魔王アトライアスー1
――Y.D 826年 イルミア大戦終結から約100年後
「――なるほど、どうやら、人間界各所の状況はおおよそ先月と変わりなし、ということで問題なさそうだな」
何か反論のあるものは居るか? という視線を周囲に向けた会議の進行役の言葉に集まった者たちは無言の頷きを返した。
地上に佇む巨大な城の一角、広々とした大きな会議室は不気味な中にもどこか神秘的な様相があり、おおよそ人間の作ったものとは思えない。
それはそうだ、ここに入り込むことの出来る人間など、もはやこの地にはいないのだから。
ここは今の人間界を支配する悪魔たちの巨城。地上での悪魔の本拠地にして、支配者『魔王アトライアス』の居城でもある、二―ベルン城だ。
今、ここで行われているのは悪魔たちの会議。支配者となった主に代わり、それを任された精鋭の将たちが人間界各所の状況を把握しあっていた。
「――では、“現状おおよそ問題は無し”と言う方向で陛下には定時連絡を上げさせていただくことにしよう。各所で起こっている小さな問題は担当の魔将の判断で対処するように通達してくれ。
……くれぐれも、陛下の意に反するようなことがないように、な」
静かに目線で訴える会議進行役の悪魔――カエリウスの視線に集まったものたち全員が深く頷いた。
この会議は『3魔将』と呼ばれるアトライアス軍内では魔王に次ぐ3名と、27名の魔将、その中でも高位の『7将』と呼ばれる7名のみが参加を許される、組織内では御前会議に次いで格式の高い会議だ。その実力、忠誠心、に疑う余地がない。少ない言葉でも十分に周知が行き渡る。
「では、これにて、今回の会議は終了だ。各自、持ち場に戻れ、直ちに陛下のために尽力しろ!!」
全員の迷いのない頷きを見たカエリウスが力強く叫んだ。広々とした会議室に、全員が立ち上がり、敬礼を示す音が響く。
『アトライアス陛下に繁栄と栄光を!!』
合言葉を残して、多くの将たちが足早に部屋を出ていく。
実に洗練された組織力だ。カエリウスはその様子を見て、自らの主の力をいつも再確認させられる。
この完璧と言ってもいい組織力はアトライアスの優れた統率力なくして生まれなかっただろう。悪魔など、大抵は野心を抱えているものだ。強き者に従おうとも、それは所詮一時しのぎに過ぎず、隙あらば自分が取って変わろうと模索しているのが普通だろう。
「おうおう、相変わらずうちの連中は迷いがねぇなぁー」
感慨深く、部下たちの様子を見ていると、隣に立っていた男が椅子に再び腰を落とし、豪快に笑う。
「ガウル――珍しいな、お前がそんな、感慨に浸るようなことを言うのは。久しく、この城を離れていた所為で懐かしくなったか?」
カエリウスがからかう様に言うと、ガウルは不機嫌そうに鼻を鳴らした。大柄な狼男のようなその姿は、人が見たらそれだけで足を震わせてもおかしくない。今の仕草ならば、きっと死を覚悟するほどの衝撃を受けたことだろう。
「ほほーう。お前さんでも、ホームシックにかかるんじゃのう? 正直、意外じゃて」
カエリウスのたちのやり取りを見ていたもう一体の悪魔が机に腰を落とし、足を組んだ。着物を来崩した妖狐、その姿は実に美しく、妖艶だ。やや褐色でスタイルの良い肉体も相まって、並みの精神力の男なら、瞬く間に言いなりに出来るだろう。
「チィ、うるせぇ女狐だな? 食われてぇのか?」
しかし、ガウルにはそんな色仕掛けは通用しない。ガウルは不機嫌度MAXで妖狐を睨み返す。
「おや、おかしいのう? 確かお前さん、前はわらわのような女子は趣味でないと言っておらんかったか?」
「そっちの食うじゃねぇよ!!」
妖狐はガウルの言葉の意味を理解しながらも、あえてからかうような回答を続ける。
着物の袖で口元を隠し、耳を動かしてとぼける姿を見てカエリウスはため息を吐く。
「翁姫! てめぇ、その相変わらずの――!!」
「やめろ、ガウル。からかわれているのが解らんのか?」
「ああん?」
荒ぶるガウルをなだめ、そんな彼を更にからかおうとする翁姫を戒める。
この日常のように起こる2人の揉め事を収めるのもカエリウスの役回りだ。
アトライアス軍のNo2であり3魔将の実質的なリーダーであるカエリウスの当然の役目と言ってしまえばそこまでなのだが……
「全くお前たちは毎度毎度、飽きもせず――」
「ケッ――!」
「ホッホッホ」
毎度毎度、顔を合わせるたびにこれではやっていられない。
カエリウスは大きく息を吐くと、悪態をつくガウルと陽気な翁姫を会議室に残し、会議室を出る。
会議の終わったカエリウスにはある特別な役目があるためだ。
じゃれ合いもほどほどにするよう2人に釘を刺して、自身は王のいる玉座の間へ。
魔王アトライアスに今回の会議の結果を伝えに向かう。
神殿のような造りの神秘的な石造りの廊下を歩くカエリウス。
すると信じられない光景が目に入って来た。
「…………は?」
ザッザッ……、と箒で廊下を無心で掃く一体の悪魔とその様子を呆然と見守るメイドの悪魔たち。
これらの役回りが逆なら、あるいは廊下を掃いている悪魔が新入りの見習いならば、カエリウスもこんなとぼけた声を上げなかったのだが。
「へ、陛下ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
廊下を掃いている悪魔の姿を再度確認したカエリウスは悲鳴に近い絶叫を上げた。
「何をなさっているんですかぁぁぁぁぁぁ!!」カエリウスのあまりの叫びは城中に響き渡り、比較的近い場所であった会議室のガウルと翁姫を呼び寄せる。
「? ああ、カエリウスか。どうした。そんな声を出して」
何食わぬ様子で悲鳴を上げたカエリウスに反応を返す、掃除をしていた悪魔。周囲のメイドたちがカエリウスの叫びを聞いて、おどおど感をさらに増したことにも気づかずその手は掃き掃除を続けている。
「へ、陛下、一体何を!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?」
「ん? 見てのとおり掃除だが?」
そんな何度も言わなくても聞こえていると言わんばかりに応える悪魔。
やがて駆けつけたガウルと翁姫もやって来るなりその光景に唖然としていた。
――無理はない。今目の前で掃き掃除をしている悪魔こそこの城の主、彼らが忠誠を誓いし大悪魔。魔王アトライアス=S=ガルムベルトだったのだから。
「な、何故陛下が掃除など……お前たち、これは一体どういうことだ!!」
すぐさま側にいたメイド2人を叱り飛ばすカエリウス。
メイド2人が申し訳なさそうに何度もカエリウスに頭を下げる。
「こらこら、カエリウス、そう頭ごなしに怒鳴るな。お前にそんな風にされては彼女たちも気が気ではないだろう?」
自分の立場を理解しろ、そう言わんばかりにカエリウスに注意するアトライアス。
「は? ……ゴホン、――は! ですが、陛下に掃除をさせるなどと……」
「そうだぜ、大将、これは大問題だ!!」
「愛しの陛下にこのような……貴様ら、万死に値すると知れ!!」
ようやく目の前の事態に処理が追いつき、会話に加わるガウルと翁姫。口々に攻撃的なセリフを吐き出しいきり立つ3魔将に、メイドたちは顔を真っ青にしながらペコペコと高速で頭を下げる。自分たちがとんでもないことをしていることを彼女たちも解っているのだ。
「まてまて、お前たち、少し落ち着け。私は彼女たちに押し付けられて掃除をさせられているのではない。自ら進んで掃除をしているのだ」
「勘違いするな」とばかりに仲裁に入るアトライアス。
3魔将たちが顔を見合わせる。
「うむ、私の今日の仕事はもう終わったのでな。何かすることがないかと城内を回っていたのだが……あいにくとお前たちは会議中、魔将たちもみな拠点に出払っていて、仕事をもらう当てがない。暇を持て余した私はそれならと――」
「まさか、御公務の代わりにメイドたちの仕事を――」
頷くアトライアス。呆れたカエリウスは愕然とした。
「――陛下? よろしいですか?
一体どこの世界に、御自分が暇だからと言って、メイドの仕事を奪う魔王がおられのですか?」
「む? 駄目か?」
「駄目に決まっています!!」
即答するカエリウスに、アトライアスは「むう」と難色を示した。
「別によいではないか、そういう魔王が――」
「いては困ります! 少なくとも我れらが主がそんなことでは困ります。配下の者に示しがつきません!!」
「そんなことは……」
「そもそも、何故、仕事がないからと言って仕事を探すのですか? 御暇なら御暇で、よいではありませんか!! 陛下は魔王、今や、この地上の支配者なのですよ!!」
「御解りですかりですか?」と迫りるカエリウスにたじろぐアトライアス。
カエリウスに頷く様にガウルも続ける。
「大将、大将は俺らの親玉なんだ。どんと構えてりゃぁいい。仕事なんて部下に投げちまって、毎日女遊びに明け暮れてたって問題ないくらいなんだぜ?」
「そうですとも、御呼びとあればこの翁姫、毎朝でも毎夜でも、陛下の元にはせ参じ――」
「――なくてよい!」
話がそれると、釘を打つカエリウス。着物をゆるめ、肩を出そうとしていた翁姫が「むう……」とむくれた。
「陛下、立場をお考えください。陛下はこんなところで掃き掃除をなさっていていいお方ではないのです」
「うーむ……」悩まし気に傾げるアトライアス。カエリウスはここぞとばかりに畳みかける。
「おい、お前たち! お前たちもお前たちだ!! いくら陛下に頼まれたからと言って、陛下に自分の仕事をさせるとは何事だ!!
この二―ベルン城の清掃は誰の仕事だ!!
お前たちもアトライアスの名のもとに働く悪魔なら、己の仕事に誇りを持て!! 例え、陛下であろうとも、仕事を奪われるな!!」
「は、はい!!」2人のメイドは姿勢を正し返事を返すと、「申し訳ありません陛下!」と叫びながら、アトライアスから掃除道具を奪い取り去っていく。
「あ、待――!」
アトライアスが呼び止めるより早く、その場から去っていくメイドたち。
「……むう」
仕方がないとばかりに肩を落とすアトライアス。
「やれやれ」とばかりに、カエリウスは息を吐き、本来の仕事――アトライアスに会議の結果を報告した。
「陛下、何かご意見がありましたら――」
「特にないな。ご苦労だった」
「は!」
「……そうだ、だがな」
「何か?」
「もう少し長けの長い箒も必要だ。備品に手配しておいてくれ。備え付けの箒は私には少し短すぎて――」
「……陛下…………」
ここからまた数分。カエリウスによる“魔王とは何か”と言う講義が始まった……