僕らを待っていた空
朝は、聞き慣れた音とともに始まった。
ピッ。
キラン・キリアンは目を開けた。
ピッ。ピッ。
彼は天井を見つめた。
「マッハ」
「おはようございます、キラン」
「なんで何かが鳴ってるんだ?」
「目覚ましです」
「なんで?」
「午前七時に起こすよう、あなたが設定したからです」
キランは少し考えた。
そして再び目を閉じた。
「そんなことするなんて、よっぽどの馬鹿だな」
「的確なご指摘です」
「おい!」
MACH-01Aの前面ディスプレイに、マッハの紫色のパイロットヘルメット型アイコンが現れた。
「本日は最終飛行適性評価の日です」
キランは再び目を開けた。
天井を見つめた。
数秒間――
何も言わなかった。
そして――
「あ」
少し間が空いた。
「ああ、スナット」
◇ ◇ ◇
工房は、これまでにないほどきれいだった。
それが最初の警告だった。
二つ目は、ギアが冗談を言っていないこと。
そして三つ目は――
レイモンド・ハリソンが、いつものコーヒーカップを持たずに観測窓のそばに立っていたことだった。
キランは立ち止まった。
「わかった」
全員が彼を見た。
「誰が死んだんだ?」
ギアは瞬きをした。
「は?」
キランはレイモンドを指さした。
「コーヒーを持ってない」
レイモンドは自分の空っぽの手を見下ろした。
そしてため息をついた。
「忘れた」
キランは息をのんだ。
「これは一大事だ!」
ナサニエル・ブルックスが診断コンソールから顔を上げた。
「おはようございます、キラン」
「本当にいい朝か?」
「それは定義によります」
キランはゆっくりギアへ向き直った。
「お前がこいつをおかしくしたんだな」
ギアは微笑んだ。
「成長してるんだよ」
マッハのアイコンが現れた。
「全員が多少の予期不安を感じているようです」
キランは眉をひそめた。
「自分のことだけ言ってろ」
「あなたの心拍数は別のことを示しています」
「密告者!」
レイモンドが笑った。
そして、それだけで――
緊張が和らいだ。
完全にではない。
だが、十分だった。
◇ ◇ ◇
MACH-01Aは試験区画の中央に置かれていた。
紫色の装甲が天井の照明を受けて輝いていた。
細長いノーズコーンは補強されていた。
前方の双発スラスターは徹底的な検査を受けていた。
側面のフィンは正確に調整されていた。
後部推進装置は再構築され、再校正されていた。
すべてのシステムが点検されていた。
そして再点検された。
さらにもう一度。
ギアがキランに近づいた。
「よし」
キランは顔を上げた。
「よし?」
「今日の評価は四段階だ」
キランはうめいた。
「たった四つ?」
「十二個の方がいいか?」
「四は美しい数字だ」
ギアはタブレットを掲げた。
「第一段階。制御上昇とホバリングの安定性」
「簡単だ」
「第二段階。精密機動」
「それも簡単」
「第三段階。緊急降下と安全停止手順」
キランはためらった。
「それはちょっと難しいな」
「第四段階。統合システム評価」
キランは目を細めた。
「なんだか怪しいくらい曖昧だな」
ナサニエルが近づいた。
「あらかじめ定められた複数の状況に、安全に対応できることを示していただきます」
「例えば?」
「推進力の左右差、センサーの不一致、安定化支援の低下、そしてパイロットの要請による中止です」
キランは彼を見つめた。
「俺を殺す気か?」
「いいえ」とナサニエルは落ち着いて答えた。「まったく逆です」
マッハのアイコンが点滅した。
「その違いは重要です」
キランはため息をついた。
「みんな芸人だな」
ギアの表情が柔らかくなった。
「キラン」
「ん?」
「いつでも止めていいからな」
キランは彼を見た。
「理由を聞かないのか?」
「何があったのか理解するためには聞くさ」
ギアは微笑んだ。
「でも、止めたいと思ったことを正当化する必要はない」
キランはうなずいた。
「わかった」
少し間が空いた。
「じゃあ、やろう」
◇ ◇ ◇
最初の試験は午前八時十五分に始まった。
キランはEDFDのフライトヘルメットを装着していた。
バイザーには、許可された飛行範囲が表示されていた。
試験モード:制御飛行
高度制限:3メートル
係留システム:作動中
緊急回収機能:待機状態
パイロット認証:確認完了
ヘルメットの中にマッハの声が響いた。
「全システム準備完了」
キランはゆっくり息を吸った。
「よし」
ナサニエルがインターホンで話した。
「キラン、準備状況を確認してください」
「準備完了」
「ご自身のタイミングで開始してください」
キランは推進システムを起動した。
ウオオオオン。
双発スラスターが低く唸った。
MACH-01Aが試験台から浮き上がった。
一フィート。
二フィート。
三フィート。
キランは下を見た。
床が遠ざかっていった。
拘束装置は正常だった。
車椅子は安定していた。
ホバリング安定性:正常
キランは微笑んだ。
「また会えたな」
マッハのアイコンが点滅した。
「誰に話しかけているのですか?」
「空だよ」
「ここは屋内です」
「マッハ」
「はい?」
「黙れ」
「了解しました」
少し間が空いた。
「一時的に」
キランは笑った。
◇ ◇ ◇
第二段階は、さらに難しかった。
キランはMACH-01Aを操作し、光るマーカーの間を進んだ。
前進。
左。
右。
後退。
旋回。
停止。
車椅子は滑らかに反応した。
スラスターが正確な推力調整を行った。
マーカー1――完了
マーカー2――完了
マーカー3――完了
ギアは診断画面を見つめた。
「いい感じだ」
レイモンドは腕を組んだ。
「余裕が出てきたな」
ナサニエルはうなずいた。
「操作応答は許可範囲内です」
キランはもう一度旋回した。
さらにもう一度。
マッハが最後のマーカーを告げた。
「精密機動コースの終点に接近しています」
キランはにやりと笑った。
「偉大なる瞬間を目撃する準備をしろ」
ギアがインターホンを押した。
「制御停止を目撃する準備ならできてるぞ」
「お前は何もかも台無しにするな!」
キランはMACH-01Aを滑らかに停止させた。
精密機動――合格
観測室から拍手が沸き起こった。
キランは片手を上げた。
「ありがとう! ありがとう!」
マッハのアイコンが輝いた。
「もう片方の手は操作装置に置いたままにしてください」
キランは手を下ろした。
「わかったよ」
◇ ◇ ◇
第三段階は違っていた。
キランは始まる前からそれを理解していた。
緊急手順。
その言葉だけで、記憶が押し寄せてきた。
事故。
警報。
落下する感覚。
損傷したマッハの声。
何かが決定的におかしくなったという、恐ろしい確信。
キランの手に力が入った。
マッハはそれに気づいた。
「キラン」
「ん?」
「もう少し時間が必要ですか?」
キランは試験区画を見つめた。
数秒間、そうだと答えることを考えた。
そして――
「実は……」
ギアが顔を上げた。
キランは唾を飲み込んだ。
「ああ」
ナサニエルは即座に応答した。
「評価を一時停止します」
試験保留――パイロットの要請
スラスターは許可された安定ホバリング状態を維持した。
キランは目を閉じた。
呼吸した。
待った。
誰も急かさなかった。
誰も説明を求めなかった。
しばらくして、彼は口を開いた。
「マッハ?」
「はい?」
「俺たちが落ちたときのこと、覚えてるか?」
少し間が空いた。
「はい」
キランは観測窓を見た。
「お前を失うと思った」
マッハのアイコンが柔らかく点滅した。
「システムが永久に失われる可能性は高い状態でした」
キランは弱々しく笑った。
「お前は何でも臨床的に言うな」
「不確実性を伝えるための私の表現方法です」
「ああ」
少し間が空いた。
「でも、怖かったんだ」
マッハは黙っていた。
キランは続けた。
「死ぬことだけじゃない」
彼は唾を飲み込んだ。
「二度と飛べなくなることが」
工房は静まり返った。
やがてマッハが言った。
「恐怖を感じることは、あなたが選択する能力を失ったことを意味しません」
キランはアイコンを見た。
「止めることを選んでも、失敗じゃないんだよな?」
「はい。失敗ではありません」
キランはかすかに微笑んだ。
「よかった」
もう一度息を吸った。
そして目を開けた。
「よし」
ナサニエルが言った。
「続行しますか?」
キランはギアを見た。
レイモンド。
ナサニエル。
そして目の前のコースを見た。
「ああ」
彼は微笑んだ。
「続けたい」
◇ ◇ ◇
緊急評価が始まった。
最初のシナリオは事前に告知された。
推進力の左右差――模擬発生
一方の推進系統が、試験用の制限状態に設定された。
MACH-01Aがわずかに傾いた。
キランはそれを補正した。
マッハは操縦を奪うことなく、状態情報を提供した。
「右側推力が模擬試験範囲内で低下しています」
「了解」
「推奨補正操作を表示しました」
「そのとおりにする」
キランは調整した。
車椅子が安定した。
復旧――完了
次のシナリオが始まった。
センサー不一致――模擬発生
警告が現れた。
キランは胃が締めつけられるのを感じた。
だが、今度は――
何をすべきかわかっていた。
「マッハ、主系統の基準を確認」
「主系統の基準は安定しています」
「副系統は?」
「模擬不一致が発生中です」
「承認済みの代替制御に切り替える」
「代替モードが利用可能です。確認しますか?」
「確認」
表示が変わった。
代替制御――作動
キランは位置を維持した。
そして必要な降下操作を行った。
復旧――完了
ギアが拳を突き上げた。
「よっしゃあ!」
レイモンドは微笑んだ。
ナサニエルは結果を記録した。
キランは息を吐いた。
「よし」
マッハのアイコンが輝いた。
「見事な対応でした」
キランは微笑んだ。
「ありがとう、相棒」
◇ ◇ ◇
最終段階では、すべてが組み合わされた。
上昇。
精密移動。
制御旋回。
支援機能の低下。
安全停止。
降下。
着陸。
キランは許可された飛行範囲を一度も超えることなく、すべての手順を完了した。
車椅子が試験台に接地した。
スラスターが停止した。
試験区画が静まり返った。
しばらく――
誰も口を開かなかった。
そしてナサニエルがタブレットを見た。
結果を確認した。
一度。
二度。
ギアが身を乗り出した。
「どうだ?」
ナサニエルは読み続けた。
キランは観測窓越しに見つめた。
「ナサニエル」
「少々お待ちください」
「ナサニエル」
「もう少しです」
「ナサニエル!」
ナサニエルは顔を上げた。
そして微笑んだ。
最終飛行適性評価――合格
キランは凍りついた。
ギアは口をあんぐり開けた。
レイモンドは微笑んだ。
マッハのアイコンが明るくなった。
ナサニエルが言った。
「おめでとうございます、キラン」
少し間が空いた。
「合格です」
数秒間――
キランは言葉を失った。
そして――
「スナァァァァァァット!」
◇ ◇ ◇
最初に駆け寄ったのはギアだった。
「やったな!」
キランは笑った。
「俺たちでやったんだ!」
ギアは、座位や装備を乱さないよう気をつけながら、彼を抱きしめた。
レイモンドが近づいた。
「よくやったな」
キランはにやりと笑った。
「ありがとう」
ナサニエルも加わった。
「今回の結果により、準備していた制限付き屋外飛行の許可を出せる見込みです」
キランは彼を見た。
「今日?」
ナサニエルはうなずいた。
「最終承認と飛行前点検が終われば」
キランは見つめた。
そしてゆっくりギアへ向き直った。
ギアは微笑んだ。
「今日だ」
キランは開いた格納庫の扉を見た。
その向こうには――
空があった。
本物の空。
天井ではない。
試験区画でもない。
シミュレーションでもない。
空だ。
キランは唾を飲み込んだ。
「マッハ?」
「はい?」
「本当に飛べるのか?」
マッハのアイコンが輝いた。
「最終承認が発行されれば」
キランはうめいた。
「普通に『はい』って言えないのかよ!」
◇ ◇ ◇
シトロンシティの別の場所でも、新たな始まりが形になろうとしていた。
エレナ・モリスは、障害者団体、研究機関、地域の支援団体の代表者たちが集まる会議室で、セレナ・チョーの隣に座っていた。
テーブルには一枚の文書が置かれていた。
独立支援技術諮問評議会
エレナはタイトルを見た。
コミュニケーション用タブレットが話した。
「ずっとよくなったね」
セレナは微笑んだ。
「十分短くなった?」
「まだ政府の委員会みたい」
「委員会なんだけど」
「悲劇だね」
数人が笑った。
そしてセレナが立ち上がった。
「本日、この評議会が正式に発足します」
彼女は部屋を見回した。
「私たちの目的は、支援技術を利用する人々が、自分たちの生活に関わる決定に実質的に参加できるようにすることです」
拍手が起こった。
セレナは続けた。
「提案される安全措置を審査し、利用しやすい通報手続きを提言し、コミュニケーションと個人の自己決定に関わるシステムの独立監督を求めていきます」
エレナが入力した。
タブレットが話した。
「それから、評議会を作っただけですべて解決したふりはしません」
会場が静かになった。
「方針は実行されなければいけない」
少し間が空いた。
「苦情には耳を傾けなければいけない」
さらに少し間が空いた。
「そして、人には『嫌だ』と言う権利がなければいけない」
セレナはうなずいた。
「そのとおりです」
エレナは微笑んだ。
「じゃあ、仕事を始めよう」
◇ ◇ ◇
エヴリン・マーサーはオンラインで会議に参加していた。
アパートから、大きなスクリーンに映し出されていた。
近くには、紅茶の入ったマグカップを二つ持ったダニエルが立っていた。
エヴリンは一つを受け取った。
「ありがとう」
ダニエルは微笑んだ。
「昼食前にまた革命を起こさないでよ」
「約束はできないわ」
彼は笑って離れた。
エヴリンはカメラに向き直った。
「招いていただき、感謝しています」
セレナは微笑んだ。
「こちらこそ、参加していただけてうれしいです」
エヴリンはうなずいた。
「一つ、はっきりさせておきたいことがあります」
会場が静かになった。
「プロジェクト・シナプスが間違っていたのは、コミュニケーションの改善を目指したからではありません」
彼女は言葉を切った。
「権限を持つ人々が、技術の目標を、その技術が支えるはずだった人々よりも優先したからです」
エレナはうなずいた。
エヴリンは続けた。
「研究は、これからも人々を助けることができます」
少し間が空いた。
「ただし、参加する人々が、自分に何が行われるのかを決める権利を持ち続けられる場合に限ります」
エレナが入力した。
「同感」
エヴリンは微笑んだ。
「もちろん、参加を撤回する権利も含まれます」
「特にそれが大切」とエレナのタブレットが答えた。
◇ ◇ ◇
グレイハーバーでは、証拠保全作業が最終段階に入っていた。
捜査官たちは独立した技術専門家や法務担当者と協力していた。
回収された記憶装置は目録化された。
アクセスログは保存された。
研究記録は厳重に保全された。
許可されていなかった会話モデルの運用基盤は、監督の下で正式な廃止手続きが進められていた。
隔離されたCR-01プロセッサーは、依然として停止したままだった。
それが実行されたことを立証する証拠は回収されていなかった。
意識を獲得したことを示す確認済みの証拠もなかった。
公共ディスプレイのメッセージとの関連を示す鑑識結果もなかった。
それらのメッセージは、レナード・プライスが不正アクセスされたコンテンツ管理アカウントを意図的に悪用したことによるものだと判明していた。
謎の結末は、機械の覚醒ではなかった。
証拠によって明らかになった真実だった。
一人の捜査官が、エヴリンの遠隔作業端末に連絡してきた。
「マーサー博士、参加者データの取り扱いについてご意見を伺いたいのですが」
エヴリンは文書を見た。
「法律上、証拠として保存する必要があるものは保全してください」
彼女は読み進めた。
「でも、それ以外のものを永久に保管していいと、勝手に決めてはいけません」
捜査官はうなずいた。
「削除の要請については?」
「参加者の権利と、適用される法的義務に従って審査する必要があります」
少し間が空いた。
「誰かが『研究だから』と言っただけで、自分の情報を管理する権利を失うべきではありません」
捜査官はメモを取った。
「承知しました」
◇ ◇ ◇
ヴィクター・ハルデンは拘置施設で一人座っていた。
目の前には一枚の紙があった。
先ほど弁護士が面会に来ていた。
捜査は続いていた。
追加の経営幹部の記録が調べられていた。
ほかの人物が訴追される可能性もあった。
彼の協力は、法的に関連する範囲で考慮される。
だが、何も約束されていなかった。
免責も。
許しも。
責任から逃れる道も。
ヴィクターはペンを取った。
数分間、白紙を見つめていた。
そして書き始めた。
親愛なるクララへ。
彼は止まった。
手が震えた。
それでも続きを書いた。
私は何年もの間、お前をそばに残そうとしているのだと、自分に言い聞かせてきた。
お前の記憶を守っているのだと。
だが、本当はお前がすでに伝えてくれた言葉を、受け入れようとしなかっただけだった。
一滴の涙が紙に落ちた。
お前は、自分の代わりに話す存在を作らないでほしいと頼んだ。
私は聞いていた。
それなのに、作ってしまった。
ヴィクターはペンを置いた。
長い間、動かなかった。
そして最後の一文を書いた。
自分の願いを、お前の願いより大切にしてしまって、すまなかった。
彼は紙を折りたたんだ。
送る宛先はなかった。
それを読むことのできる相手もいなかった。
本物の返事を届けてくれる機械もなかった。
それは、ただの手紙だった。
そして初めて――
ヴィクターは、返事のないままにしておくことを受け入れた。
◇ ◇ ◇
エヴリンのアパートでは、ダニエルがキッチンカウンターのそばに立っていた。
姉は研究計画書を見直していた。
彼は数秒間、その姿を見つめた。
そしてため息をついた。
「エヴリン」
彼女は顔を上げた。
「何?」
「午後ずっと仕事するつもり?」
「たぶん」
「帰ってきたばかりだよ」
「わかってる」
「まだ回復途中なんだから」
「わかってる」
「少し休んだ方がいいと思う」
エヴリンはペンを置いた。
「ダニエル」
彼は黙った。
彼女は優しく微笑んだ。
「心配してくれてるのはわかってる」
彼は目をそらした。
「当たり前だよ」
「わかってる」
少し間が空いた。
「でも、私を信じてほしいの」
ダニエルは彼女を見た。
「支配しようとしてるわけじゃないんだ」
「それもわかってる」
彼女は彼の手を取った。
「でも、誰かを心配するあまり、その人にも自分で決める必要があるってことを忘れてしまうことがあるの」
ダニエルは考えた。
そしてうなずいた。
「そのとおりだね」
エヴリンは微笑んだ。
「私は大抵、正しいのよ」
彼は笑った。
「調子に乗らないで」
彼女は彼の手を握った。
「休む必要があるときは休むわ」
「約束?」
「約束」
ダニエルはうなずいた。
「わかった」
そして研究計画書を見た。
「それで」
エヴリンは眉を上げた。
「それで?」
「手伝おうか?」
彼女は微笑んだ。
「実は……」
少し間が空いた。
「お願い」
◇ ◇ ◇
工房に戻ると、キランの屋外飛行許可が下りていた。
許可された飛行経路は、工房の指定試験場とその直上にある管理空域に限定されていた。
最高高度には制限があった。
速度制限も設定されていた。
気象条件は確認済みだった。
地上要員は配置についていた。
緊急回収手順も準備されていた。
試験はいつでも中止できた。
無制限の飛行ではない。
市内全域のパトロールでもない。
戦闘任務でもない。
ただ一度の、慎重に管理された屋外飛行。
そしてキランにとっては――
それで十分だった。
ギアが最終チェックリストを持って近づいた。
「準備はいいか?」
キランは開いた格納庫の扉を見た。
午後の日差しが床いっぱいに差し込んでいた。
入口の向こうには、果てしない空が広がっていた。
彼は唾を飲み込んだ。
「もう少し」
ギアはうなずいた。
「ゆっくりでいい」
キランは兄弟であるギアを見た。
「なあ、ギア?」
「ん?」
「一つ聞いていいか?」
「もちろん」
キランはためらった。
「怖かったか?」
ギアは瞬きをした。
「いつ?」
「俺が落ちたとき」
工房が静かになった。
ギアはMACH-01Aを見た。
数秒間、答えなかった。
そして――
「死ぬほど怖かった」
キランは見つめた。
ギアはかすかに笑った。
「俺は今まで、危険なものをいろいろ作ってきた」
少し間が空いた。
「機械が爆発するのも見たことがある」
彼は修理された車椅子を見た。
「でも、お前が落ちていくのを見たときは……」
声が詰まった。
「お前を失ったと思った」
キランは視線を落とした。
ギアは続けた。
「そのあとマッハまで損傷して、お前たち二人を元に戻せるかどうかもわからなかった」
沈黙。
「もっと確認しておくべきだったことばかり考えてた」
キランは顔を上げた。
「ギア」
ギアは首を振った。
「わかってる。できることはやったって、わかってるさ」
少し間が空いた。
「でも、だからって考えずにはいられないんだ」
キランはかすかに微笑んだ。
「まあ」
ギアは彼を見た。
「お前は俺を連れ戻してくれた」
ギアは小さく笑った。
「ああ」
「マッハも」
「ああ」
キランは紫色のヘルメット型アイコンを見た。
「それに、お前は俺がもう二度と飛べないほど弱い人間だって、勝手に決めなかった」
ギアの表情が柔らかくなった。
キランは続けた。
「俺自身に選ばせてくれた」
ギアは微笑んだ。
「そうしなかったら、相当な偽善者だろ」
キランは笑った。
そしてギアを見た。
「ありがとう」
ギアはうなずいた。
「いつでもな」
◇ ◇ ◇
次にレイモンドが近づいてきた。
彼はMACH-01Aの装甲に手を添えた。
「パイロットの調子はどうだ?」
キランは微笑んだ。
「緊張してる」
「いいことだ」
キランは眉をひそめた。
「いいこと?」
「真剣に考えてる証拠だ」
キランは少し考えた。
そしてうなずいた。
「ああ」
レイモンドは微笑んだ。
「勇気について、妙な勘違いをしてる人は多い」
「そうなのか?」
「怖がらないことが勇気だと思ってるんだ」
キランは空を見た。
レイモンドは続けた。
「でも勇気っていうのは、自分が何を怖がっているのかを理解して、それにどう向き合うかを決めることだ」
少し間が空いた。
「前へ進むこともある」
彼は緊急停止装置をちらりと見た。
「止まることもある」
キランは微笑んだ。
「お前まで哲学者になったのか」
レイモンドは笑った。
「伝染するらしいな」
◇ ◇ ◇
ナサニエルが最後の装備点検を終えた。
「全システム、承認された運用範囲内です」
ギアはうなずいた。
「地上班、準備完了」
レイモンドは監視ステーションを確認した。
「緊急回収班、待機中」
マッハのアイコンが現れた。
「飛行前診断、完了」
キランはディスプレイを見た。
「マッハ?」
「はい?」
「行く前に……」
彼はためらった。
「一つ聞いていいか?」
「もちろんです」
キランは空を見た。
「もし向こうで何かあったら……」
少し間が空いた。
「お前は俺から操縦権を奪うことがあるのか?」
マッハは一瞬黙った。
そして答えた。
「合意済みの緊急安全措置では、特定の条件下で自動介入が認められています」
キランはうなずいた。
「衝突が差し迫っているときとか?」
「はい。あるいは、パイロットが操縦能力を失ったことが確認され、即時の安定化が必要な場合です」
「その条件以外では?」
「私は情報、推奨事項、支援を提供します」
マッハのアイコンが輝いた。
「ただし、私が別の結果を予測したという理由だけで、あなたの決定を置き換えることはありません」
キランはかすかに微笑んだ。
「じゃあ、俺が止まれと言ったら?」
「停止します」
「怖いと言ったら?」
「耳を傾けます」
「飛びたいと言ったら?」
マッハは少し間を置いた。
「許可された条件が満たされているのであれば……」
アイコンが明るくなった。
「……飛びます」
キランはにやりと笑った。
「それでこそ俺のマッハだ」
◇ ◇ ◇
工房の扉が完全に開いた。
暖かな風が中へ流れ込んできた。
キランは前進した。
ゆっくりと。
MACH-01Aの車輪が敷居を越えた。
事故以来、初めて――
飛行システムを有効にした状態で屋外に出た。
日差しが紫色の装甲に反射した。
風がヘルメットを撫でた。
頭上には広大な青空が広がっていた。
キランは止まった。
数秒間、ただ空を見上げた。
通信回線からギアの声が響いた。
「キラン、準備状況を確認」
キランは唾を飲み込んだ。
監視ステーションを見た。
ギアはナサニエルの隣に立っていた。
レイモンドは緊急制御装置の近くで待機していた。
全員が見守っていた。
要求することなく。
無理に押し出すことなく。
ただ待っていた。
キランは微笑んだ。
「準備完了」
ナサニエルが応答した。
「屋外飛行の許可を確認しました。ご自身のタイミングで開始してください」
マッハのアイコンが輝いた。
「パイロットの指示を待っています」
キランはゆっくり息を吸った。
そして――
「マッハ」
「はい?」
「飛ぼう」
◇ ◇ ◇
ウオオオオオオオン!
推進システムが起動した。
双発スラスターが動き出した。
後部推進装置が唸った。
MACH-01Aが地面から浮き上がった。
一フィート。
二フィート。
五フィート。
十フィート。
キランの心臓が激しく鼓動した。
工房が足元で小さくなっていった。
安全システムは安定していた。
バイザーには飛行区域の境界線が光っていた。
屋外飛行モード:制限付き
高度:許可範囲内
安定化:正常
地上支援:接続中
マッハが言った。
「全システム安定」
キランは周囲を見回した。
空。
本物の空。
雲。
日差し。
遠くに見えるシトロンシティの街並み。
数秒間――
言葉が出なかった。
そして笑った。
最初は小さく。
それから大きく。
そして――
「はははははっ!」
無線からギアの声が聞こえた。
「キラン?」
キランはまた笑った。
「ギア!」
「何だ!?」
「俺を見ろ!」
ギアは空を見上げた。
レイモンドが隣に並んだ。
ナサニエルは微笑んだ。
彼らの頭上には――
紫色の装甲車椅子で宙に浮かぶキラン・キリアンがいた。
生きていた。
安全だった。
飛んでいた。
ギアは両腕を突き上げた。
「スナァァァット!」
◇ ◇ ◇
キランは許可された飛行区域の中をゆっくり移動した。
急加速はしない。
危険な旋回もしない。
無謀な機動もしない。
ただ、穏やかに動くだけ。
前進。
制御旋回。
短いホバリング。
そして、もう一度。
マッハはシステムを監視していた。
「飛行性能は引き続き正常です」
キランは微笑んだ。
「よし」
「風の状態も許容範囲内です」
「よし」
「地上支援班もテレメトリーの安定を確認しています」
「よし」
マッハは少し間を置いた。
「キラン?」
「ん?」
「感情の高まりが確認されています」
キランは笑った。
「当たり前だろ!」
「喜びを示していると推測します」
「喜びなんてもんじゃない」
彼は地平線を見た。
どれほど長い間、ここへ戻ることを夢見ていただろう。
風を感じること。
上空から街を眺めること。
警報ではなく、スラスターの唸りを聞くこと。
そして今――
彼はここにいた。
誰かがそうすべきだと決めたからではない。
機械が彼を空へ押し上げたからでもない。
自分自身で、戻ることを選んだからだ。
キランは雲を見た。
「帰ってきた」
◇ ◇ ◇
眼下には、シトロンシティが地平線まで広がっていた。
建物。
道路。
公園。
住宅街。
それぞれの日常を送る人々。
プロジェクト・シナプスについて知っている人もいた。
すべての進展を追いかけていた人もいた。
ほとんど聞いたことがない人もいた。
だが、彼らが暮らす街は、難しい問いに向き合うことを余儀なくされていた。
技術が何をするかは、誰が決めるのか。
革新が人を傷つけたとき、誰が責任を負うのか。
機械は人の声を模倣しても、その人自身にはならないのではないか。
そして、権力を持つ人々が耳を傾けることを拒んだとき、何が起こるのか。
キランは街を見下ろした。
エヴリンのことを考えた。
エレナ。
ダニエル。
マーラ。
傷つけられた人々。
声を上げた人々。
自分の選択を手放すことを拒んだ人々。
そしてマッハのアイコンを見た。
「なあ」
「はい?」
「ちょっと思ったんだけどさ」
「何でしょう?」
「俺たち、ずっとみんなを救おうとしてきたよな」
マッハは少し間を置いた。
「私たちの活動に繰り返し見られる特徴です」
キランは微笑んだ。
「ああ」
彼は眼下の通りを見た。
「でも、人を救うって、いつも誰かと戦うことじゃないのかもしれない」
マッハは考えた。
「同意します」
「ときには、耳を傾けることだったり」
「はい」
「ときには、止まるべきときを知ることだったり」
「はい」
キランは地平線を見た。
「そして、ときには……」
彼は微笑んだ。
「……その人自身が選べる機会を与えることなんだ」
マッハのアイコンが輝いた。
「素晴らしい結論です」
キランは笑った。
「おお」
「何でしょう?」
「お前が俺に哲学的な瞬間を譲ってくれるなんてな」
「私にも自制心はあります」
「いつから?」
「約三秒前からです」
キランは大笑いした。
◇ ◇ ◇
工房では、ギアがテレメトリーを見守っていた。
すべての数値が安定していた。
すべての安全システムが正しく応答していた。
キランは飛んでいた。
本当に飛んでいた。
ギアはレイモンドを見た。
「戻ってきたな」
レイモンドは微笑んだ。
「ああ」
ナサニエルは飛行経路を確認した。
「予定された帰還地点に接近しています」
ギアは無線を押した。
「キラン、調子はどうだ?」
少し間が空いた。
そしてキランの声がスピーカーから響いた。
「もう二度と降りたくない気分だ!」
ギアは笑った。
「でも降りてもらうぞ」
「ええええっ!」
「飛行時間の制限だ!」
「つまんねえやつ!」
レイモンドは笑った。
ナサニエルは首を振った。
マッハの声が通信回線に加わった。
「予定どおりの降下に賛成します」
キランはうめいた。
「裏切り者!」
ギアは微笑んだ。
「連れて帰ってくれ、マッハ」
マッハが応答した。
「操縦権はパイロットにあります。帰還誘導を開始しました」
キランは大げさにため息をついた。
「わかったよ」
少し間が空いた。
「帰るぞ」
◇ ◇ ◇
降下はゆっくりだった。
制御されていた。
滑らかだった。
MACH-01Aが着陸区域へ接近した。
安定装置が調整された。
車輪が降下した。
スラスターの出力が下がった。
五フィート。
三フィート。
一フィート。
トンッ。
車輪が地面に触れた。
推進システムが停止した。
屋外飛行――完了
着陸――成功
パイロット状態――安定
数秒間――
誰も動かなかった。
そしてギアが叫んだ。
「やったぞ!」
レイモンドは両腕を上げた。
ナサニエルは拍手した。
キランは頭を後ろに反らして笑った。
「スナァァァァァァット!」
ギアが駆け寄った。
レイモンドも続いた。
ナサニエルは最終評価のタブレットを持って近づいた。
マッハのアイコンが明るく輝いた。
「おめでとうございます、キラン」
キランは画面を見た。
「やったな、相棒」
「はい」
少し間が空いた。
「やりました」
◇ ◇ ◇
祝賀会は、誰もが予想していたより長く続いた。
ギアは写真を撮ると言い張った。
レイモンドはコーヒーを飲むと言い張った。
ナサニエルは、これが正式な試験だったことを誰かがうっかり忘れる前に、結果を記録しなければならないと言い張った。
キランは、いつもどおりうるさくすると言い張った。
当然だ。
「もう一回飛べる?」
「駄目だ」とギアが答えた。
「明日は?」
「新しい許可がなければ駄目」
「来週は?」
「相談しよう」
「来月は?」
「キラン!」
「何だよ!?」
ギアは顔を覆った。
「スナット!」
レイモンドは笑った。
マッハのアイコンが点滅した。
「新しい飛行予定が決まるまで、キランは質問を続けると推測します」
キランはにやりと笑った。
「正解」
ナサニエルが顔を上げた。
「実は、次の試験段階の計画を始めることはできます」
キランは凍りついた。
ギアがゆっくり振り向いた。
レイモンドは眉を上げた。
ナサニエルは微笑んだ。
「もちろん、適切な審査を経てからですが」
キランは彼を指さした。
「俺、この人好きだ!」
◇ ◇ ◇
その夕方、街は静けさを取り戻し始めた。
アパートで、エヴリンはノートパソコンを閉じた。
新しい研究支援活動の提案書の初稿が完成していた。
ダニエルが部屋に入ってきた。
「終わった?」
「今日はね」
彼は微笑んだ。
「よかった」
エヴリンは窓を見た。
夕日が建物を金色に染めていた。
一瞬、鍵の掛かった部屋を思い出した。
恐怖。
不安。
そして彼女はアパートを見回した。
本。
研究資料。
弟。
自分の人生。
彼女は微笑んだ。
明日になっても、起きたことが消えるわけではない。
だが、明日は彼女自身のものだった。
◇ ◇ ◇
エレナ・モリスはレイチェルの隣に座り、評議会の初回会議の議事録を確認していた。
タブレットが話した。
「初日にしては悪くなかったね」
レイチェルは微笑んだ。
「悪くなかった?」
「わかった。かなりよかった」
「かなり?」
エレナは入力した。
「最高だった。これで満足?」
レイチェルは笑った。
「大満足」
エレナは窓を見た。
そしてもう一文入力した。
「まだやることはたくさんある」
レイチェルはうなずいた。
「そうね」
少し間が空いた。
「でも、やっていこう」
エレナは微笑んだ。
「私たち自身のやり方で」
◇ ◇ ◇
警察本部では、マーラ・エリソンがまた一つ証拠フォルダーを閉じた。
捜査は続いていた。
さらなる事情聴取が行われるだろう。
さらなる審理も。
難しい決断も。
刑事責任は、法的手続きを通じて裁判所が判断する。
独立調査員たちは、グレイハーバーの失敗を調べ続ける。
被害を受けた人々は、自分たちの生活を立て直し続ける。
すべてが一瞬で元どおりになる日など、ないだろう。
マーラはそれを理解していた。
彼女はヴィクター・ハルデンの写真を見た。
それからホロウポイントの記録を。
最後に、机のランプを消した。
「一日ずつね」
そして珍しく――
真夜中になる前に帰宅した。
◇ ◇ ◇
ヴィクター・ハルデンは、拘置施設の独房に残っていた。
クララへの手紙は、所持を許された私物の中にあった。
彼は何度も読み返していた。
返事はなかった。
これからも、決してない。
今ではそれを理解していた。
彼は小さな窓を見た。
外では夕空の色が薄れていた。
クララのギターを思い出した。
彼女の笑い声。
ひどい出来のパンケーキ。
口論。
彼女が自分に耳を傾けてほしいと頼んだ瞬間。
彼は目を閉じた。
何年もの時を経て、初めて――
彼女に話をさせようとせずに、彼女を思い出していた。
◇ ◇ ◇
工房に戻ると、キランは開いた格納庫の扉のそばに座っていた。
太陽はほとんど沈んでいた。
MACH-01Aの紫色の装甲が、最後の夕日を映していた。
工房の中では、ギアとレイモンドが、キランのお祝いに本物のケーキが必要かどうかで言い争っていた。
ナサニエルは飛行報告書を仕上げていた。
マッハのアイコンが柔らかく輝いていた。
数分間、パイロットもAIも何も話さなかった。
やがてキランが沈黙を破った。
「なあ、マッハ?」
「はい?」
「今日は最高だったな」
「同意します」
キランは微笑んだ。
「もう二度とここまで来られないかと思ってた」
「回復が成功する確率は不確実でした」
「ああ」
少し間が空いた。
「でも、たどり着いた」
「はい」
キランは地平線を見た。
しばらく、雲がオレンジ色に染まっていくのを眺めていた。
そして口を開いた。
「なあ……」
マッハは待った。
「しばらくの間、空に忘れられたんじゃないかって思ってた」
マッハのアイコンが輝いた。
「空には記憶能力がありません、キラン」
キランは笑った。
「お前、本当に感動的な場面を台無しにするのが得意だな」
「私は科学的な正確性を維持していると考えています」
キランは首を振った。
そして再び地平線を見た。
「まあ、空が俺を覚えていようがいまいが……」
彼は微笑んだ。
「……俺は帰ってきたぞ」
◇ ◇ ◇
工房の中で通知音が鳴った。
ピッ。
ナサニエルが通信端末を見た。
通常の緊急サービス速報が表示されていた。
シトロンシティの別の場所で起きた交通事故だった。
救急隊員はすでに現場に到着していた。
ソニック・ウィーラーズへの支援要請は出ていなかった。
ナサニエルは情報を確認した。
そして通知を閉じた。
外では、キランにもその音が聞こえていた。
彼は工房の方を見た。
「何かあった?」
マッハは許可された情報配信を確認した。
「通常の緊急サービス速報です。対応要請はありません」
キランはうなずいた。
「よかった」
彼は空を見た。
まだ無制限のヒーロー活動を許可されてはいなかった。
まだだ。
これからも試験がある。
訓練もある。
決断もある。
学ぶ機会もある。
だが、それでよかった。
今は――
急ぐ必要はなかった。
キランは微笑んだ。
「そのときが来たら……」
マッハのアイコンが明るくなった。
「はい?」
キランは街を見た。
「俺たちは準備できてるさ」
マッハは少し間を置いた。
そして答えた。
「一緒に」
キランはにやりと笑った。
「一緒にな」
◇ ◇ ◇
最後の夕日がシトロンシティの向こうへ消えた。
街灯が次々と灯った。
車が道路を走った。
人々が家へ帰った。
どこかでは、家族が夕食の食卓を囲んでいた。
どこかでは、研究者がノートパソコンを閉じていた。
どこかでは、一人の若い女性が、自分自身の声で明日のことを決めていた。
そして街外れの工房では――
紫色の空飛ぶ車椅子に乗った一人の青年が、星空を見上げていた。
彼は落ちた。
恐怖を感じた。
ほとんどすべてを失いかけた。
だが、自分で選ぶ権利だけは失わなかった。
そして、再び立ち上がるときが来たとき――
彼は空を選んだ。
落ちることの意味を忘れたからではない。
落ちたからといって、そこで終わりになるわけではないと学んだからだ。
頭上に最初の星々が現れた。
夜は穏やかだった。
未来は不確かだった。
そして明日は――
明日は、彼らを待っていた。




