビル。さきほどまでざあざあと降り注いでいた雨はいつの間にか小雨になっていた。次の駅にはまだ着かない。早く、速く! 頼む急いでくれ!!



 数瞬が永遠に感じられる。凍り付きそうなほどに冷え切った時間が過ぎた。女は僕の腕を強い力で掴んだまま、気味の悪い調子で、まるで壊れたオルゴールのような調子で、悪趣味に童謡を歌い続ける。アメアメフレフレ……アメアメフレフレと。吐き気がする。僕は捕まれていない右手でずっと口元を覆っていた。

「…ピチ、…………ピ、チ…チャ。……プ」

 狂った女は口元のみを蠢かせ続ける。こちらの精神を蝕む音程。もう限界だ。僕の中で何かが恐怖に打ち勝った。

「放せ!」

 叫ぶ。捕まれた左腕を力の限り振り回す。しかし、振り切ろうと抵抗するものの、握られている力は緩まない。むしろ力をさらに込められた。逃がさない、とでもいいたいのか……。冷たい手。生者とは思えない手。――死人の、手。

「放せぇえぇぇえ!!」

 無我夢中で喚く。右手で相手の右手を殴りつける。微動だにもしない。殴る。女は歌う。殴る。寒い。握り込んだ右手から血が滲んだ。寒い、寒い……冷、たい?

 ぴちゃり。水の跳ねる音。ジーンズに染みこむ感覚。冷たい。肌が濡れる。靴が濡れる。水が、一体どこから、

「え……」

 女の足元から水が溢れ。僕の足元へ、水が。その冷たさに体が震える。寒い。水が、冷たい。凍えそうなほどに寒い。そして、独特の臭気。

「……!」

 ただの水じゃない、雨水だ!

 水かさの増える勢いは止まらない。

 膝まで雨水がくるという光景に、ゲリラ豪雨という言葉が浮かぶ。冷え切った体は歯の根を合わせることもできない。ガチガチと震える僕をよそに、女は腰までいるにもかかわらず、なんの素振りも見せない。

 女に掴まれている腕からは血の気が引いて、女と同じ青白いものとなっている。血液を求める指が酸欠の魚の口ように、びくびくと動く。動く。

 ――嫌だ。なんだこいつ。なんだこいつ! 放せ気持ち悪い冷たい寒い……死にたくない! 歌うな! やめろ! 嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ!!


 音が、止んだ。雲の切れ間からは光。

 窓の外は雨あがりの、空。


 女が光に、青空に、気づく。歌を止めた化け物が、初めてこちらをむいた。もう、女は胸まで、僕はへそまで雨水に浸かっていた。女は立ち上がるそして狂ったかの様に吠えると僕を雨水の中に突き飛ばす!

「ガッ……」

 僕の左手を拘束していた右手で僕の首を押さえる、左手を歪なチョキにして僕の顔に近づける、大きく口を開いてごぼごぼと叫ぶ! そして、目が合う!!

 長い前髪に隠されていた、女の紅い瞳と。


 なんだ。こいつにも目玉があるじゃないか。綺麗な――紅い、宝石が。

 女が僕の目を抉ろうと迫る。僕の瞳しか見ていない。きっとそれしか興味がない。はじめからそうだった。僕の両腕には全く興味がなかった。

 ハハハ。

 僕は笑った。口の端から空気の泡が抜けたが関係ない。女は興味も示さない。女の人差し指が僕の瞼に触れた。

じっと僕の(エモノ)を捕らえている彼女の目。


 この状況にまるで相応しくないほどに綺麗な紅。

 僕はこの赤色が空を彩る様を思い浮かべて、もう一度――笑った。



『続いてのニュースは、昨日午後三時二十五分頃、○○市のモノレール内において、女性の死体が発見されました。女性は身元の分かるものを持っておらず、遺体は眼球がくり貫かれていました。また、運転手の証言によりますと、○○駅で乗客を降ろしたのを最後に、死体発見まで一人も乗客を乗せていないとのことであり、警察は最近の事件との関連性と、どうやって女性がモノレール内に侵入したのかを中心に、捜査を進める方針です……』

「ニュース見た!?」

「見た」

「どうしようあのモノレールあたし使うのに!」

「そうだなぁ……」



「虹男って知ってるか?」

「にじおとこ?」

「虹の根元ってさ、よく死体が埋まってるって言うじゃん?」

「あぁ」

「でもな、本当は根元に埋まってるのは眼球だけでいいんだと。てか虹彩? で、虹男は虹を作るために人間の目玉をくり貫くんだ」

「へぇ~」

「マジだって。ほら、昨日のニュースに目玉がない死体が発見されたってあっただろ? あれも、虹男がやったらしいぜ」

「……」

「だからな、雨あがりに一人っきりで歩いてると、虹男に殺されるんだとよ。……特に、今日みたいな大雨の日の」

「ふーん。……あのさぁ」

「今日用事あるから」

「話しておいてか! 一緒に帰ってくださいお願いします!!」

「……いいぜー。雨女に殺されたくないもんなー」

「おぅ……」

「昨日も綺麗な虹が咲いたみたいだし、な」


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