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単発物語

ぼくのマフラー

作者: 0

短編第三弾です。


「ばぁか」


 目の前を歩くクラスメートの彼女は、そう言って寂しそうに笑った。


 たまたま一緒になった僕と彼女の学校からの帰り道。


 冬の冷たい風が、先を歩く彼女の長い濃紺の髪をさらった。

 冷たさで耳がいっそう痛くなる。

 さらわれた髪にの間から見えた彼女の耳は赤くなっていた。

 きっと僕もそうだろう。


 面と向かって悪態をついてくる彼女は、ほんとうにかわいくない。

 それは比喩的な意味でだが。


 彼女の容姿は、客観的にも整っていた。

 目鼻がぱっちりとした左右対称の顔。

 肩甲骨のあたりまで伸ばした綺麗な濃紺の髪。


 認めるのは悔しいけどかわいい。

 かわいい、というよりは大人びていて、綺麗という言葉ピッタリかもしれない。

 でも、そんな言葉は言ってはあげない。


 そんな彼女の笑いは、嘘で塗り固められていた。

 それがわかってしまう僕も、彼女とは同類なのかもしれない。

 その笑顔はまるで鏡で自分の負の部分を見せつけられているようで、ときどき自己嫌悪に陥りそうになる。


 だから、その笑顔だけは本当にかわいくない。

 ついでにその言葉も。


 無言で見つめ合う僕たちの間を再び、冷たい風が通り抜けた。


 結局、彼女に僕は何も言い返すことはできなかった。


 凍て風が身にしみる通学路。

 高校生生活で迎えた二度目の冬。

 二度目だろうが、何度目だろうが寒いものは寒い。


 風があたる面積が少しでも減るように、僕はマフラーの位置をなおした。

 マフラーをしていても寒いと感じるので、マフラーのない彼女にはもっと寒いことだろう。

 それとも、彼女は寒くないのだろうか。


 彼女が僕を見つめている。


 とりとめもないもないことを考えて、それを尋ねてみようか思ったが、僕はそんなことも聞くことはできずに、ただ覆われたマフラーの下で愛想笑いを浮かべた。


 その後の二人の間に言葉もなく、ただ帰路につくのであった。

 


「ばか」

 今日も彼女は僕に向かってそう言った。

 その言葉に僕は言い返すことはせずに、いつものようにただ愛想笑いを浮かべた。


 僕たちが通うカーヴェア高校の放課後の教室。


 冬の寒さに立ち向かうべくマフラーを首に巻いた僕であったが、空調の効いた教室の居心地はよかった。

 空調の沼であった。

 僕たちだけではなく、クラスメートのほとんどがその沼にはまっていた。

 彼らもまた教室に居残って思い思いの話に花を咲かせている。


 振り返れば、彼女と出会った日から悪態をつかれてばかりな気がする。






 高校の入学式で彼女の存在をはじめて知った。

 当時まだ何も知らなかった僕は、自分が中学生のときに想像していた女子高校生が、僕の想像の中から飛び出してきたようだとすら思っていた。


 愛想笑いでその場を乗り切り、事なかれで生きてきた僕には親しい人間関係がなかった。

 そんな僕は、できれば彼女とお近づきに慣れたらいいな、と他の生徒と同じ考えをもつその他大勢の一人。


 ただその他大勢とは、二つの違いがあった。


 一つは、彼女と僕が同じクラスであったということ。

 もう一つは、僕の出席番号が、彼女よりも一つだけ前であるということ。


 窓際最後列の彼女と、その一列まえに座る僕が言葉を交わし始めるのは、当然のことだったのかもしれない。


『――やんごとなき家柄の人だったりしない?』


 自己紹介の流れで尋ねた僕の間の抜けた質問に、 

「ばか?」

 彼女そう言って呆れた、それでいてどこか楽し気な視線を返した。


 その視線に僕の顔はあっという間に赤く染まった。

 それを見て余計に笑う彼女。

 いっそう僕の顔が赤くなった。

 振り返ってみれば、これが彼女が僕に向けた最初の悪態だったのかもしれない。


 喋ってみたら彼女は、僕の想像よりがさつで乱暴で、何より口が悪かった。

 勝手にお姫様な彼女を想像していた僕は少々面食らったが、あまり社交的でない僕には、それが心地よかった。

 隣に座るクラスメートより、僕と話すことが多かったことから、彼女も僕のことを憎からず思ってくれていたと思う。


 彼女の人となりを知ると、直ぐに彼女に勝手に期待して、勝手に失望した自分を恥じた。


 入学してから最初の席替えまでの一か月間、僕たちはたくさんのことを話した。

 一対一で話すことは苦じゃないけど、複数人と話すことが苦手な僕。


 不幸なことに最初の席替えから二年生になるまで、僕と彼女の席が並ぶことはなかった。

 それを不幸と呼んでしまえるくらいには、彼女の存在に僕は惹かれていた。


 それは少し残念だったけど、彼女は人気者で、僕は日陰者で。

 そうなることも時間の問題だった。

 むしろ、最初の一か月間彼女を独占できていたことを感謝するべきだったのかもしれない。


 授業で話すことはあっても、以前のように彼女と個人的な話しで盛り上がったりはしない。

 彼女は人気者だったから、その隣には常に誰かがいた。

 教室が盛り上がるとき、その輪の中心にはいつも彼女がいた。


 彼女から話しかけてくれたが、あまりうまく言葉を返せた記憶がない。

 僕の記憶には不満そうな彼女の顔と、彼女がその度に呟く「ばか」という二文字の言葉だけがやけに残っていた。


 それに僕が返すのはいつだってつまらない愛想笑いだった。


 二年生になって、割り当てられたクラスに行くとそこには彼女がいた。

 また僕の一つ後ろの席だった。今度は最後列ではなかったけれど。


 彼女は積極的に話しかけてくれたので、一年生のあの時のように二人でたくさん話した。

 久しぶりに彼女と話すのは楽しかった。


 そこに愛想笑いは必要なかった。


 でもこの頃には、彼女のその笑顔に、嘘が張り付いていることに僕は気がついてしまった。






 過去を振り返っていた意識が現実に戻ってくると、彼女の不満そうな瞳が、僕の顔を射抜いていた。

 への字に曲がったその唇が彼女の内心を教えてくれた。

 気もそぞろになっていたのを見抜かれてたのだろうか。ちょっと気まずくなって僕は彼女から目を背けた。

 

 僕は冷汗でマフラーを湿らせていると、彼女は居残っていた他のクラスメートから声をかけられた。

 助かった、と密かに胸を撫で下ろした。


 視線の先では、今日も嘘をばらまく彼女。

 クラスメートの話に彼女は嘘を返す。嘘ウソうそ、嘘ばっかり。


「かわいくないな」

 マフラーの下でポツリと呟いた僕の発言。


「――ねぇ、今なんて言ったの?」

 その言葉は、教室に残っていた耳聡いクラスメートの一人により、意図しない形で取り上げられてしまった。


 その結果、僕の発言は炎上した。それはもう大炎上であった。

 当事者の彼女よりも外野が盛り上がっていた。


 盛りあがる周囲を諫める彼女。

 しかし、一度熱をもった外野は止まらない。

 これが僕が複数人で話すことを苦手とする理由であった。

 それを当事者として、まざまざと見せつけられる。

 皮肉にも、彼女の声を聞いているのは僕だけだった。


 暇に飽かせて、おもしろがったクラスメートたちによって、他のクラスメートにも飛び火した。

 それはもう揶揄(からかわ)れた。

「よっ、カーヴェア高校一のイケメン」

「イケメン(笑)でしょ」

「どの顔が言ってるんだよ」

「ほんとよね」


 彼らのどこまでが嘘でどこまでが本当か、僕にはわからない。ただ、

 僕にはそのすべて本当にみえた。


 弁明の機会もなく、仮にあったとしても、大勢の前でそれをする勇気も僕は持ち合わせてはいなかった。

 僕に唯一できたことは、愛想笑いが崩れる前に、口元を隠すように首に巻いたマフラーの位置を調整することだけであった。


「あーあ、泣いちゃった。かわいそう」

「女の子を泣かせるなんて最低ね」


 盛りあがるクラスメートの奥に立つ彼女。

 その頬には一筋の雫が伝っているのが見えた。

 彼女の涙に、ますます盛りあがるクラスメート。


 僕の頭は真っ白になった。

 その後どうやって家まで帰ったのか記憶にない。


 ただその日、僕は家で枕を濡らした。



 僕が放課後に盛大に揶揄(からか)われてから、一ヶ月が過ぎた。

 あれから彼女と会話する機会は、ほとんどなくなっていた。


 あの日散々囃し立てた生徒たちも、それから数日は騒がしかった。

 しかし、その翌週には彼らの関心はすっかり他へと移っていた。ただ、僕を除いて。


 僕は彼女を避けるようになった。

 怖かった。

 また大勢に揶揄(からか)われれることが。彼女に確認することが、僕が彼女を傷つけたかどうかを。

 わからなかった。

 彼女にもしそうだと言われれば、その時、僕はどういう顔をすればいいのか。


 臆病な僕は今日も肩を落として、学校から家への帰路につく。

 この一ヶ月で冬の寒さが和らいできたが、まだ僕はマフラーは手放せないでいた。


 下を向いて、とぼとぼと一人で歩く、惨めで哀れな僕。


 校舎が見えなくなるほど学校から離れたとき、僕の視線の先に誰か立っているのが見えた。


 僕が顔を見上げ、

「あっ……」

 自分でも情けないと思う声が漏れた。


 そこに立っていたのは、しかめ面を浮かべた彼女であった。


 気づかなかったフリをして、今すぐに逃げ去りたい衝動に駆られた。

 しかし、彼女のその目はまっすぐに僕を見つめていることに気がついた。

 その瞳からは逃げられなかった。


 僕は一つ唾を飲み込んで、

「ご、ごめん」

 僕が真っ先にそう謝ると、彼女はただその理由を尋ねた。


 彼女は不機嫌そうな様子を隠そうともしなかったが、それでも理性的であった。


「かわいくない、って言って……でも、君の容姿のことを言ったわけじゃないんだ……。その、君の容姿が整っているのは、ほら、言わなくてもわかることだろ?」


 なんだか彼女の機嫌がちょっぴり良くなったように見える。

 視線の先で、ふふん、とその胸を張っていた。


 僕は言葉を続ける。

「その、さ……。君の愛想笑い、僕は好きじゃないんだ……。愛想笑いばかりしている僕が、人のことを言えた義理じゃないんだけど……」

 尻すぼみになる声。


 本当にどの口が言っているのか、と。


 ただ、その愛想笑いを続けた結果が僕だ。

 もちろん、彼女みたいな魅力的な人間が、愛想笑いを続けたからといって、僕みたいなコミュ力落伍者になるわけはない。

 だから、これは僕の願い(エゴ)だ。


 ――彼女には輝いていて欲しい。


 どうやらまだ恥をかき足りなかったようだ。

 僕は彼女が彼女らしく輝き続けることを期待している。


 そんな彼女をいつまでも近くで見ていたい――と。



 ここまで思考を纏めて、突然僕は気がついた。



 僕の彼女への思いに気がついた。

 ――いつまでも(・・・・・)


 それはまるで雷でも打たれたかのように突然で、大きな衝撃であった。


 とんだ間抜けが見つかった。今の今まで気がつかなかった。

 いや、気がついていないフリをしていただけなのかもしれない。


 僕は彼女を前にして絶句する。


 なんてことだ。なんてことだ――!


 その想いに名前をつけてあげると、それはあっという間に理性を支配した。


 こんなことを言うつもりはなかった。

 その想いに気がつかなければ、それはそのまま時間と共に風化していたことだろう。

 社会に出て、卒業アルバムを眺めながら高校生時代を振り返った時に、彼女の名前にその目を止めて、「あぁ、そんなこともあったな」と。

 その想いは、彼女の名前と共に青春の一ページとして刻まれておしまい――おしまいになるはず(・・)だった。


 でも、もう止められない、止まらない。


 突然固まった僕を怪訝そうに見つめる彼女は、僕の中の荒れ狂う感情なんて毛ほども知らず、不用意にその距離を詰めた。


 その想いを自覚してしまった僕は、たったそれだけのことで、もうどうにかなってしまいそうであった。


 口を開くには僕という僕の中から、ありったけの勇気を振り絞らねければならなかった。


 ただ衝動(ねつ)が僕を突き動かした。


「あ、あの、さ……」

 声が震えるのを、足が震えるのを我慢できない。

 声も少し裏返っているかもしれない。


 雰囲気もへったくれもない。ただのおもいつき。

 なけなしの理性が頭の片隅で何かを叫んでいる気がする。

 ただ、僕の中の新しく名前を与えられた想いは、それに耳を傾けるほど待ってはくれなかった。


 何を言うべきか、何を言ったら喜んでくれるかなんてわからない。

 燃えているんじゃないかと錯覚するほど熱を持った体からは、汗がとめどなく溢れ、マフラーを湿らす。

 かなぐり捨てるように、僕は首に巻いていたマフラーを取った。


 一度深呼吸する。新鮮な空気を体に取り込む。


 愛想笑いは――しない。


 真剣な表情で彼女を見つめると、

「は、初めて会った時から。初めて見た時から、僕は君のことが――」

 


 寒い冬が終わった。マフラーはもういらない。

 僕は彼女と並んで、家から学校への街路樹を歩いていた。


 頭の上では、寒い冬を乗り越えた桜の蕾がほころび始めている。

 吹き抜ける風はまだ少し肌寒いが、差し込む光のおかげでそれも気にならない。


 僕たちは学校から出された宿題の話や、昨日見た映画、聴いた音楽の話に花を咲かせていた。


 その会話の中でも、やはり彼女はときどき僕に悪態をつく。

「ばーか!」


 二人の間に、蕾を揺らす風が吹いた。


 僕は初めての、そしてささやかな反抗を試みることにする。

 しかし、それを反抗と呼ぶには、あまりにも相手へ好意を(いだ)き過ぎていた。せいぜい悪戯がいいところ。


「バカって言うほうがバカだから」

 僕は初めて彼女にそうやって言い返した。


 それは彼女にとっても予想外だったのだろう。

 目を丸くして、きょとんとした顔を見せた。

 ただでさえ大きな彼女の目が、さらに大きくなった。


 してやったり、と小さな達成感を感じた僕は、彼女へ自然と笑いかけていた。

 僕の笑顔に釣られて、彼女の顔もほころんでいく。


「ばぁか」


 そう言って笑った僕の彼女は、ほんとうにかわいかった。


タイトルを『バカって言うほうがバカだから』にするかで悩みました。

気が向いたら『きみのマフラー』を執筆することがあるかもしれません。

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