【かつて世界を壊した、とある男の話】
其処には闇があった。じわりじわりと染み込むように、深く澱んだ闇の底。光さえ滅多に届かない、そんな場所に1人の男の姿があった。
男が動けば闇も動く。逃さないとばかりに絡みつくそれに、男は鬱陶しそうに表情を歪める。逃げる気など、とうの昔に消え失せていた。
時間の流れを数えなくなってから、動き回る事はしていない。交代の時間が来るまでひたすら、微睡みの中で見たいものを見るという、怠惰な時間を貪っている。
数え切れない程の夢を見た。叶えられた夢を見たこともある。逆にそれを潰され、大事なものを失い全てをなかった事にしたことも。様々な、そう色鮮やかな冒険譚を見てきた。
それをただ、淡々と記録映画のように見て、耐えて、見て。繰り返してきて今、此処に存在している。男以外に生者はいない。何処までも続く深淵の闇。希望というものはこの空間にはないのだ。
ふわりと、この場に滅多に吹かない風が通る。それが漸くこの場所を抜け出る合図だった。
「……ああ、何だ。もう来たのか」
「早く来ちゃ悪ぃかよ。俺の故郷でもあるだろう、此処は」
男に軽く笑いかけると、風の能力者はその場に降り立った。
「良い夢は見れたか?」
「……相変わらずの悪夢だよ。そっちは色々新しい出会いもあったみたいで、良かったね」
「ははっ、今回の世界は出来が良い。きっと、上手くいくさ。楽しい仲間も、相棒も出来たしな」
「……どうかな。また壊れてしまうかもしれない。観測者に戻れず幽閉されて、いなくなってしまう。あの子のように」
「お前のその感情はシュヴァルツのものだ。飲み込まれんなよ。っつっても、これだけ歪んだ闇の中じゃ無理もないか。我ながら気持ち悪いくらいの執着で、吐きそうになるわー」
やだやだー、と嫌がる素振りを見せるもその表情は笑っている。この現状に満足しているのだ。
闇が深ければ深いほど、表の世界は光り輝く。生きとし生けるものが健やかに生きていられる。間違った歴史に歩む事など、起こさせやしない。
今までの負荷を吐き出すように息を吐いた男に、風の能力者は男の肩を軽く叩いた。
「ほぅら、交代の時間だ。お前なりの世界を広めてこいよ。それがオレとの契約で、お前を生かし続ける理由だ」
そう言って風の能力者は、男に手を差し出す。その掌は男にとって希望であり、破滅を紡ぐ諸刃の剣でもあった。だが、男には拒む理由はない。
道はとうに踏み外している。振り返っても戻れる道など何処にもなかった。
男は色を失くしかけた腕を必死に動かし、風の能力者の手を掴む。
「ーー何時も助かるよ。シュヴァルツ」
「おう。じゃあまたな、ウィリアム」
掴んだ手を軸にぐるんと、視点が変わる。漸く常世の闇から解放された男はーー、ウィリアムとして其処に立っていた。
先程までいた常世の闇は何処にもない。広々とした青空の下、鼻腔を擽る久々の風の匂いに笑みが溢れる。
「……1年ぶりか。上手く生きれるかね」
ぽりぽり、と軽く頭を掻いてウィリアムは地を蹴った。
その男は世界を作り、世界を壊した。そしてまた世界を作りーーそれをどうしたいのか、誰も知らない。
そう、今はまだ。




