↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
1/262

炎と氷霜

シトロン・シティが燃えていた。

街のスカイラインの一角が、完全に炎に呑み込まれている。

災害の中心にそびえ立つのは、シャーマン・アパートメント。

レンガと鉄骨で造られた巨大な建物は、荒れ狂うオレンジ色の炎の向こうへと消えかけていた。

濃い黒煙が嵐の雲のように空へ立ち昇り、朝日さえも覆い隠している。

人々は非常線の向こう側から、その光景を見つめていた。

祈る者。泣く者。ただ呆然と立ち尽くす者。

炎から離れていても、その熱気だけで呼吸が苦しくなるほどだった。

消防士たちは道路を慌ただしく駆け回り、ホースを引きずりながら、炎の轟音に負けないよう声を張り上げていた。

消火用キャノンから、銀白色の消火剤が勢いよく噴射される。

しかし――まるで効かない。

炎は、消し止めようとするあらゆる試みを嘲笑うかのように呑み込んでいった。

「消火剤が効かないぞ!」

消防士の一人が叫んだ。

新たに放たれた消火剤が炎の中へ消えた瞬間、別の消防士が足を滑らせそうになる。

「圧力を上げろ!」

「もう最大だ!」

即座に返事が飛んでくる。

最初の消防士は悪態をついた。

あり得ない。

こんなことが起きるはずがなかった。

普通の火災が、ここまでの高温になるはずがない。

ましてや、消火剤をこれほど簡単に呑み込むなど。

何かがおかしい。

その近くでは、一人の男が非常用バリケードを必死に乗り越えようとしていた。

「親父と赤ん坊が、まだ中にいるんだ!」

絶望で声が裏返る。

「通してくれ!」

二人の消防士が、建物へ飛び込もうとする男を取り押さえた。

「死ぬぞ!」

「そんなの知るか!」

群衆が静まり返った。

誰も何と言えばいいのかわからない。

そして誰にも、どう助ければいいのかわからなかった。

できることはただ見守ることだけ。

泣き崩れる母親の悲痛な叫びに、誰かが応えてくれることを願いながら。

その時だった。

三階の窓が突然、内側から吹き飛んだ。

バァン!

大きな破裂音が道路中に響き渡り、群衆が一斉に身をすくめる。

火の粉が黒煙の中へ舞い上がった。

ほんの一瞬。

消防士たちの磨かれたヘルメットに、オレンジ色の炎が映り込む。

だが――その色が変わった。

青。

そして――赤。

人々が煙に覆われた空を見上げる。

誰かが指を差した。

子供が息を呑んだ。

老婦人が両手を握り合わせる。

そして、群衆の中から囁き声が広がっていった。

「来た……」

二本の光が、流れ星のように雲を切り裂いた。

一つは青。

もう一つは赤。

――ウィーラーズ。

◇ ◇ ◇

最初に着地したのは、青い光だった。

着地と同時に、道路一面へ霜が広がる。

漂う氷の結晶の中、一台のホバーチェアが静かに地面へ降り立った。

零花・ラインハルトは燃え盛る高層住宅を見上げた。

その表情は変わらない。

冷静。集中。沈着。

まるで難しい手術を前にした外科医のようだった。

彼女のアームレスト上に、ホログラム画面が浮かび上がる。

そこに現れたのは、彼女の《ヴェント》のデジタルフェイス。

――ブリザード。

AIの輝く瞳が建物全体を走査する。

『熱源反応を確認』

大量のデータがディスプレイを駆け抜ける。

『生存者、二名を検出』

零花は腕を組んだ。

「場所は?」

『三階』

ホログラムの立体地図が展開される。

『救助成功確率、97.4パーセント』

『推奨される侵入経路は――』

ドンッ!

地面が揺れた。

ブリザードの説明を遮るように、二つ目の光が降ってきた。

赤。

炎司・ラインハルトが着地した衝撃で、彼の下の舗装道路に亀裂が走る。

車椅子のスラスターがシューッと音を立て、シャーシに並んだ発光ベントから熱気が放たれる。

装甲表面では、デジタルの炎が踊っていた。

その直後、彼の《ヴェント》が姿を現す。

――ブレイズ。

混沌そのものを具現化したようなAIだった。

『計算はもういい!』

ブレイズが叫ぶ。

『さっさと誰か助けに行こうぜ!』

炎司がニヤリと笑った。

ようやく話のわかる奴がいた。

「ああ」

炎司は燃え盛る建物を指差した。

「行くぞ」

零花は眉間をつまんだ。

時々、彼女は思う。

弟の脳は、本能だけで動いているのではないだろうか。

まあ……それでも大抵は上手くいく。

大抵は。

残念ながら。

◇ ◇ ◇

「集中して」

零花が片手を上げる。

ブリザードは即座に意図を理解した。

アームレスト下部に装備されたフリーズキャノンがチャージを開始する。

青い光が集まる。

周囲の気温が急激に低下した。

近くのコンクリートを白い霜が覆っていく。

そして――

ドォン!

サファイアブルーのエネルギーが一直線に放たれた。

光線がアパートメントを直撃する。

その瞬間、炎が消えた。

代わりに、猛烈な勢いで氷が広がっていく。

大量の蒸気が爆発するように噴き出した。

消防士たちは顔を腕で覆う。

群衆から驚きの声が上がった。

氷は結晶の蔓のように壁を這い上がる。

轟々と燃えていた炎が音を立てながら、徐々に小さくなっていった。

火の海の中に一本の道が生まれる。

ブリザードの声は、相変わらず完璧なまでに冷静だった。

『侵入経路を確保』

零花が頷く。

「炎が弱まったら、すぐに生存者を――」

炎司はすでに動いていた。

「もう行ってる!」

零花が言い終える前に、彼は黒煙の中へ飛び込んでいった。

「……でしょうね」

零花は呟いた。

三階は地獄だった。

廊下の隅々まで煙が充満している。

壁は真っ黒に焦げていた。

天井の破片が次々と落下してくる。

壁際には、一人の老人が座り込んでいた。

その胸には、小さな子供がしがみついている。

二人とも激しく咳き込んでいた。

そして二人とも、恐怖に震えていた。

老人は子供をさらに強く抱きしめる。

「大丈夫だ」

自分でも信じてはいなかった。

もう、信じられなかった。

その時、窓が吹き飛んだ。

ガラス片が飛び散る。

子供が悲鳴を上げた。

老人が顔を上げる。

煙の中から、一つのシルエットが現れた。

浮いている。

空中を漂いながら近づいてくる。

そして――笑った。

「よっ」

老人は瞬きをした。

……何だ?

青年は自分を指差した。

「俺は炎司」

続いて、隣に浮かぶデジタルフェイスを指差す。

「で、こいつがブレイズ」

ブレイズが手を振った。

『うぃーっす』

炎司が笑う。

「今日は俺たちが、あんたらのヒーローだ」

老人は呆然と彼を見つめた。

疲れ切った頭では、目の前で何が起きているのか理解するまでに数秒かかった。

そして目を見開く。

「ウィーラーズ……?」

「正解」

突然、子供が炎司を指差した。

「テレビに出てる人だ!」

炎司が笑った。

「ほら」

老人を指差す。

「この子はわかってるじゃん」

彼のチェア後部が展開する。

格納されていた乗員用プラットフォームがせり出した。

「乗って」

老人は躊躇した。

ブレイズが目を回す。

『信用しろって』

『もし俺たちがあんたを殺すつもりなら、今のところ仕事が下手すぎるだろ?』

老人は、その理屈について深く考えないことにした。

慎重にプラットフォームへ乗る。

子供も後に続いた。

炎司は二人がしっかり固定されたことを確認する。

そしてニヤリと笑った。

「じゃあ、脱出するぞ」

スラスター点火。

次の瞬間――三人は砕けた窓から空へ飛び出した。

◇ ◇ ◇

外では群衆が歓声を上げた。

声が通り全体に響き渡る。

人々が空を指差した。

下で待っていた家族は、すぐに二人の姿に気づいた。

子供の母親が泣き崩れる。

「お父さん!」

老人が笑った。

火災が始まって以来、初めてだった。

炎司はゆっくりと着地する。

「終点だ」

老人が炎司の手を握った。

「ありがとう……」

子供は炎司に両腕を回して抱きついた。

「お兄ちゃん、すっごくカッコいい!」

炎司が固まった。

それから気まずそうに首の後ろを掻く。

「え……」

視線を逸らした。

「ああ。まあ……気にすんな」

ブレイズが即座に笑い出した。

『うわっ! 照れてる!』

「うるせえ」

◇ ◇ ◇

その上空では、零花が最後に残った炎を消していた。

燃え続けていた最後の梁が、完全に凍りつく。

火災は終わった。

消防士たちは信じられないという顔で見つめている。

ニュースカメラが回り始める。

記者たちが一斉に駆け寄った。

シャーマン・アパートメントは、まだ立っている。

市民たちも生きている。

そして、またしても――ウィーラーズが街を救った。

ブリザードが警告表示を投影した。

『メディアの到着を確認』

炎司がうめいた。

「うわぁ……ハゲタカどもだ」

零花は無視した。

姿勢を正す。

微笑む。

そしてカメラへ視線を向けた。

「笑って」

弟をちらりと見る。

「ヒーローっていうのは、そうするものよ」

パシャッ。

パシャッ。

パシャッ。

無数のフラッシュが二人を包んだ。

群衆は歓声を上げる。

街は二人のヒーローを称えていた。

そして――遥か遠く離れたどこかで。

テレビ画面越しに、その光景を見つめている者がいた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。