第5話 忌まわしいインターホンの音
【1年2組担任教諭・大楠悦子──視点】
「うぐふっ! 寝返りするだけで腰が痛い……」
布団の上で、水を飲もうと枕元にあるペットボトルを取ろうとしただけで、私は腰から発せられる特大の危険信号により呻き、水を飲むのを断念した。
すでに喉はカラカラだが、とてもトイレには一人で行けないから却って水分を摂らなくて良かったのかもしれないと思い直す。
──はぁ……。こういう時に、一人暮らしだと心細いな……。
最近は、女友達同士でシェアハウスで住む人も増えていると聞く。
でも、それだと何だか負けた気がして、私はまだそちらの道に踏み出す勇気はない。
『悦子は共学校のエリート教師だもんね。きっと、素敵な殿方と結婚できるよ』
名門共学校の蜜月学園に就職が決まった時は、家族も地元の友人もとても喜んで祝福してくれて、送り出してくれた。
でも、実態としては、これといって男子生徒と仲良くなれた訳でもなく、何度か美男子局や男を騙った結婚詐欺師に騙されて貯金も大して無く、ただ年齢を重ねて、こうしてボロアパートの6畳間に敷いた煎餅布団に横たわって寝るだけ。
──このまま私って、おばあちゃんになっても一人のままなのかな……。
身体が弱っていると、心も弱ってくる。
普段は仕事で疲れててすぐに寝ちゃうから、こうしてじっくり考えると、将来への漠然とした不安へ思考が行ってしまうだけだとは分かっている。
けど、そうして、俯瞰するような視点から理屈で自分の心情を分析してみるが、それで寂しさがどこかへ行ってしまう事は無い。
──はぁ……。こんな時に、素敵な旦那様がいたらな……。
辛い現実を誤魔化すためには、アルコールか楽しい妄想だ。
そう思った私は、最近、脳内で繰り広げている妄想エピソードをリフレインする。
「ふへへ……」
最近の私の妄想のネタはもちろん、今年度から担任することになったクラスの男子だ。
なにせ、私はその男の子の家に2回も行ったのだ。
もう、彼しかネタにできない。
さぁ、夢の世界へレッツゴー。
(ピンポ~ンッ♪)
「チッ‼」
忌まわしいインターホンの音が鳴り、私は思わず布団の中で舌打ちをした。
私は、とある理由からインターホンの音が大嫌いになっている。
この世からインターホン何ていう、空気を切り裂く悪魔の装置は滅びるべきだと思っている。
ましてや、今の私はギックリ腰なので、玄関に出る事も出来ない。
故に、このインターホンの鳴動を無視することには正当性がある。
(ピンポ~ンッ♪)
(ピンポ~ンッ♪)
(ピンポ~ンッ♪)
しつこいな、コイツ……。押し売りのセールス?
平日の真昼間に、女しか住んでない安アパートに人なんている訳無いでしょ。社会人なりたての頃に買わされた、男に激モテ美顔器はちっとも効果なかったし。早く諦めろよ。
そう毒づきながら、私は掛け布団を頭まで被る。
(…………)
──ふぅ……。やっと、諦めたか。
「エッちゃん先生、大丈夫?」
「わひ! 橘⁉ って、イタタタタッ!」
「エッちゃん先生、無理して動かないで寝てて!」
慌てて布団の上で立ち上がろうとした私の肩を抱いて、クラスで担任している男子生徒の橘が布団にゆっくりと横たわらせてくれる。
「え? 何これ夢?」
「夢じゃないって。ほら」
そう言って、橘が笑いながら、私の手を取り、自分の頬に触れさせてくれる。
──ふわぁ……。男子高校生のお肌って、最近化粧のノリが気になりだした私の肌と比べて、赤ちゃん肌でスベスベのプルプルだぁ……。
「ぎっくり腰だって聞いてたから、きっと動けないんだろうなと思って、連絡先に載ってる住所見て来て、勝手に入っちゃった。玄関の鍵かかってなかったし。不用心だなぁ、もう」
「いや、こんな安普請な女一人住まいのボロアパートに泥棒に入る奴もいないだろ」
「ああ、そっか。女一人の一人暮らしってそういう扱いなのね」
何やら納得している橘。
この子は、時折、何でもない事で驚いたりするな。不思議な子だ。
「はい、エッちゃん先生。ドラッグストアで腰痛用サポーター買って来たよ。あと、痛み止めの薬と、寝転がってても飲み物が飲めるように、ペットボトルの蓋にストローついた奴も」
「あ、ありがとう橘……」
正直、お見舞いの品がとても適格で驚いた。
この世界で貴重な存在である男子は、真綿で包まれるように大切に育てられていて、どこか浮世離れしているものだというのに。
いや、橘は普通の男とは違ってクラスの女子たちにも積極的だし、変わった子ではあるのだが。
「ほら、サポーター巻いてあげる。少し腰を浮かせられる? 寝たままでいいよ」
「ふぇ⁉ そんな、一人で着けられるから」
「ギックリなんだから無理しないの」
「あ……」
私の意見は優しく無視されて、ペラペラの掛け布団が捲られる。
──っていうか、私、今パジャマ⁉ しかも、ネグリジェとかじゃなくて、思いっきり気の抜けた方の!
出来る事なら、すぐに逃げ出して着替えたいところだが、腰が言う事を聞かないのでどうしようもなく、私はただ橘にされるがままに、腰を少し浮かせてサポータを巻いてもらう。
「よし。サポーターで腰を固めたから、これで多少は動けるようになったはずだよ」
「イテテ……あ、でも、たしかに何とか起き上がれる」
きつく巻かれたサポーターが腰を支えてくれるおかげで、何とか布団の上に座る事ができた。
「まだ無理しないで寝てていいよ。痛み止めの薬飲む? 薬飲むなら何か軽く食べた方がいいから、お粥でも作るよ」
そう言って、橘はキッチンで調理器具を漁りだした。
女の家に2人きりで、無警戒に後姿を晒す制服姿の男子高校生。
この時の私は、今の自分がぎっくり腰で良かったと心の底から思った。
そうじゃなかったら、私は後ろから橘に襲い掛かってしまっていた所だったから。
次回もエッちゃん先生回が続く~。
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