召使
孤児院の院長室。
ガルムが提示した金貨の袋を、院長は疑わしげな目で見つめていた。その視線は、金への欲というより、「正気か?」という困惑に満ちている。
「……いやはや、騎士団長様。このユリウスを連れて行かれると? それは一向に構いませんが……なぜ、あえてこいつなんです?」
院長は、部屋の隅で無表情に立っている俺を、顎でしゃくった。
「見ての通り、愛想の一つもありゃしない。他の子のように甘えるわけでも、元気に走り回るわけでもない。ただ一日中、微動だにせず、何かを考えているような……とにかく、可愛げのないガキですよ。召使いになんて、もっと素直で使い勝手のいい子が他にいくらでも――」
「俺がコイツがいいと言ってるんだ。文句があるのか?」
ガルムが低く威圧すると、院長は「いえ、滅相もございません!」と手を振って、慌てて書類に判を突いた。
「ただ……何と言いますか、損をされますよ。コイツは飯を食わせるだけの価値もない、不気味な置物みたいなもんですからな。……おい、ユリウス! 騎士団長様に拾って頂けるんだ、少しは感謝の言葉でも言ったらどうだ!」
院長が、苛立ちをぶつけるように俺を怒鳴りつける。
だが、俺は眉ひとつ動かさず、ただ静かに院長の目を見つめた。
「……行くぞ、ガルム。これ以上ここにいても、時間の無駄だ」
「……あ、ああ。そうだな」
俺の淡々とした言葉に、ガルムさえも少し毒気を抜かれたような顔をした。
俺が部屋を出る際、背後で院長が「あいつ……、本当に中身はガキなのか……?」と気味悪そうに呟くのが聞こえた。
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ガルムの大きな手に襟首を掴まれ、引きずられるようにして辿り着いたのは、土埃と汗の臭いが染み付いた騎士団の練兵場だった。
ちょうど午後の訓練が終わったところなのだろう。鎧を鳴らし、談笑していた数十人の騎士たちの視線が、一斉に俺へと注がれる。
「なんだ、その汚ねぇガキは」
「団長、また妙な拾い物をしたんですか?」
向けられるのは、明らかな侮蔑と好奇の目。
当然だろう。今の俺は、継ぎ接ぎだらけで所々破れたボロボロの服を纏い、伸び散らした髪は毛玉のようになって泥を噛んでいる。頬や手足は垢にまみれ、お世辞にも「将来有望な少年」には見えない。ただの、道端に転がっている不潔な石ころと同じだ。
ガルムが大きく息を吸い込み、練兵場全体を震わせるような声を上げる。
「おい、お前ら! 今日からこのガキ、ユリウスを俺の直属にする。メシを食わせて、空いてる兵舎の一角を与えてやれ!」
ガルムの野太い声が、静まり返っていた騎士たちに伝播する。
一瞬の沈黙。その後、堰を切ったように騒ぎ出した。
「団長、本気ですか!? どこの馬の骨とも知れんガキを……」
「しかも直属って、俺たちより格上じゃねえか!」
反発は予想通りだ。
俺は一歩前に出ると、騒ぐ騎士たちを一人ずつ、値踏みするように見回した。
「……文句があるなら、俺より有能であることを証明してください。それとも、団長の判断を疑うほど、皆さんの頭は腐っているんですか?」
「んだと、コラぁ……ッ!」
一人の騎士が剣の柄に手をかけたが、ガルムの「あ?」という低い地鳴りのような声一つで、全員が氷ついたように黙り込む。
「ユリウス。……お前、やっぱり可愛げねぇな」
「褒め言葉として受け取っておきますよ、団長」
それから俺の、騎士団での「召使」としての生活が始まった。
✦
「……よし、お前ら!このガキを徹底的に洗え。髪もだ、一房残さず綺麗にしろ」
ガルムの命令で、俺は三人の若いメイドたちによって浴室へと連行された。
巨大な木製の桶には、なみなみと湯が張られている。前世では当たり前だった「温かい湯」の感触に、少しだけ意識が遠のきそうになった。
「あらら、ひどい汚れ……。これ、何ヶ月洗ってないの?」
「服もボロボロね。……あら、でも、汚れを落としたら、お肌がとっても白くて綺麗……」
メイドたちの無遠慮な手がお湯と共に肌を滑る。
「……っ!」
思わず喉の奥で、短い悲鳴のような声が漏れた。
見た目はただの幼い男児。だが、中身は一応、年頃の男子高校生だ。
若い女性たちに囲まれ、あられもない姿で全身を磨き上げられるこの状況は、もはや羞恥心のキャパシティをとうに超えている。肌に触れられるたびに全身に鳥肌が立ち、耳の裏まで真っ赤に染まりそうになるのを、俺は必死に奥歯を噛み締めて耐えた。
(……やめろ、触るな。俺の尊厳が……プライドが……)
だが、七歳の体では抵抗したところで力は弱く、逆に「嫌がってて可愛い!」とメイドたちを喜ばせる燃料にしかならない。
俺は逃げ場のない桶の中で、ぎゅっと目を閉じ、頭の中で円周率を唱え、冷静沈着を決め込むしかなかった。
髪にこびりついた泥が落ち、幾重にも重なっていた垢が洗い流されていく。
さらに、伸び放題だった髪を彼女たちの手で切り整えられると、鏡の中の「俺」は劇的な変貌を遂げていた。
そこには、夜の闇を溶かしたような艶やかな黒髪と、深い湖の底を思わせる、冷徹な知性を宿した青い瞳があった。
ようやく洗浄の儀式が終わり、次は着替えだ。
差し出されたのは、フリルやリボンこそないものの、やけにカッチリとした、いかにも「可愛らしいお坊ちゃま」といった風情の召使い服だった。
前世の俺は、目立つのを徹底的に嫌うただの高校生だった。文化祭の出し物で、妹に散々ねだられた時、こうした類の服には決して袖を通さなかったというのに。
「かわいいー!」「まるでお人形さんね!」
はしゃぐメイドたちの声が、俺の羞恥心をさらに煽る。
されるがままに服を着せられ、最後に鏡の前に立たされた時、俺は自分の姿を直視できず、わずかに視線を逸らした。
「……嘘でしょ? さっきの子と同一人物……?」
「なんて整った顔立ち……。この子、本当にどこの貴族でもないの?」
メイドたちが惚れ惚れとした溜息をつき、白い手で召使いの制服――黒を基調とした、仕立ての良いベストとタイを整える。
されるがままに服を着せられ、最後にもう一度鏡の前に立たされた時、俺は自分の姿を直視できず、わずかに視線を逸らした。
(……なんだこれは。コスプレか? いや、罰ゲームか?)
鏡の中にいるのは、汚れを完璧に落とされ、仕立ての良い服に包まれた、残酷なまでに整った顔立ちの少年だった。
汚れを落としたことで、「ユリウス」の素材の良さが残酷なまでに際立ってしまっている。
死にたいほど恥ずかしい。
だが、俺は幸いにも、感情が表に出ない性分だった。
俺は鏡の中の自分を冷ややかに一瞥すると、メイドたちに一礼して部屋を出た。
「待たせたな、ガルム。」
廊下で腕を組んで待っていたガルムが、俺を一目見るなり、飲んでいた茶を盛大に吹き出した。
「ゲホッ、ゴホッ!……おまっ、ユリウス、か……!?」
「サイズは問題ない。……それで、次は何をすればいい?」
ガルムは、垢抜けたどころか、奇しくも「高貴な威厳」すら纏った俺を凝視し、引き攣った顔で後頭部を掻いた。
「……汚れを落とせばマシになるとは思ったが。お前……様になりすぎてて、逆に気味が悪いぞ」
「……鏡を見てから言え。こんな格好、俺にとっては嫌がらせ以外の何物でもない」
俺が冷めた目で言い返すと、ガルムは顔をしかめて一歩歩み寄ってきた。そして、大きな手で俺の頭を鷲掴みにする。
「……っ、痛っ。何のつもりだ…っ」
「その口の利き方だ、ユリウス。俺やそこらの野郎ども相手なら構やしねぇが、これからは城へ行ったり、貴族の相手をしたりすることもある。そんな不遜なガキを連れて歩きゃ、俺の監督責任を問われちまうんだよ」
ガルムは俺の目線に合わせて腰を落とし、逃がさないと言わんばかりにニヤリと笑った。
「今日から俺の前では『私』だ。語尾もだらしねぇのは禁止だ。召使いらしく『〜です、〜ます』で通せ。いいな?」
(はぁ?冗談だろ……)
花岸悠月としての俺が、内心で激しく拒絶反応を示す。
ただでさえこの「召使コスプレ」が死ぬほど恥ずかしいっていうのに、その上、丁寧な口調で「かしこまりました」なんて言ってみろ。妹に指をさして笑われるぞ。
「……嫌だね。この格好だけで十分だろ」
俺が全力で嫌な顔をして悪態をつくと、ガルムは「あ?」と喉を鳴らして、さらに手の力を強めた。
「ああ?契約を忘れたか?俺は『雇い主』で、お前は『召使』だ。命令に従えねぇなら、その綺麗な服を脱がせて今すぐ極寒の馬小屋へ放り込んでやるぞ!」
「…………っ」
俺はガルムを睨みつけた。
冗談か本気か分からない。ここで突っぱねて野垂れ死ぬのは、俺の生存戦略に反する。
俺は一呼吸置き、熱くなった頬を鉄の仮面で押し殺して、絞り出すように口を開いた。
「………………承知いたしました、ガルム様。これで満足ですか?」
「………………」
ガルムは、俺のあまりに完璧すぎる、そしてどこか嫌味なほど洗練された敬語を食らい、毒気を抜かれたように黙り込んだ。
「お前、教えもしねぇのに、なんでそんなに様になってやがる……可愛げねぇガキだと思ってたが、いよいよもって薄気味悪いな」
俺は無表情のまま、これ以上ないほど慇懃に、ただ真っ直ぐにガルムを見返した。内心、今すぐこの場から全力で逃げ出したい。
「……チッ。可愛げがねぇどころか、もはや嫌がらせの域だな。いいだろう、ついてこい。お前の言う『生存戦略』とやらが、口先だけじゃないことを証明させてやる」
ガルムは鼻を鳴らすと、大股で廊下を歩き出した。
連れて行かれたのは、彼の執務室だった。部屋の中は、およそ一騎士団長の部屋とは思えないほど、書類や羊皮紙の束が乱雑に積み上がっている。
「召使としての最初の仕事だ。この山をどうにかしろ。明日の朝までに、必要なものとゴミに仕分けておけ……まあ、文字が読めるのは知っているが、実務は別物だ。土台、ガキには無理な話だろうがな。朝まで精々悩んで――」
「終わりましたら、次の指示を仰ぎに伺ってもよろしいでしょうか」
俺の遮るような問いに、ガルムがドアノブを掴んだまま固まった。
「……あ?」
「仕分けだけなら、一時間もあれば十分です。それとも、内容の精査と重要度別のナンバリングまで含めますか?」
俺は積み上がった書類の山を、前世でテスト用紙の束を眺めていた時のような、冷めた目で見つめた。
ただの書類整理だ。情報のタグ付けとソート。検索エンジンのないこの世界で、現代の高校生が身につけている「情報の取捨選択能力」がどれほどの劇薬になるか、この熊のような男はまだ知らないらしい。
「…………一時間だと? フン、好きにしろ。精々、泣き面を見せないことだな」
ガルムは吐き捨てるように言って、部屋を出て行った。
バタン、と重厚なドアが閉まる。
部屋に一人残された瞬間。
俺はおもむろに顔を覆った。頬が微かに紅潮しているのを感じる。
(……屈辱だった……)
『承知いたしました、ガルム様』?どの口が言ってんだ。
前世のクラスメイトが見ていたら、間違いなく一生のネタにされるレベルの黒歴史だ。あの妹なら、間違いなくスマホで録画していただろう。
だが、嘆いていても時間は過ぎる。
俺は数回、深く息を吐き出して、再び無表情という名の仮面を被り直した。
そして、目の前の紙の山に向き直る。
(……よし。まずは、この非効率極まりない事務処理から解体してやる)
小さな手で、俺は一枚の羊皮紙を手に取った。




