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 雨音がにわかに激しくなった。

 見上げると、がらんと吹き抜けになった芝居小屋の暗い空間に、雨音が小刻みに響いている。まるで屋根瓦に豆でもぶちまけたような勢いだ。

 これではせっかくの(はや)し方も見物の耳にとどくまい。興行師河内佐内(かわちさない)は、ざわつき始めた平土間で不安げに首をめぐらせた。

 見物の入りは上々だった。仕切り席はいっぱいで、立ち見も出ている。人いきれでむせかえらんばかりだ。

 幕開きの時間はとうに過ぎているというのに、なかなか始まらないものだから見物も騒ぎ始めた。

 そこへ、この雨だ。薄暗い仕切り席のあちこちで白い顔がうらめしげに高い天井を振り仰いだ。

 この日のために突貫工事で完成させた人形芝居小屋で、当時としては空前の三層づくりである。

 (こけら)落としは角太夫の「百人一首」。

 百人一首といっても、歌がるたのことではない。角太夫は、文政年間に、ひとりでたくさんの人形をあやつった人形遣いの名手である。

 子供と見間違えるほど小柄な体つきに、いつも八折網笠をすっぽりとかぶっている。普通の網笠を四半分に畳み、あごでしばらず、目出し帽のように顔を隠す。それがいかにも謎めいて見え、()しものの生き人形も早くから評判を呼んでいた。

 もともとは投げ銭をあてにした大道芸で、子供相手であった。小ぶりの手くぐつ(指人形)を両手であやつり、歌に合わせておどらせたり相撲をとらせたりしていたのだが、それが当たりを取ると、いろいろ工夫を凝らすようになった。

 最初は、首から下げた箱の中に腕を隠す、いわゆる首掛け芝居だったが、あやつりの腕が上がるとそれでは間にあわなくなった。そこで小ぶりの舞台をこさえ、組み立て式にして、人の集まる神社や辻で見せることになった。

 それでもまだその頃は、大道芸に毛が生えたくらいのものであった。額縁にこさえた正面に緞子(どんす)の幕を垂らし、その幕を割って、豆人形が顔をのぞかせると、

東西(とざい)(とう)西(ざい)

 と、やって、チョンと拍子木を打つ。

 寸劇がある。人情噺や道行心中もあった。語りも入れて、早変りの細工やちょっとした大道具小道具なども器用に作った。さらに人形浄瑠璃をまねて、「遠見(とおみ)」と呼ばれる遠景を配した。大波小波のはるか向こうに遠ざかっていく小船とか、大広間に畳を何十畳と重ね、その奥まったところを殿様の御座に見立てた錦絵を配したりと、人形芝居といっても舞台に凝り始めるときりがない。

 評判を聞いて、やがて大の大人も見物に群がり始めた。

 当時、人形芝居といえば人形浄瑠璃のことで、上方では文楽芝居が人気を博していた。人形の首と右手を主遣(おもづか)いが担当し、左手を左遣い、足を足遣いが担当する大がかりなものである。

 大道芸人の角太夫はこれを鼻で笑った。

「人形ひとつに魂を入れるのに、人間が三人もついてちゃあ、かなわない」

 そのうち両国に、南蛮あやつりの興行が掛かった。いわゆる糸あやつりである。角太夫は熱心に出入りしているうちに、見よう見真似ですっかりその技術を覚え、さっそくそれを自分の人形芝居に取り入れた。

 南蛮あやつりもそうだが、糸遣いの人形芝居はどれも浄瑠璃に似て、人形遣いがその姿を舞台にさらしている。当時江戸では結城座(ゆうきざ)が唯一雄を馳せていたが、人気の人形遣いが(かみしも)を着て舞台に現れるや、大向こうから掛け声がかかった。

 角太夫はそれをくさした。

「人があやつるのを見てなにが面白いものか。芝居をするのは人形だ。人形が生きてこそ人形芝居だ」

 八折網笠で(おもて)を隠した角太夫が言うと、いかにも説得力があった。

 実際、糸遣(いとづか)いの南蛮あやつりを取り入れて人形を上から糸で吊るすようになると、角太夫は舞台裏を仕切りで囲い、自分はその陰に身を隠した。こうして、角太夫の舞台からあやつり師の姿は消え、人形たちだけで芝居をするようになった。これは蔭語(かげがた)りと呼ばれたが、ここまで徹底した糸遣いは他にいない。

 それが功を奏し、角太夫の人形芝居は文楽芝居や南蛮あやつりとは別格に扱われ、江戸で引きも切らぬ評判となった。

 当時の瓦版に、「浄瑠璃を木にて作りしでこのぼう、糸であやつる百人一首」と、うたわれ、童謡(わらべうた)にも、「一人二役、八面六臂(はちめんろっぴ)、百人一首の人形回し」と、江戸っ子たちにはやされた。

 なにしろ、あれだけ多くの人形を、たったひとりであやつるのは並大抵のことではない。しかも生き人形だ。

 実際、見物が見ていても、人形が勝手に動き出すように見えることがあった。遣い手があやつるより早く歩き出すことがあったし、まるで人形が先を読んで芝居をするようだ。その証拠に、人形の手足についている糸がたるんでいたり、糸が明らかに用をなしていないときがある。

 人形の(かしら)はどれも、人形善こと名人善兵衛の作である。大奥御用達の雛人形の制作者だけあって、気魄の込め方が尋常でない。それを、わざわざ阿波徳島まででかけていって頼み込んだ。と、これは角太夫本人の談である。

 かの名人善兵衛が、いくら江戸で評判になったとは言え、たかが見世物小屋の傀儡師(くぐつ)のために、その腕をふるうとは思われない。人寄せの噂にすぎなかったのかもしれないが、その人形善が急死を遂げ、残された人形の数も限られているとなると、生き人形を拝むために金を惜しまぬ道楽者も集まり、角太夫の人形芝居の評判は高まるばかりだった。

ちょうどこの頃であった。

 興行師として名の知れた河内佐内が、角太夫に大興行の話を持ちかけたのである。


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