奇跡
彼女は奇跡と出会った。
その詩的な表現を疑う者もいるだろう。全ての事象には因果が存在し、一つの結果は起きるべくして起こる。奇跡を謳うなど無知をかどわかす詐欺師の手管に過ぎないと、そう笑い飛ばす者もいるだろう。
しかし悪魔は既に死んだ。不確定性原理の台頭によって前世期にはその役割を終えたのだ。一つの原因は一つの結果を生まない。一なる結果が導き出されるには、ありとあらゆる偶然の手引きが必要であることは観測によって裏付けられている。故に、彼女の身に起きた出来事を奇跡と呼ぶことも、決して大袈裟なセンチメンタリズムなどではなかった。
地球の人口だけを考慮に入れても七十五億分の一。加えて気紛れやタイミング……たとえば、とある国のとある家庭で、不機嫌な妻が、夫の稼ぎの乏しさに愚痴を溢さなければ早朝の夫婦喧嘩は起きなかった。犬も食わぬ言い争いが一分でも早く、あるいは一分でも遅く終わっていたとしたら漁師である夫が海に網を投げるタイミングは変わっていただろう。彼の仕事が不漁に終わっていたとすれば、その魚が観賞魚として地球の裏側へ輸出されることもなかったはずだ。また、変わり者の父親が、その珍しい魚の味に興味を示さなければ、彼女の家の食卓に珍魚の刺身が並ぶこともまたなかった。観賞魚はただの観賞魚として、快適な水槽の中で短くも平穏な一生を終えていたことだろう。
数多の偶然が複雑に絡み合い、一つの結果を……奇跡をもたらした。そして、その奇跡が当人に致命的な害を及ぼすとき、こう呼ばれる。
不運、と。
それが最初に引き起こしたのは腹部の痛みと吐き気だった。彼女がその不快感を女性特有の生理現象だろうと煩わしく感じている間にも、それは彼女の腸から血管へ移動し、血流に乗って脳へ侵入した。数時間後、彼女は自室の床に伏せ、割れんばかりの頭痛に悶えていた。助けを求めることすらままならず、激痛に体液を垂れ流し、フローリングを爪で引っ掻いた。彼女は、異変の原因が、父がどこからか持ち帰ってきた魚に在ると思い至ったが、時間を巻き戻すことは叶わなかった。身を捩り、痙攣と嘔吐を繰り返しているうちに、今度は猛烈な眠気が襲ってきた。同時に痛みを感じなくなったのは、刺激を認識し、処理する機能が奪われたからだった。彼女に残されたのはほんの僅かな意識だけだった。夢を見ている状態に近かっただろう。だから自分が寝間着姿のまま深夜の町を徘徊していることも理解できていなかったし、両腕の肘から先が異形の触手に変形していることにも、何の恐怖も感じなかった。
彼女は漂っていた。
暗い、暗い、海の底を、独り、孤独に。
やがて暗闇に影が見えた。それが餌となる小魚なのか、残業を終えて一人夜道を帰宅する会社員なのかも彼女には判別できなかった。彼女は腕を翳し、ぽかんと口を開ける女性を抱き締めた。撒き付けた触手の力で背骨が砕ける音が耳に届くことはなかった。代わりに誰かの声が聞こえた。彼女は、誘われるまま天を仰いだ。
海の底からは、満天に輝く星空が見えた。