リーゼ村ー1
――すがすがしい日差しで目を覚ました。
「……朝か」
アトライアスは身体を起こし、髪をかき上げる。
魔王と言えど、寝起きは睡魔との戦いだ。早朝であるため、余計にそうだろう。
現在アトライアスは休暇中、だが、朝は大体決まった時間に目が覚める。困ったものだ。
「……ん? ……ああ、そうか。そうだったな」
この建物を含め周囲にあるもののボロさに違和感を抱くが、何より違和感があるのはこの身体だ。やけに小さく、脆く思える自らの肉体。
「もう1週間は立つというのに、未だに馴れんな。この脆弱な肉体には……全く、これで魔獣と戦えているのだから、私も大したものだと思うよ」
思わず自画自賛してしまうアトライアス。しかし、それも仕方のないこと、それぐらい、アトライアス自身の肉体と比べると、人の肉体には差がある。――もっとも、シュヴェリアの肉体も普通の人間と比べれば、はるかに強固ではあるのだが。
「それにしても1週間か……」
ふと、アトライアスは、この1週間のことを振り返った。
――1週間前、アトライアスはシュヴェリアとなり、リーゼ村を訪れた。そこで魔獣の襲撃騒ぎに遭い、放って置けず手を出したわけが……今思えば、それがよくなかった。
すっかり、この村ではシュヴェリアは英雄扱い。特に行き先がないと知れると、村人たちに村にとどまるように言われてしまう。
確かにアトライアスとしては村の生活実態を調査したかったわけだが……何とかなくこの流れはよくないだろう、ここは理由を付けて断ろうと考えた。
だが、何故かここでクレハに懇願されてしまう。
彼女は一体何を思ったのだろうか? とにかく、「是非、この村にとどまってください」と引き止められ、意思が揺らいだ。
結果、この村の実態調査という名目でアトライアスは自身をごまかし、この村に1週間も居続けてしまった。
「ふむ……生活実態の調査は勿論しているのだが、こういうのは幅広くやらねば意味がない。あまり1つの場所、それも、村などと言う限定的な範囲で調査を長く続けるのは有意義ではないのだが……」
解っている。だが、あの少女のことを考えると、どうにも出ていくとは言いずらい。
完全に、初動を誤った。
「何かいい案はないものか……ん? そうだ。クレハに近くの町の案内を頼めばいいのではないか? それならこの村にとどまったままでも広く調査が出来るというもの。
――ウム、そうだな。それがいい!」
名案を思い付いたように握りこぶしの下方で手のひらを叩く。が――
「……いや、待て、何故、クレハありきで考えているのだ私は? 別に私一人で出向けばいいだけの話、彼女を付き合わせる理由がない。
まあ、確かに、地理に詳しいものがいてくれた方が助かりはするが……どう考えても、私はそう言う理由で言っていない」
では、どういう理由奈のか?答えはとっくに出ているが、あまり認めたくない事実なので、アトライアスは気づかないふりをした。
「……は!? そういえば、『本会議』はいつだった??? まさか、すっぽかしてはいないだろうな!?」
慌てて、空間魔法を行使して、予定帳を引っ張り出した。
「あれから1週間だから――」急いで、スケジュールを確認した。まだ数日余裕があった。
「…………いかん、いかん。忙しさと目新しさにかまけて、本来の仕事を忘れていた。こんなことでは『アグゼム』の奴の何を言われるか解ったものではないな」
手帳をしまい空間魔法を閉じる。何故か大きなため息が出た。
「……まあ、急ぐ旅でもない。気が済むまでこの村に居てもよかろう。何かしら拠点があった方が便利なのは確かだ。付近の村や町の調査を同時並行で行えば無駄も少ない。
……そもそも、私は休暇中なのだ。どのような過ごし方をしようと、誰が文句を言えようか?」
やや身勝手な理由を並べて布団の上で立ち上がる。上半身裸のため、筋肉質な肉体であることがよく解る。
「よし、シュヴェリアになるとしよう」
付近に散らばった装備をかき集め、アトライアスはシュヴェリアとして装備を整えた。
「お早うございます、シュヴェリアさん!」
つい最近まで空き家だったその家を出ると、少し遠くに見覚えのある少女の姿があった。
少女はこちらに気づくと駆け足で近づき、後ろで手を組むと、満面の笑みを浮かべて挨拶の言葉を投げかけて来た。
「あ、ああ、お早う。クレハ」
ほほえましい笑顔に、動揺しながらもシュヴェリアは挨拶を返す。
(この少女は誰にでもこういう態度なのだろうか……?)
無邪気と言うか、無防備と言うか、それでいて、妙に距離感が近い。年頃の男なら、自分に気があるのでは? と勘違いしてしまいそうだ。
会って1週間程度のどこの馬の骨とも知れない剣士にこの態度ならおそらくそうなのだろうが……少しばかり心配になってしまう。
たかだか人間の少女一人、どうなろうと魔王であるアトライアスの知ったことではないはずだが、善良な人間が、それも多少なりとも面識を持った少女が酷い目に遭うのは少しばかり心が痛む。「私が護ってやれねば」少しはそんな気になっても仕方がないのではなかろうか?
(まあ、彼女が気になる理由はそれだけではなのだが……)
シュヴェリアは自分の感情がクレハに伝わらぬように平静を装うと、寝泊まりしているボロ屋を背に歩き始める。
「毎度毎度すまないな」
「いえいえ、とどまっていただく様にお願いしているのはこちらですし、なんといったって、シュヴェリアさんはこの村の英雄なんですから、このぐらいのことは当然ですよ」
毎朝のように交す会話で場を和ませつつ、一軒の家を目指す。
目指しているのはクレハの家だ。
ここに来てからと言うもの、シュヴェリアの生活はクレハの世話になりっぱなしになっている。もっと具体的に言うと、クレハの家で3度の食事を提供してもらい、彼女の家が所有していた空き家を無償で使わせてもらっている。
勿論、金銭を払うとは言った。だが、結果的に2度もクレハの命の恩人となったシュヴェリアに、あの祖母やクレハがそんなことをさせるはずはない。何かと理由を付けて断られた。
――そう今、彼女は朝食の準備が出来たことを知らせに来たわけだ。
(大して裕福でもないというのに、なんと義理堅いことか……もはや、献身的と言えるな)
結果、言ってしまえば『ひも男』のような状況で彼女の家に居候しているシュヴェリアに言えることではないのだが、家計は大丈夫なのか嫌でも不安になって来る。
調査の結果、この村の生活水準は他の村と比べて、まあ、平均以上だと言えるだろう。村としては比較的裕福で、生活に余裕があるようだ。恐らくは付近を森に囲まれ、森林資源が豊富、土壌が豊かで、作物がよく育つと言った点もあるのだろう。シュヴェリアの持つデータと比べてまずまずの経済状況と言える。食扶ちが一人ぐらい増えても問題はない。
ただ、この少女の家は少し例外だ。ギリギリの生活と言うほどでもないが、他の家に比べてやや経済的に問題がある。理由はというと――
「おねぇちゃん、お帰りー」
「ただいま、ミウ」
「押す、シュヴェリア」
「レント!! シュヴェリアじゃなくて、シュヴェリアさん!」
この2人の幼い兄妹と祖母の他に彼女に家族がいないという点にある。
(やれやれ、他人の世話をしている場合ではないだろうに……)
シュヴェリアは呆れつつも、食卓に着いた。
「シュヴェリア殿もう、村には慣れたかの?」
幼い兄妹が騒ぐにぎやかな食卓。人間の食事風景とはこういうものなのだとようやく慣れて来た。そんな2人を注意し、世話を焼くクレハの姿を見ながら、朝食をとる。すると、彼女の祖母がゆっくりとした口調でそう問いかけて来た。
「メイア殿。ああ、おかげさまで、な」
シュヴェリアが答えると、メイアは「それはよかった」と皺を一層深くして笑った。
「何にもない村で、シュヴェリア殿のようなお方には退屈かとは思いますがな」
「そんなことはない。異国の文化に触れるのも旅の醍醐味。楽しく過ごさせてもらっている。
むしろ、こうして見知らぬ土地で出会いに恵まれたことに感謝したいぐらいだ」
一応、社交辞令というものは知っているつもりだ。否定的な言葉は避けて返答を返す。
まあ、全部が全部嘘でもない。多少大げさに言っているだけだ。問題はない。
「私の事よりも、そちらは大丈夫なのか? 私のような大の大人の男が食扶ちとして一人増えるのは何かと問題があるだろう?」
いい機会と、心配していることを口にしてみる。
メイアは首を振った。
「何、大した問題はない。皆もお前さんが家におるのを知っておるしの?」
「?」
シュヴェリアが首をかしげると、弟たちを注意していたクレハが割って入って来た。
「皆、シュヴェリアさんがうちに来てから、野菜とか果物とか、色々もってきてくれているんです。うちがあんまり裕福じゃないのは周知の事実ですから……」
苦笑いを浮かべるクレハ。そんな彼女を注意するようにメイアが続ける。
「これ、そういう言い方をしてはいかん。シュヴェリア殿が気にするであろう。
…………もっとも、確かにそういう面もあるのじゃろうがの。多くはシュヴェリア殿に何かしら恩返しをしたいと思っての事じゃろう」
なるほど、納得がいったように頷くシュヴェリア。毎度毎度それなりに豪勢な食事を出して来るものだからおかしいとは思っていたが、これで納得がいった。
この祖母と孫だ。村の英雄のためにと周囲の人間持ってきたものに自分たちが手を付けようなどとは微塵も考えないはずだ。持ち寄られたものをそのまま食事として出していたのだろう。
(ずいぶんなお人好しの集まりだな、この村は……)
なんだかおかしくなり、ついほほ笑んでしまう。
「シュヴェリアさん?」
その微笑みを見逃さないクレハ。シュヴェリアは思ったことを口にした。
「あはは、この村の人は皆いい人ですから」
すると笑顔で当然のようにいうクレハ。確かに、そういう人間の集まりならば、こういう少女が一人や二人いてもおかしくはない。
なんだかよくわからない温かさが食卓を包んだ。
「……とは言ったものの、皆も、多少は下心もあるんじゃろうがな……」
しかし、メイアの放った言葉で、その空気が揺らぐ。
「下心?」
急に伏せたクレハに尋ねるシュヴェリア。クレハは少し考えたのち――口を開こうとした。
「メイアばあさん、いるか?」
その時、玄関を叩く音が響く。
引き戸を開け、一人の老人が入って来た。
「ああ、悪い、食事中だったか?」
一人の初老の男が入って来る。
「ゲンさん、どうしたの?」
クレハが初老の男に尋ねると、男はシュヴェリアを見て軽く頭を下げたのち、
「…………連中が出やがった」
重い口を開いた。