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河内佐内の関西なまりは、興にのると強くなる。
もともと上方で儀太夫節を語っていたから人形にもくわしい。
「何から何までそのとおり」
と、佐内は角太夫に同意を示し、
「きょう日、人形浄瑠璃なんてあんな大仰なもの、しかも黒子て、しっかり見えとるものを見るなという約束事。こら、わやや。人形遣いが見えてはいかん。主役は人形や。これからは糸あやつりの時代、本格的にやりまひょ」
それで、と、脂ぎった赤ら顔を寄せた。
まず、小屋掛けといっても、歌舞伎の市村座に似せた造作にし、舞台の破風前には歌舞伎役者ならぬ人形の首の場釣提灯を吊り下げる。
人形の顔見世番付も配り、ちょうど霜月なれば、歌舞伎なみに人形の顔見世もやって見せましょう、これは面白くなる――
と、相当な意気込みで、さっそく小屋掛けの準備にかかることになった。
当時、両国広小路は、夜遅くまで人を呼び込む声が止まない歓楽街である。見世物小屋や寄席や茶屋が並び、目にも鮮やかな桃色提灯が道の両側に下っている。
そのようなところで、本来なら子供の手遊びともいえる傀儡を、大の大人、しかもたいていの遊びには飽いているような見物相手に見せようというのだから、これは角太夫のような大道芸人にとっては大出世である。
いっぽう興行主にとっては博打に等しい。駱駝や大みみずくといった人目を集める引っぱり物があるわけではない。素性の知れない人形遣いひとりの出来不出来にすべてがかかっている。もっとも、こういった危うい組み合わせは、見世物興行にめずらしいことではなかった。
さっそく小屋掛けの突貫工事が始まった。
もともと両国広小路は明暦の大火の後、防火のために拡幅された火除け地であるから、本来ならばすぐ取り払える小屋掛けにしか許可が下りない。そこを、興行師の佐内は強引に懐に物を言わせ、三層の吹き抜け造りの人形芝居小屋が作られることになった。当時、これは破格である。
官許のやぐらこそ上げられないものの、正面のつくりは江戸三座に似せ、赤い提灯と幟で飾り、入り口には下がり藤の座紋の入った長暖簾、舞台前に孔雀の羽やトラの皮を張りめぐらし異国情緒を出した。
一階は平土間の仕切り席、中二階と三階にも四方に桟敷席を設け、見上げると中央から、大きな黒い天幕が四方へと張り巡らされている。
「仕切り席だけでも見物が百は入れます」
佐内は着々と仕上がり具合を角太夫に知らせた。
小規模ながら歌舞伎をまねた回り舞台もあれば龕灯返しもできる。内装も見世物小屋としては破格にこぎれいな造作を施した。
歌舞伎とも違う。人形浄瑠璃とも異なる。まだ小屋を建造中に瓦版が大きく書きたてた。
こうして前評判が高いと聞くと、人形遣いの角太夫は興行師に注文をつけてきた。
「船底ですが」
船底というのは、人形浄瑠璃の舞台の下方、人形の足元から下三尺ほどを隠す空間である。黒子の場合、上半身は舞台上に見えているものの、足元はこの船底にあって、人形を中腰で支えている。
「舞台裏を脚立のつくりにしてほしいのです」
糸あやつりなので浄瑠璃とは逆に人形遣いの位置を高くしなければいけない。舞台裏を自由に行き来する必要もあった。上手から下手まで、糸あやつりを無理なく動かせる空間がなくてはならない。
そこで、角太夫の言うとおり、舞台裏に幅五尺ほどの通路を作ることになった。人がふたり充分擦れ違える広さである。舞台の袖から階段を五段ほど上ると、黒幕に仕切られた通路になっていて、そこにあやつり師の姿がすっぽりと隠れる。
通路の床が上演中にきしんだりしては興ざめなので、支えをしっかりとさせ、舞台裏のそこはずいぶんと広い空間になった。
やがて、そこに、当の人形が次から次へと運び込まれた。
折から上方では、せんだっての大火で糸遣いの人形が大量に焼失したため、江戸で唯一の人形劇一座であった結城座が、人気の人形遣いを人形とともに上方へ送り出していた。だから今、江戸には糸遣いの人形をあやつれる者がひとりもいなかった。これは、川内佐内と角太夫にとって、まさに江戸で一旗あげる千載一遇の機会である。
小屋が建ち上がると、人形芝居の初公演は盆休みと話が決まった。
すでに梅雨も明け、あと何日も残されていない。
佐内は思いついて、人形遣いの角太夫に異国風な絹物を着せ、芝居が始まる前に観客に挨拶をさせることにした。口上を言わせてもいい。
舞台中央に手をついて、
「たったひとりの人形遣いに百首の人形。どうなりまするか、あとは見てのお楽しみ」
と、編み笠をかぶったまま言わせるのである。
角太夫に話すと一も二もなく賛成し、生意気な江戸っ子に話題を提供しようではないかと、ふたりで大気炎を上げることになった。
息巻いたところで、
「それで演し物だがな」
川内佐内は急に声を落とした。瓦版屋にでも漏れ聞こえてはまたうるさいことになる。
昼餉の客も引けた蕎麦屋の二階。
様子を見に上がって来た女中が渋茶を入れなおし、二言三言お愛想を言って階段を下りて行ってしまうと、あたりはしんとなった。
ふたりの男は顔を近づけた。
「夏といえば怪談」
お前の腕を見込んで、と、興行師の低いだみ声には有無を言わさぬ迫力があった。
「四谷の向こうを張ってな、市村座の二枚目作者桜田治助に頼んである。人形芝居いうても立作者やしな、かねて趣向の腹案があると張り切っとる。もうじき三幕物の正本が書きあがる」
先年、四世丸大の歌舞伎狂言「東海道四谷怪談」が大当たりを取ったばかりである。
佐内は口元を緩めたまま、人形遣いの深くかぶった編み笠の奥に反応をうかがった。ここまで来て、よもや待ったがかかるとは思われない。
ところが、角太夫は口元まで運びかけていた盃の手を急に止め、卓に置きなおした。
「ここは初演でもあるし、今まで手馴れた一幕の心中物ではどうでしょう?」
確かにそれまで角太夫のあやつり芝居はどれも一幕物のコントである。台本も自分で書き、登場する人形の数が多いといってもたかが知れている。声音も台詞もすでに何回も大道で見せていたものであった。
それが今回、糸あやつりの三幕物、しかも怪談の新作というのはちょっと……、と、角太夫は歯切れも悪く、
「開演まで間がないですし、それまでに段取りを付け、語りと人形の調子を合わせ、衣装も着付け、床山も頼むとなれば、やはり……」
「いやいや」
佐内は、近ごろ伸してきた清元節の人気太夫の名を挙げ、
「清元延寿を見なされ。目新しいものでなければだめですて。この頃の見物は目が肥えている。新しいものを先に演ったが勝ち」
「しかし……」
と、角太夫は食い下がった。
「人形を手なずけるには時間が……」
「何を恐れる? あんた自分こそ天下一の人形回しと言ってたやないですか?」
佐内は笑いにまぎらして言い放ったが、その目は少しも笑っていなかった。
小半時もふたりは言い合って、結局興行主が少々激してきたように見え、とうとう人形遣いのほうが折れた。
角太夫は真綿に針を含ませて最後の見栄を張った。
「ただし、稽古を見に来てもらっては困ります。気が散りますでな」
そう言って、八折網笠を仰向け、冷めきった杯を一息に飲み干した。
翌日から角太夫の猛稽古が始まった。




