本の紹介16『暗夜行路』 志賀直哉/著
誰もが人生という名の先の見えない路を往く
志賀直哉の作品を読んだのはこの作品が初めてですが、きっかけは映画監督の小津安二郎が戦地で本作を読んで涙したという話を知ったことです。小津監督作品のファンなので、読まねばなるまいと思った次第。
祖父と母の不義によって生まれたという出自をもつ時任謙作という青年が主人公で、彼が出自に翻弄されながらも苦悩を克服していく様を描いた作品となっています。
謙作は母の死後に祖父の家に引き取られ、祖父が亡くなった後もそのお妾さんだったお栄という女性と同居としています。ある日、友人たちと一緒に訪れた店で出会った芸者に一目惚れするもののその恋は叶わず、その後、昔から馴染みだった年下の女性に結婚を申し込もうとしますが、これも自分の出自等が原因で失敗します。半ば自暴自棄になった謙作は放蕩の日々を過ごすようになり、気持ちを一新しようと家を出るものの上手くいかず、再び放蕩の日々に戻ってしまうというところで前篇は幕を下ろします。
後篇に入ると、謙作は紆余曲折を経て京都で見染めた女性と結婚をし、前編での苦悩に満ちた生活から一転、穏やかな生活に身を置くことになりますが、初めて授かった子供の病死、そして自分の留守中に妻が従兄弟の青年と過ちを犯したことで、謙作の人生に再び暗雲が立ち込めます。
本作は執筆開始から完結まで随分と時間がかかったようで、前篇の完成から後篇が始まるまでに10年以上の期間が空いています。そのため、物語の中での時間経過以上に、前後編で物語のタッチに変化があるように感じられました。ストーリー的な山場は後篇になると思いますが、前篇の様々な出来事や人物との出会いを通じて、自分の進むべき道を模索している様子が好きだったので後篇でトーンが変わったのは少し残念に感じました。前篇の序盤で登場した友人たちや父親との絡みが後篇では影を潜めてしまったのもちょっと拍子抜けした気分です。とはいえ、後編はテーマ的な面が表に出てくるので読み応えがあります。
本作における謙作の行動を表面的に見ると、男女関係で失敗続きだった青年があちらこちらフラフラした果てにようやく家庭を持ったものの、妻の不貞で悩み苦しむことに羽目になったとも言えます。卑近な言葉で、痴情のもつれが原動力となって物語が展開していく面から本作を恋愛小説とする見方もあると思いますが、個人的にはちょっと違うかなと感じました。
謙作は物語の序盤から何か鬱屈した感情を抱いていることが描写されています。出自に関わる秘密が明かされるのは物語が少し進んでからになりますから、物語序盤では彼にも自分の中のしこりの正体がはっきりと分かっていません。次第にそれが幼い頃の家庭環境、祖父、父、母、兄妹との関係に起因していることが分かってきます。自分にまとわりつく嫌な気持ちが家族に起因するからこそ、彼は新たな家族の形を求めて、様々な女性に惹かれ一緒になろうとしたのではないでしょうか。作中、謙作がもっとも身近に接している女性は祖父の家で同居していたお栄さんになるのですが、彼女との関係も複雑なもので、母であり姉であり恋人でもあるような匂いを漂わせています。これもまた一つの家族の形態だと感じます。家族という概念が謙作の人生の苦悩に直結しているからこそ、その苦悩との対峙を演出するために、恋愛を通じて謙作が家族を形成する様を描いているのであって、恋愛が主題となっているものではないと考えます。
本作から強く感じたのは、人の過ちを許すことの難しさとその尊さ、そして自らの人生を幸福なものと捉える力強い意志です。妻の不貞により、謙作は自分の父親と同じ立場に立たされることになります。祖父と母の密通により傷ついたであろう父親と同じ気持ちを自分で直に味わうことで、父親と自分の間にあったわだかまりの正体を知るというのは実に因果な話です。その上で、謙作は妻を許したいと思うものの、つい辛く当たってしまう自分に苛立ち、自分の気持ちを向き合うためにしばらく家族から遠く離れて生活することを選びます。終盤、謙作が山の上で見た景色、そしてそこで見出した感動こそ本作の白眉となるものだと思います。
暗夜行路。暗く先の見えない路を往くというのは、私たち人類が歩む人生そのものを表しているのだと受け取りました。この物語の主人公はさまざまな苦悩とぶつかり合いながらも、最後に光を見出します。本作は読者それぞれがその光を見出すための背中を押してくれるものだと感じました。それは社会的成功や恋愛の成就といった安易な娯楽が提供する幸福の形とは一線を画すものであり、本当の意味で人生の苦難に立ち向かうために必要な術だと思うのです。終わり




