(3)転校生
「いやー、この時期に転校とかホントないよー。配慮! 配慮が欲しいよね! 十七歳の女子高生の繊細なハートってやつに!」
机に腰かけた諫武は大袈裟な身振りで嘆いてみせた。指揮者のタクトに従うように、集まった生徒から笑いが起こる。一人の女子が「ねえねえ」と声を弾ませた。
「諫武さんのお父さんってどんな仕事してるの?」
「んー、詳しくは知らないけど国外を飛び回ってるよ? リビア、チュニジア、イスラエル、イラク、レバノン、サウジアラビア……。エチオピアでも働いてたっけ? お土産で色んなものが食べられるのはありがたいかな」
「えー、いいなあ。うらやましい」
「まねー。でも、たまにエっぐいの食わされたりもするけど!」
諫武が、おどけて顔を顰めると、周りの生徒はまた笑った。
香助は、三列離れた窓際の席で彼女の振る舞いに感心していた。転校初日の昼休みだというのに、もうクラスに馴染んでいる。教室の片隅で肘を突いている自分より余程打ち解け合っていた。壁を作る気がなければ、無理に距離を縮めようという必死さもないからだろう。内心を表に出さない分別と余裕が、周りに安心感を与えている。話しかけても大丈夫なのだと。
実際、諫武は何を訊かれても嫌な顔をしなかった。当たり障りのない質問には笑顔で応じ、答えにくい話題にはユーモアで返す。場慣れしている、という雰囲気だ。
(それだけ転校を繰り返してるってことか)
一朝一夕で身に着くものではない気がした。正解と不正解。それらを選び取るには経験の蓄積が必要だ。初対面の振る舞いが上手いということは、似たようなシチュエーションを何度も繰り返しているということだろう。
(ご苦労なこった)
そう遠巻きに観察していたら、不意に諫武と目が合った。
何だ、と訝しむ暇もなく、伸びた指先がこちらを差してくる。
「それ深海博覧会でしょ!」
諫武は、ぱっと貌を輝かせ、聞き覚えのあるタイトルを口にした。ぴょんと机から飛び降りると座席の隙間を縫ってくる。面食らう香助の前で屈み、かけていたバッグに顔を寄せた。
「わあー、アカチョウチンクラゲだ。新シリーズに入ってるやつでしょ? 私まだ引けてないんだよねー」
感激を滲ませながら、ぶら下がったクラゲに触れる。それは今朝、三幸来から貰ったものだった。要らないと断ったのだが「同じものを持ってるから」と勝手にバッグに結ばれてしまった。彼女も確か、アカチョウチンと呼んでいた気がするが、よく覚えていない。
戸惑う香助に、きらきらとした目が向けられる。
「好きなの? 深博? 他のは持ってる?」
「……や、別に」
「ニュウドウカジカあったでしょ? 欲しかったけど当たんなくってさー。新シリーズには入ってないんだよね。フリマに上がってるけど高いのなんの。元値の三倍とかボリ過ぎ! あ、そうだシークレットは知ってる? ウミサソリなんだって! ロマンわかってるよねー」
香助は「はあ」と生返事を返した。
弄ばれるクラゲを見下ろし、頬を掻く。
(……流行ってんのか、これ?)
変わり者の三幸来はともかく、女子は気味悪がって嫌厭しそうなものだが。
あるいは、それもまた偏見に過ぎないのだろうか?
狐につままれる心地で、耳元の寝癖を撫でつけた。
同好の士を見つけたという嬉々とした眼差し。その期待に応えて適当に話を合わせられないことはない。しかし場を凌ぐだけの対応が果たしてお互いのためになるものか。
面倒臭さに、息を吐いた。
「それ、人から貰ったものなんだ」
「え、そなの?」
「正直よく分からない。申し訳ないけど」
諫武は「ふうん」とトーンを落とした。しかし、落胆したわけでもなさそうだった。すくと立ち上がって、にかりと笑った。
「じゃあ、今度そのひとのこと紹介してよ。この学校の子?」
「あ、うん。Aクラス」
「女子? 彼女?」
「女子だけど、彼女じゃない」
「君、名前は?」
矢継ぎ早の質問よりも、差し出された手に困惑した。
意味が分からなかったわけではない。馴染みがなかった。都会ではこれがスタンダードなのだろうか? こんな習慣が定着しているなんてネットでもテレビでも聞いたことがないが。
拒絶が無礼に当たることは理解できた。ただ女子の手を握ることに抵抗があった。
だから質問だけに答えた。
「星野香助。夜空の星に、野原の野。香るに助けるって書いて、きょうすけ。星野香助」
「星野香助くんね」
諫武は、あっさりと手を引っ込めた。
「諫武未花。よろしくね星野くん」
嬉しそうに敬礼する。香助は、何をどう返せば良いのか分からなかった。
諫武は、腰に手を当て教室を見回すと、躊躇いなく声を張った。
「ねえ、みんなのことももっと教えてよ! 早くしないと昼休み終わっちゃうよ!」
そして、ひとり読書をしていた女生徒の元へ駆け寄った。人懐こい笑みを浮かべると「あなたのお名前なんてーの?」とおどけた調子で首を傾けた。その女子は顔を赤らめ、小さな声で名を告げる。諫武は「キミ、可愛い名前だね」と気障っぽく褒めると、よろしくと彼女の手を握った。そうしてまた別の生徒に絡んでいく。
(……選挙運動かよ)
呆れ半分、感心半分に頬杖を突いた。諫武は時計回りに教室を巡りながら手当たり次第に声をかけていく。そして彼女が黒板を横切ったとき、ふと目に留まるものがあった。
廊下に人影が在った。
長い黒髪に、感情の読めない瞳。
(あれは、確か)
沫波美月。
三幸来のクラスメイトだ。夜の海を思わせる双眸の先に、はしゃぐ諫武の姿があった。
静と動。
二人の在り方の落差に、夢にも似た非現実感を覚えた。
沫波は、しばし転校生を観察していたが、気付いたら姿を消していた。教室では、諫武と舞踏部の生徒が、ダンスめいた奇怪な動きを披露していた。