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開演まであと七日とせまった頃、小屋掛けの看板ができあがってきた。六尺ほどのたて看板で、鮮やかな紅殻の地に、八折網笠に裃つけた人形遣いが、大仰に曲げた両の手指に人形のあやつり糸をからませているという絵柄である。
黒太の歌舞伎文字で「本邦初」とし、「生き人形」と書き添えてある。
せかせかと看板の立て位置を指図しながら、興行主の川内佐内は、
「看板ができてきましたで」
首を伸ばして小屋の奥へ声をかけた。
稽古のじゃまをするなと言われてはいたが、佐内も開演前にせめて人形と人形遣いの様子を見ておきたいと思った。
小屋には金をかけた。準備もおさおさ怠りない。前評判は上々だ。それでもどこか腑に落ちない気持ちはぬぐえない。
大体、糸あやつり自体が珍しい。南蛮渡りの糸あやつりには、道士かなにか資格が必要だと聞いていた。なんでも人型をしたものを扱うからには、あやつる人間の側も修行が要るのだという。しかし、この角太夫という男、どうなのだろう?
八折網笠ですっぽりと顔を覆った人形遣い。自ら百人一首とうたっていたが、考えてみれば、そもそもこれはどういう意味なのだろうか?
桜田治助が書いた正本の写しは渡している。角太夫はこの稽古をしているはずだ。登場人物だけで十人あまり。時には五体六体同時に登場させなければならない。
――なるほど、八面六臂か
「百人一首の人形回し」は誇張にしても、ひとりでそう何体もいちどきにあやつれるとも思えない。それが不思議であった。
まだある。
人形の首はどれも名人がこしらえたというが、この人形善というのはいったい何者だろう?
調べてみると、阿波の人形作りは実在していた。が、名人と呼ばれるだけあって、数々の奇行が伝えられている。そもそも人形の首を彫るには人間の骨格を知らねばいけないと言い、鬼気迫る行状もあって、人形作り善兵衛のことは奇談異聞集にも収められている。なるほど生き人形を創るというのは並大抵でない。
大道芸人だった角太夫は、いったいどうやってそのようないわくつきの人形師と知り合ったのだろうか。善兵衛作の人形を何体ゆずり受けたのだろうか。
そして、あの八折網笠。はじめて会ってからもう半年になるが、素顔を見たことがない。舞台から離れてもああなのだから、人形芝居の陰語りのためばかりではない。顔を見せられない理由でもあるのだろうか?
訊きたいことは山ほどあった。
しかし、小屋掛けをしてしまった今、へたなことを訊いて、この人形師にへそを曲げられてはかなわない。
そこで、
「瓦版屋がな、人形を役者に見立てて役者絵を刷りたいと言ってきている」
と、瓦版専属の絵師を角太夫に引き合わせることにした。
薄暗い舞台裏で、八折網笠をかぶった角太夫と絵師ふたりきりになることはためらわれたから、佐内自身もいっしょに人形善の作品だけでも拝ませてもらうつもりであった。
ひさびさに会ってみると、あいかわらず角太夫の面貌はわからないが、のどぼとけが尖り、両肩が薄くなっている。
やつれたのではないか?
猛稽古は知っていたから、
「稽古もほどほどにな。興行が始まる前に人形遣いに倒れられては元も子もない」
佐内が声をかけると、角太夫ははじめのうちこそ尋常に受け答えをしていたが、時々語尾が途切れ、ぼんやりとなった。異様に話の間があくし、心ここにないのがよくわかる。佐内はますます不安になった。
小屋は建ったばかりだから、平土間は、のこぎりを引いたばかりの木の匂いがする。
舞台の袖には、紺地に紅で隈取を染め抜いた小幕が垂れ下がっていて、そこから先は、興行主の佐内でさえ角太夫に出入りを禁じられていた。
はじめて角太夫の後について小腰をかがめその小幕をくぐる。急にまわりが暗くなり、目が慣れるまでしばらくかかった。
足元は湿った土間で、ざらざらだ。薄暗い通路の板壁に手燭を掛けると、舞台の背景を裏から支える木の枠組みが濃い影を落とした。造りつけの棚があり、その切り込みに人形の首を引っ掛けるようにできている。
人形たちはだらりと並んで下がっていた。首を重たげにいっぽうにかしがせて、どれもうつろに目を見開いている。板壁の隙間から、細い陽射しが射して人形のかんざしや金襴緞子の衣装に反射し、風が細く吹き込んだ。その風に乗って鳩の鳴き声がする。
寺が近いからこの辺には土鳩が多い。できたばかりの見世物小屋の裏にさっそく巣でもこさえたか、ひっきりなしにくぐもった鳴き声を重ねている。
一番後についてきた絵師が、あたりを見回し、さっそく帯に挟んだ矢立を取り出した。
角太夫は、
「人形たちは私以上に張り切っておりまして」
と、披露した。
「立役には、若男、手代、色悪」
それぞれ大きさは一尺足らずといったところだろうか。
角太夫は八折網笠をかぶったまま、人形を、まるで赤子でも抱くような手つきで一体ずつ見せた。
「女形には娘、老女形、伝法肌の悪婆、下ぶくれのお福、それに端役などがございます」
すでに人形たちは床山に髪を結ってもらい、弁慶格子だの藍染だの衣装も着せ付けてある。金襴緞子の帯やびらびら簪がわずかな明かりを鈍く反射している。
「人形の体重は頭の上の糸で支えられております」
角太夫が差し出したのは傾城で、高島田に富士額、白いうりざね顔に切れ長の目。水晶でできた目が、薄い明かりを受けると白く反転した。
「つまり頭が固定されている。そのため、このような動作は、南蛮あやつりでないとできないのです」
と、角太夫が黒糸を引くと、人形の顔が横に振れ、簪が揺れた。人形は片手で白い額を隠すような動作をし、憂えた眼差しを妖艶に落とす。
「この操作板を手板と呼びましてな。ここに糸を通して操作する。南蛮あやつりの糸はせいぜい十五本から二十本ですが、これは二十九本」
手板の中央がひょうたん型にくり抜かれ、そこに角棒がはまっている。
「ほれここ。タタラと言って、このように下から指で動かします」
角太夫が手板をあやつると、人形の高島田に結った髪の間から牛に似た角がにょきっと伸びる。真っ黒な目玉がぎょっと飛び出し、花びらのようだったおちょぼ口が、がくっと大きく開いた。
「角出しのあご落ち。これは人形浄瑠璃でも見かけますが、もっと工夫を凝らしましてな」
「ほ、ほう、どれ」
佐内が手を差し出すと同時に、角太夫はさっさと人形を引っ込めてしまった。
――くそっ
角太夫が隠せば隠すほど、佐内は人形の内銘を見たいと思った。
人形の首の内側には、普通、作者の名や製作した日付が記されている。はたしてほんとうに、あの伝説的な人形作り善兵衛の作なのか、それを確かめたい。
実際、興行主として、佐内はいまひとつ合点がいかなかった。だから、立て看板にもあえて人形の制作者の名は入れなかった。
それでも、今度の人形芝居で伝説的な善兵衛人形が見られるというクチコミは広まっていて、それを目当てに来る見物も多いらしい。
しかし、興行師の佐内すらいまだに人形を調べる手だてがないのだ。芝居小屋にいるとき、角太夫は人形から片時も目を離さないし、稽古中は誰も舞台裏に近寄らせない。
佐内は絵師と並んで相槌を打ちながら、まだ人形を手にする隙をねらっていたが、ふと気がついて耳を澄ました。
通路は狭く薄暗い。片側には闇より濃い人形の影が通路のずっと奥まで並んでいる。
鳩はさっきから鳴いていた。耳をすますと、くぐもった鳴き声が何かの拍子に人の声に変わった。
――くくっ、くるっくるっく、くるなっくるな、来るな来るな、誰も、来るな、誰も誰も来るな来るな、ここには誰も来るな




