主と共に
「ふふっ……」
増えていくハートの数を眺めて、俺は画面のこちらでほくそ笑む。
「よいぞよいぞ」
画面で微笑む俺を見て、世間がハートを叫んでる。
「ふ……。俺のセンスは、世界一ぃ!」
顔のニヤニヤが止まらない。
人に認められた証が積み重なっていく度、俺の自己肯定感は爆上げになる。
『ついでに、俺の株も爆上がりしないかなぁ……』
部屋のカレンダーを見つめて、小さく息をつく。
『バーチャルが、いくら好調だって……俺の生活が変わるわけじゃないしな』
分かりきっているけど、寂しい気持ちが拭えない。
インターネットで、見つけたあの人。
何気なく同じ匂いがして、何となく開いたページの中。
「こんにちはー」
優しい声音の挨拶を聞いて、俺は面食らったものだった。
リアルでそんな風に俺に言葉を返してくれる人はいなかったから。
もちろん、相手にとっては何百回あるうちの単なる一コマ。取るに足らない程度の一瞬。
だけど、俺にとっては一生忘れることのできない、最高の挨拶。
俺に向けられた、俺だけのために発してくれた一言。
ここにいてもいいんだ、と思えた、一言。
あらゆるものに邪険にされてきた俺にとって、その挨拶ひとつが、光だった。
それだけで、俺は背を押された気になった。
まだ、生きていようと思えた。
『こんにちは』ただ、それだけで。
"こんni"
慌てて返答を打ち込むものだから、たったの五文字なのに誤変換で時間がかかる。
『はやく……はやく返さないと相手が困るっ』
"こんにちは"
息も絶え絶えに、五文字を打って送信する。
画面の向こうの君が、楽しそうに笑って、俺のコメントを読み上げる。
「うん、ありがとう。来てくれて嬉しいよ」
……待て待て待て待て!
俺は息を呑んだ。
なんだと!?
今、この人は何て言った!?
『"嬉しい"。そう言わなかったか!? 俺に、会えて、"嬉しい"……だと!?』
来てくれて……来ただけで、"嬉しい"だと!?
『……イカれてんのか』
俺は思わずスマホのあちこちを観察してしまう。
もしかしたら、機械側の故障かもしれない。
『機械は……問題なし』
一通り眺め回したけれど、特に不具合はなさそうだ。
『ということは、やっぱりこいつがイカれてんだな』
「あー、ようこそー。〇〇ちゃん、久しぶり〜♡」
画面の中の話題は、次々移り変わっていき、画面のその人は今、久しぶりに訪ねてきた客人と会話しているようだった。
俺から話題が逸れたことにホッとしつつ、どこか寂しい気持ちも拭えない。
『変なの。こんな気持ちになったことなんてないのに……』
一瞬、頭の中に、とんでもない言葉が浮かぶ。
"もしかして、恋?"
どんな検索をしたら、そんな言葉が返るんだ。
どんな……。
いつも通り、思考を回そうとしたところに、画面の向こうの笑い声が届く。
「あははは。そんなことないって〜」
……。
『なんだ。こいつもおんなじか』
人前で笑って、テキトー言って、上手に人を転がす。
いけすかねぇ、俺みたいなタイプ。
「あれ、そういえば、さっきの方はー? 潜っちゃったかな?」
けっ……さっきから何人も流入してるじゃねぇか。誰のことか、はっきり言えよ。分かんねぇよ、そんなんじゃ。
「あっれー? 何となく長くいてくれるような気がしてたんだけどなー。もういなくなっちゃったかなぁ?」
ど、どうせ、俺のことじゃないしっ。
他に入ってきた、有象無象の誰かだしっ。
「えーと、お名前が……あー、何だっけ? アイコンなら覚えてるんだけどなぁ?」
ふん。人の名前を覚えないとは無礼な奴……。
「なんか、悪そうな人、って感じのアイコンだったー。みんな分かるー?」
ぐっ……。悪そうなアイコンと言われて心当たりは一つしかない。……俺だ。
「あーそうそう。黒灰さーん」
なっ……ななな名前を呼ぶとは卑怯なっ……。
「いらっしゃいますかー、黒灰さーん」
"いますよー"
くっ……、俺のバカ! 呼ばれたら返事をしなければならない習性がっ……。
「あー、よかったー。いらっしゃったんですねー。僕の話がつまんなくて、すぐに出ていかれちゃったのかと思いましたー。あー、焦った〜」
"出ていく時は出ていくって言いますよー。焦らせてごめんなさーい"
いつもとは裏腹に、女性のような口調になってしまう。画面の向こうの、この人の影響だろうか。
「ううん。こちらこそごめんなさーい。僕、多人数回すの苦手で〜」
じゃあ、何で配信やってんだよ! とか、
苦手なことに挑戦するの素敵ですね! とか、
すごい人気者ってことじゃないですか! とか……
言いたいことは山ほどあるのに、言葉にならないっ……。
再び、頭の中に言葉が浮かぶ。
"もしかして、こ……"
うるせぇっ。恋でも鯉でも何でもいい!
俺は、こいつを推しにする!
「何となくですけど〜、黒灰さんは上手そう〜。合ってます〜?」
くっ……合ってる。合ってるよぉ〜!!!
"えぇ、まぁ、そんな感じですかね"
くっそぉ、はっきり言え、俺!
俺の、この、指!
「やったぁ、当たったー。みんなー、ほめてー♡」
グハァッ……か、かわいい。
曖昧に答えたのに、勝手に正解ということにして、あろうことか周りに承認欲求を振りまいている!
かわいいっ!
ほめたい!
"よしよし"
"いい子だね〜"
"えらいえらい"
画面を、安易なほめ言葉が流れていく。
俺はその言葉にイラッとする。
『こいつら、言葉ってものがなっちゃいねぇ……。相手は配信主だぞ? 我らが主だぞ? 主人に向かってそんな口の利き方は……』
「わーい。ありがとーう♡」
『いいんですね、あーるじー!』
こうして、俺は配信をしていた白灰の虜となり、奴隷となり、俺の持てるもの全てを尽くして、応援してしまったのである。
「キャー! 白灰せんぱーい!」
「おい、こら。現実逃避すんな」
白灰のゲンコツが降ってくる。
「イッテ……。何すんだよ!」
「アーカイブじゃなくて、現実を見ろ」
「いいだろ、少しくらい。思い出に浸るくらい!」
「ダーメ! 他の奴に示しがつかん」
「ちぇっ……。配信してたあの頃はあんなに可愛かったのに。あんなにプリティだったのに……」
「何言ってんの。今も変わらず、プリティキュートプリンス白灰だよ。はい、追加の仕事♡」
「……全然、可愛くない」
「君にかかればこの程度、"可愛いもん"でしょ」
「仕事量は可愛いもんだけど、お前が可愛くない。やる気出ない」
「……いつまで夢見てんだよ。今度、ガチ目に可愛い白灰見せてやるから。今はこれ終わらせて♡」
「……へーい」
「ほんとにもー」
そう。今俺は、白灰が立ち上げた会社で、事務作業を手伝っている。
推しが目の前に現れるなんて、なんて幸運!
……と思ったのも束の間、ニコニコ笑う白灰に捕まって、引きずられて、事務管理のポジションにつけられている。
「ここ、アウトー。ここはギリセーフ。えっ……、これは……物凄い金かかりそう……」
次のイベント計画書を見ながら、法律との照合作業を行う。
「うわー……。これ、どんだけの場所と連携するつもりだよ……。逃げたーい」
「黒灰さーん?」
「はいっ、何ですか、主!」
「僕のお願い、聞いてくれるよね♡」
「も、もちろんです!」
心の中でため息をつく。
『推しと共にいられるとはいえ……楽なことばっかじゃねぇなぁ』
だけど。
これは俺が選んだ道で。
少しでも推しの役に立ちたくて、そばにいるわけで。
綺麗なあいつばかり見られるわけではないし、綺麗な俺ばかりを見せられるわけじゃない。
むしろその逆で、互いの嫌なところばかりが目につく日だってある。
大喧嘩だって、数え上げればキリがない。
それでも、共にひとつのことに向かうのはーー。
それでも、共にあろうとしてしまうのはーー。
『きっと、嫌いじゃないから、なんだろうな』
願わくは、あいつの隣にいるのはずっと俺がいい。
推しに願いをかけた俺のように、あいつも俺に願いをかけてくれるといい。
そんなのは大それたことだって、分かっているけど……俺とあいつの世界が重なっている間くらい、共に同じ方を向いて、歩みを合わせて、一歩一歩進んでいけたらいい。
いつか、避けられぬ別れが来る、その時まで。