第16話 初めての城壁外:キャンプ:ミントカラー
街の門を抜けると、すぐに視界が開けた。
北には大きな山がそびえ立っている。標高が高く、半分より上は雪に覆われて白く輝いている。その山から両端に、小さな山々が連なっている。
街道沿いには背の高い木々が並び、涼しげな木陰を作っている。
携太は思わず足を止めて、その景色を眺めた。
(富士山よりかなり高い山だなぁ……。スケールが……本当に、異世界なんだな)
大きく深呼吸をする。
澄んだ空気が肺いっぱいに広がって、自然と笑みがこぼれた。
この世界に来てから、ずっと街の中にいた。それはそれで刺激的だったけれど、こうして城壁の外に出てみると、改めて"別の世界"を実感する。
空気が違う。匂いも、音も。
鳥のさえずりが聞こえ、風が草を揺らす音がする。心なしか、川のせせらぎも聴こえる気がする。
(いい場所だ)
クレアが教えてくれた川沿いの野宿場所は、街から北へ徒歩で約一時間。魔物の出ない安全地帯だと聞いている。
再び歩き出す。
街道を歩く人影もちらほらと見える。商人の姿はほとんどなく、すれ違うのは冒険者だと分かる服装の者ばかりだ。
(みんな、あの山に向かってるのか?)
北の雪山。いかにもという佇まい。
(もしかして、ダンジョンでもあるのかな)
すれ違うたびに、視線を感じる。
声はかけられないが、明らかに見られている。
ちらりと見られては、通り過ぎていく。
ある冒険者は、苦笑いを浮かべていた。
別の冒険者風の男は、「ふっ」と鼻で笑ったようにも見えた。
(さっき足を止めて景色を眺めたり深呼吸したりしたのが……もろに初心者丸出しだったのかも)
気にすることはない。携太は背筋を伸ばして、視線を上げて、堂々と前進した。
◆
北へ向かって歩くこと一時間ほど。
やがて、川のせせらぎが大きくなってきた。街道から少し外れた場所に、開けた河原が見えてくる。
「ここか」
クレアが地図で教えてくれた場所と一致する。
川幅は十メートルほど。流れは穏やかで、水は透き通っている。対岸には背の低い草が生い茂り、その向こうに森が広がっている。
河原には、焚き火の跡がいくつか残っていた。旅人の休憩や、キャンプに使う場所なのだとわかる。
空を見上げる。
太陽は、もうだいぶ傾いている。
(思ったより時間がかかったな)
街を出たのもいい時間だった。それから一時間歩いて、今はもう夕日も沈みかけている。
(今日薬草を探し始めていたら、確実に夜になってたな……)
癒月草の採取は、明日の朝にして正解だ。
今日は、ここで一晩過ごしてみる。
(キャンプの準備、か)
河原に落ちている枝を集めて、焚き火の跡に積み上げる。火打ち石は──持っていない。
(こんな時こそ……)
携太はスマホを取り出して、通販アプリを開いた。
検索欄に「ライター」と入力してみる。
いくつか候補が出てきた。シンプルなものから、防水仕様のものまで。
(これでいいか)
一番安いものを善行ポイントで購入。アイテムボックスに自動で格納された。
続けて、一人用の簡易テント、防寒仕様の寝袋、塩焼き用の串に刺さった魚の三匹セット。
ついでに──缶ビールを一本。
(焼き魚にビール……いいだろ、これくらい)
全て善行ポイントで購入し、アイテムボックスへ。
ふと、思いつく。
消耗品は余裕があるうちに増やしておいた方がいい。
スマホのアイテムボックスを開き、缶ビールのアイコンを長押しして複製を選択。1という数字が10に変わる。
次に魚のセットも同じように複製して、10セットに増やす。
──編集残り回数:3 → 1
(よし。これで当面はキャンプのたびに買い足さなくて済むな)
必要な分だけ取り出せばいいから、管理も楽だ。
まずはアイテムボックスからライターを取り出す。
カチッ。
火がついた。
(相変わらず便利だねぇ〜)
枝に火をつけて、焚き火を起こす。パチパチと音を立てて、炎が広がっていく。
日が沈むにつれて、気温も下がってきた。炎の温かさが心地いい。
(焚き火はオッケー! テントを先に立てるか)
アイテムボックスからテントと寝袋を取り出す。
説明書を見ながら、骨組みを組み立てて、シートを被せる。意外と簡単だった。
(よし、できた)
テントの中に寝袋を入れて、準備完了。
次に、アイテムボックスから魚と缶ビールを取り出す。
串を地面に刺して、魚を火にかざす。
じりじりと、皮が焼ける音がする。香ばしい匂いが漂ってくる。
(……いい匂いだ)
炎を眺めながら、魚が焼けるのを待つ。
星が見え始めた空。パチパチと弾ける焚き火の音。川のせせらぎ。
静かで、穏やかな時間。
(こういうの、久しぶりだな)
元の世界では、忙しくて、こんな風にのんびりする時間はなかった。
この世界に来てからも、ずっとバタバタしていた。
でも、今は──
(少しだけ、余裕が出てきたのかもしれない)
◆
魚が焼けた。
一匹目を手に取って、ひと口齧る。
(うまい)
皮はパリッと、身はふっくら。ほんのり塩味がついている。
ビールをぐいっと一口。
(……最高だな、これ)
焚き火に焼き魚にビール。元の世界では、こんな贅沢なキャンプをする余裕なんてなかった。
あっという間に一匹目を食べ終えて、二匹目に手を伸ばそうとしたとき──
ガサッ。
対岸の草むらから、何かが音を立てた。
携太の手が止まる。
目を凝らすと、焚き火の明かりに照らされた対岸の草むらから、何かが顔を出した。
小さな、動物のような──いや、動物じゃない。
額に、緑色の宝石が光っている。
毛並みはミントのような薄い緑色で、ふわふわとしている。耳は長く、瞳は大きくて丸い。
体長は、猫くらい。四本足で立っている。
(……魔物?)
身構えかけたが、その生き物から敵意は感じられなかった。
生き物は川の中の石にぴょんと飛び乗り、さらにもう一つの石へ。こちらの岸へと、軽やかに渡ってきた。
焚き火の向こうに立ち止まって、じっと、携太の手元を見つめている。
いや、正確には──焼き魚を見つめている。
「……お腹、空いてるのか?」
声をかけてみる。
生き物は、ぴくりと耳を動かしたが、逃げる様子はない。
ただじっと、魚を見つめている。
(魔物が出ない安全地帯、って聞いてたけど……)
でも、この生き物から危険は感じない。
それに──なんだか、可愛い。
「……ひとつ、あげようか」
携太は、三匹目の焼き魚を手に取って、そっと地面に置いた。
焚き火と草むらの間、ちょうど中間あたりに。
じっと見守る。
生き物は、しばらくためらっていたが、そろそろと近づいてきた。
焼き魚に鼻を近づけて、匂いを嗅ぐ。
──ぱくり。
一口かじって、もぐもぐと食べた。
味を確かめるように、じっと動きを止める。
再び魚に近づくと、残りを咥えた。
「おお……」
思わず声が漏れる。
生き物は、魚を咥えたまま、携太をちらりと見た。
くるりと向きを変えて、来た道を戻っていく。石から石へと軽やかに飛び移り、対岸の草むらへと消えていった。
ガサガサと音がして、やがて静かになる。
(毒が入ってないか、確認してたのかな……?)
額の宝石。ふわふわの毛並み。神秘的で、どこか可愛らしかった。
「……綺麗だったな、あれ……」
携太は焚き火を見つめながら、ぽつりと呟いた。
(でも、この辺りは魔物が出ないって聞いてたんだけどな)
不思議に思いながらも、残った二匹目の魚を食べる。
(まあ、危害を加えられたわけじゃないし、いいか)
食事を終えて、焚き火を消す。
(火の不始末は危ないからな)
防寒寝袋を買っておいたから、寒さは問題ないだろう。
テントの中に入る前にもう一度空を見上げた。
満天の星が、夜空に散りばめられている。
この世界の星座は、元の世界とは違うのだろうか。
ぶるっと体が震える。急ぎテントに入って寝袋にくるまった。
あの生き物は明日もちゃんと食べられるのかな──そんなことを思いながら、携太は静かに目を閉じた。




